Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

スマホが前提?

2024-08-30 16:25:57 | 日々のつぶやき

 先日、 アマゾンでトラブルが起きた。実際は起きてなく私の勘違いだったので 何もしなくてよかったのだが。

スマホで買い物はしないし ○○ペイというものも使用していない。クレジットカードもあまり使いたくないので代引き、コンビニ払いに最近はしている。

今年の春 いつも使用しているサイトでカードが使えなかった。調べてもらうとトラブルはなく、ただ単に不調だという事だったが、その事を友人に話すと その友人は仕事にカードを使用していたので 普通より一桁多い枠で使用していた。

ある時、使おうとしたら使用できなくなっており カード会社に連絡をとると、 インドネシアで使用されていた。普段そんなところで使うこともないので 当然カードを使用中止にしたとの返事。

「そんな場合、先に名義人に連絡するのではと言ったら、とても多いのでそんな事は出来ない。」との返事だったが、そんなに多いの? 怖くなってしまった。

話が横道にそれてしまったが、以前はメールに写真も載せていたが今回アマゾンで返信にスマホで撮った写真を入れるように言われたが、 PCで何度もチャレンジしたが なぜかうまくいかなかった。

2年前 潰れ梅を自分用に手配したら、先方の入力ミスだと思うが、知らない人に送られて その人は心当たりが無いとアマゾンからメールが来た。

人に贈るのに潰れ梅を送るだろうか?先方さんはさぞ驚いただろうと思う。電話で経緯を話すと、すぐに誤送の先程のメールも発送したメールも跡形もなく消されていた。

高齢者は戸惑ってしまうのです。スーパーやコンビニ、ドラッグストアまでなにがしかのポイントに結びついている。でも連絡のあるポイント数はわずかな物。なんだこの人はビールばかり買ってとなるだろう。

 もう一人の友人は固定電話のみで、いつも留守電にしていて 話し出すと電話に出てきたり、後でかけてくる。持ちたくないそうである。私もできればそうしたいほうである。

 

 

 

 

 

 

 

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アランドロン様

2024-08-19 21:09:10 | 日々のつぶやき

 アランドロンさんが 亡くなったという。

彼の映画では「太陽がいっぱい」がベストだと思っている。

高校、大学と映画館へ行くとよ好むと好まざるをえずく映画が上映されていた。

3本建ての田舎の映画館ではよくあった。しかし 私はベルモンドのファンである。

彼一人がその映画をしょっている場合 相手役の女優がだれであれ面白いと思った事はない。

現ナマに手を出すな、冒険者たちなどギャバンとリノバンチュラがいてこそ楽しめた。彼自身はチ。ン。ピ。ラとしか思えなかった。

それでも映画館に足を運ぶと彼の映画が多く リスボン特急(ミシェルコロンビエのエンディング曲が良かった)、ビッグガン ボルサリーノ、太陽は知っている。。..。等々 週末映画館に入りびっていた私は見た。

やたら 顔のUPとかストップモーションでエンド曲が流れたり、のたうち回って亡くなったりした映画が多かったが、私は彼の鼻から口にかけてが好みではない。

ファンの方ごめんなさい。同じような顔をした元奥さんのナタリードロンもサムライでは存在感を感じたが、個人教授、も一度愛してでは不思議に不思議によくスクリーンとかロードショウの表紙になっていた。

ラストシーンのプールだったかしら 現ナマが水の上に浮かび上がるシーンが強烈で「現ナマに手を出すな」と書いてしまいましたが、ジャンギャバンと共演したのは

「地下室のメロディ」でした。すみません。

ただ一つ また私の青春が終わっていった事を感じ寂しい。

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左耳からさようなら

2024-08-16 16:44:14 | 日々のつぶやき

 12日の明け方まだ5時にはなってなかったと思う。

いきなり左から大きな声で

「自分は居なくなるけど 探すなよ。遠くへ行く…」と隣の同級生が大きな声で言う。彼は耳が少し遠いので日常会話も大きい。その後引き続いて同じ内容の話を中国人の彼の奥さんがたどたどしい日本語で話し出した。

最後にやはり

「さようなら」

余りにも突然で驚いたが、微睡んでいたので夢か現か? でも余りにもあの声はリアルである。慌てて枕もとの携帯に手を伸ばし確認するが電話の履歴もないし、取った覚えもない?

う~ん何だろう 何も起きなければ良いがとしか言えない。満月、新月の前後は地震も多く、まして台風が来るとまた地震に作用するという。

何故かもう衣類が買えないような気がして サイズダウンしたこともあったが、下着に始まり秋冬物のバーゲンの品から四季に関係なく買って補充したが 靴もサンダル、ローファーと3点買い 化粧品まで買って やっと7月から気が済んだのかもう買い物に走らなくなった。

しかし、気になる...。

地震や津波が来ても 子も孫もいないのでそのまま逝っても良いと思っている。まして残った方が大変なのではと思う。

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寂しい高齢者 Ⅱ

2024-08-11 16:39:14 | 日々のつぶやき

もう一人 うちのお得意さんのIさんで商店街にお店を構えられていた。

何処も商店街がシャッター通りになっていったのに例外はなく 周辺のお店も戸を閉めたり更地になっ行き ご自分も高齢という事もあり 6年目の事決心して店じまいをされて棚まで処分されて閉じられたはずだった。

 時折、客注という事で注文があることはあったが、ある時沢山の注文が来て戸惑い、若奥さんに連絡を取ると向こうも驚いていた。

その前にその町の道の駅でIさんのお友達に出会った時、

「ねえ~、あなたんち電話かからない? 来い来いってしょっちゅうかかるのよ。」と言われた。その頃は何もなかった。

それから半年たたずに電話が始まった。

それも 出るまで止めない。

 商売をされている時は人の出入りがあり、売れようとそうでなくとも1日が過ぎた。

Iさんは家事を含めて自分で何もかもできていたが、ただ一つ自分は商売をしていると思い込んでしまった。

 それから毎日幾度も電話が掛かってくる。適当にあしらっていたものの、コロナが流行ってからひどくなってきた。

時たまお店の前を通ると暗い店内にテレビをかけて座っている彼女の姿が見え、声をかけたり、差し入れを持って行った。

Iさんが腱鞘炎で手術をされた後、息子さんの家に引き取られとられても、商売が気になりそそくさとご自分の家に帰られ、デイサービスを試しにと1回行っても後は行かずじまいで、そのうちうちへの電話はひどくなっていった。

お嫁さんによると 何もかも自分で出来るのだが、ただ一つ商売をしている気になっているとの事、品が無いから人が来ないと思っているみたいだ。

  コロナの間に少しづつ商売も変化していき、彼女の言う商品はない。外出できないので親会社がストップをかけ廃業させたり、数社は世代交代もあり廃業した。

 品物が亡くなったことを伝えても、次回掛かった電話では初めて聞くような対応でほとほと疲れてしまった。

 しかし、彼女は理解できず、彼女がバリバリ現役で張り切っていたころのお得意さんの電話を教えてくれというが、廃業したり世代交代してもうその頃の人はいない。毎日掛かってくる電話を持て余していると、お嫁さんから受け取り拒否にしてくださいとの連絡がった。

 しかし、拒否にしても ベルは鳴らなくても表示は出る。

丁度1年前のお盆明けから、電話に悩まされることは無くなった。

 何かあっただろうとは思っていたがお嫁さんに偶然出会いおたずねすると、

グループホームへ入られたが、まだ完全な痴呆にはなっていないので 家族も面会が出来ないと言われ

 そういう状態で周りは痴呆の人ばかり、Iさんはストレスが溜まらないかと気になってしまう。

お嫁さんと書いたが次男のお嫁さんで、こういう状態になってから長男が半月ごとに都会の自宅と生家を行ったり来たりしていたらしいが、彼だけが半年後面会が出来たといううが、まだお会いすることは出来ないでいる。

 一体、軽傷の人を助けるのでなく重度にしてしまうのか? 高齢の親と暮らしている私は疑問に思う。

 

 

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寂しい高齢者

2024-08-09 18:15:07 | 日々のつぶやき

 地方はどこも同じようなものだと思うが、私の住んでいる町も高齢化が甚だしい。戦前の産めよ増やせよの世代と戦後のベビーブウーマーが人口の多くを占めている。

高度成長時代の国策で働き手はほとんど都会へ出て行ってしまい。高齢化した親は昔と違って独居老人となっている人がほとんどである。昔であれば、家族に囲まれ楽隠居で過ごせた人が多いのではないかと思う。

 100メートル位先に住んでいたKさんはご主人に先立たれ おひとりでひっそり暮らされていたおとなしいかご夫人だった。町内も違い親しくはないが会釈して通り過ぎるくらいのであったが、痴呆になり雰囲気も変わり、大きな声で皆さんに話しかけながらうちの前を毎日歩かれていた。

 ある時、母を病院に連れて行った帰り道 近くのスーパーで買い物をされている彼女に出会った。 買った総菜をレジ前のカウンターで広げビニール袋に手づかみで入れていたのでレジのお姉さんに他でしてくださいと注意されていた。どうせ帰り道だからと車に誘った事から、私は彼女の親しい人の一人になったらしい。

 それからはうちの前通るたび、名前を呼ばれ顔を出すまでつづき、荷物を自宅まで届けたりしていた。彼女の家付近は空き家が多く構ってくれる人は少なかった。

ヤクルトさんは声をかけられると家の中まで行き時々お世話をされていたが、炊飯器の古いごはんの上に新しく買ったごはんを入れたりしているので 古いのを食べておなかを壊さないかしら?と心配されていた。

 時折 帰省した息子さんと二人で歩いて出会ったら、嬉しそうに息子さんの紹介をしていただいていた。

ココナが流行り 息子さんも以前のように帰ってくる事も泣くなり、彼女の痴呆は進んだみたいであった。 うちの隣の民生委員さんにあの町内の民生委員さんの事尋ねたが、家族でもなく町内でもなかったのでうやむやになってしまった。 痴呆であれば 施設に入ることもできたと思うが

毎日 行くところもなく寂しかったのだと思うが、近くのコンビニとスーパーへ1日十回以上も買い物に行き元気に歩いていたが、朝早く自宅前で倒れているところを通りがかりの人の通報で 救急車で運ばれた事を聞いた。食事も偏りがあり 骨粗鬆症から腰を骨折して歩けなくなり 入院されたが、栄養状態もよくなく 数か月後亡くなられて 息子さんから報告があった。

 なんとも悲しい...。

まだ うちの町内は人とのお付き合いがあり 私が救急車で運ばれたときは隣人が付いて行って下さり、ありがたいことに数日間近所に差し入れをしていただき母を気遣って頂いた。

遠くの親類よりも近くの他人、本当によくしてもらい感謝しているが その町内も半分近く人が移り変わりつつある。

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