最終日の23日日曜は雨、天気予報では全く雨のマークが出ていなかったので傘の用意はしていなかった。昨晩、母に電話すると、午後から雨と言っていたので降ってもおかしくない。
結構雨足は大きかったが、何時も現地に着くと、小雨か止むので大して気になっていたが、肌寒い天気なのでそうも言っておれず、近くのコンビニまで走り傘を買った。
8時前に京都駅を出発し、バスと叡山電車で行くと、大きな天狗の面のお出迎え、雨で清めていただいて電車を下りると凛とした空気が漂っていた。もし、お天気ならば、観光客も多かっただろうが、下りたのは私達以外には2,3人だった。
こちらは狛犬ならぬトラのお出迎え、昨日のおきつねさんや猿がったが、今日はトラであった。ネズミの所も、京都市内に有ると以前、ノワタリさんからお聞きしたことがあったが珍しい。
ケーブルに乗る頃には山歩きの会の団体がやって来た。
多宝塔
伏見稲荷が千本鳥居ならば、此処は朱塗りの灯篭がずっと並んでいた。予想通り、傘も不必要になり杖代わりになった。
本殿に着くと、その前に魔方陣?結界?のようなものがあった。みんなで代わる代わるその真ん中の三角の印の所に立った。周囲は真ん中を高くしてあり斜めになっていた。
立ってみると、足元からジンジンとエネルギーが湧き上がってくる。
ノワタリさんが姪に立たせると、「幸せになった。」と言う言葉が出て、それを姪が復唱した。
姪にはよい事が起きるみたいである。昨晩の彼氏の事だろう。どちらにしても良い事である。
後で調べると、「鞍馬山の六芒星」と言ってエネルギーの強い所だそうである。
魔王の乗ってきた乗り物だそうだが、まるでufoである。みんなで見ていて、妹が、
「青い光のラインが見える。」と、不思議そうに言った。二度その光の筋が見えたという事である。
彼女にとってこんな経験は初めてだったので、「とても嬉しかった。」と聞いた。
「此処からが、本番。」と、木戸をくぐり、奥の院への石段前で言われた。
不動堂
山道を登っていると、後ろで姪の叫び声がした。「ヒルに喰われた~。」
雨上がりなのでヒルが出てきた。話には聞いた事があったが、すぐに水で洗い、ノワタリさんの持っていたフルコートを塗った。その後、今度は私がチクッとしたと思ったら、ヒルがいた。取り除いたつもりが靴の縁にへばり付いていたので、ティッシュで摘みのけたが、まるで縫い針くらいの大きさだった。
不動堂の前にも本殿と同じような結界?があったのでそこでも真ん中に立ってみた。やはりエネルギースポットと言うだけ強い。
魔王堂
木の根道を歩き、650万年前金星から来たと言うサナート.クマラと言う魔王が降りたという魔王堂に行くと、団体の先客がいて中で、祝詞や般若心経を上げられていたので、灯篭のそばで待っていると、まるで背骨が管のような感じで上から、グ~ッとエネルギーが流れてきて、体中が共鳴振動して風が吹いている初めて経験する感じを受けた。
中に入り、イワクラの前に座り、目を閉じて座っていると、先程よりもずっとそれが強くなり、とても心地よい。今でも思い出すだけで、そんな感じがする。
しかし、みんな静に祈っている所にとても賑やかな家族連れがきて「お金が沢山入りますように」とか、実に生々しいお願いをあれこれとして最後に父親らしい人の声で「封筒、封筒、何でもええから、名前みんな書いて置いたら…」と言って拝み倒して行った。とてもおかしかったが、こちらは目を閉じているので顔は見ていない。
ノワタリさんは首筋から黄金に輝く強い光がス~と、背中にかけて入ったと言われていた。
「楽しみは最後に」と、言われたはずだ。
其処から、貴船に向かって山を下りた。降りた所で雨が降り出した。みんなのズボンの裾にはヒルが付いていて、取り合ったが、結局被害が無かったのは長めのズボンを着用していたノワタリさんと妹だけだった。妹はティッシュでみんなのヒルを取ったのをバッグのポケットに仕舞いこんだが、帰宅して出してみると水分が無いので干からびてみんな死んでいたと笑っていた。
丁度お昼だったので昼食をと思い、手招きされるお姉さんの店に行くと、表には写真はあっても金額が明記されて無かったが、その値段を見てみんな驚き、外に出た。大体京都の観光地は割高な感じはするが、余りにも高い…。天ぷらそば定食で2980円、他のそばの定食も同価格だった。
こんな薄ら寒い日に川床にわざわざ行かなくても良いと思うが、あちらこちら歩いてもそんなものできっちりした料亭の川床はそれなりに設備も良いがそんな風流な趣味は無い。
連休の為、狭い道にひっきりなしに車は来てなかなか離合出来ない有様だった。結局土産物も置いているお店でおそばを頂き、神社にお参りした。
水の神様のはずが、縁結びを前面に出していて、若い男女が多い。こちらはもろ観光地と言う雰囲気だったので、本殿にご挨拶をして、叡山電鉄で出町柳まで出た所で、下賀茂神社にお参りする事となった。
最後の神社が、さっきの貴船神社だったら、締まらないなと思っていたら、下賀茂にお参りできることになり嬉しく思った。妹達は金曜日に上賀茂神社へお参りしているので、いっそう喜んだ。
糺の森からゆっくり歩いて行き、私達はその場のエネルギーを楽しんだ。ノワタリさんは御神木の説明をみんなにしていたが、なぜか私一人時間が気になって仕方なく、みんなを急かしてしまった。でも、此処が本当に最後である。神様の粋な計らいに感謝した。
占い師のHが私はずっと旅を続けるであろうから、生涯現役で仕事をすると言われた事を言うと、ノワタリさんが、「いや、人生その物が旅だって言ってますよ。」と言われた。
此処がその発祥の地だと言う事でその後近くでみたらし団子を頂いた。今まで、そそくさとお参りして走っていたので、看板は目に付いても食べる事は無かった。
こんがり焼いてあり、風味が良い。今回はゆとりのある旅である。
その後、満員状態のバスに揺られ、京都駅に着いた。妹達が最終便の飛行機に乗るので解散は5時半、そこでみんなでお茶を飲んでゆっくりという事になったが、なかなかお店が無く、そこで別れかけたが、小奇麗なレストランが丁度開いていて、妹と姪を呼び戻し、ノワタリさんにご馳走して頂いた。
そこで、姪は具体的に結婚の話が出て25歳までにするようになどと指導して頂き、あのままお別れしたら、もう一つ遠のいていたであろうと思う。
今回、姪も出来たら参加するようにとの意味が分かった。
あれこれ話した後、「これで一先ず、幕引きですね。でも、何かあって呼び出されたら、また、行きましょうね。」と言う事で終わり、名残惜しいが分かれる事になった。
ノワタリさんは5時半と言う事で、半過ぎの新幹線の予約を入れていた。
何時もなら、彼女を見送って私が最後に出ると言うパターンが多かったが、今回タカコちゃんと一緒だったので勧めていただき、予定より30分早い便に乗りお別れした。
今回の旅は行く前から区切りがあるだろうと思っていたが、姪がこういう形で結婚話がすんなりと進んだ事は本当に喜ばしい。
私は独り者、妹もすんなりと周りに祝福されと言う風には行かなかった。これは土地の因縁(先の住人である婚約者がありながら、惨い死に方をした娘さんがいた)が、大分浄化されたという事かしらと思った。
私自身も、学生時代の友人との別れもあったが、これが現実であり本当の姿を見せられたという事かと思う。
しかし、これだけでなく まだおまけがあった。
松山にてタカコちゃんと別れた後、インター入り口で右折したいたところ、自転車と接触してしまった。幸い相手はまだ30歳代の男性で転倒する事も無く怪我もなかったが、警察と念の為保険屋さんには連絡をした。
物損と言う事で免許書にはなんら影響はないということだったが、後で見てみると車の凹みも無く、ぼかすだけで済んだ。相手も無事で自転車の後輪のブレーキがキィキィと音をたてるくらいで大した事はなく、修理代を出すだけであった。2日後、1万500円の請求が来た。ちょっと高いような気もしたが、私に非があるのですぐに振込んで済ませた。これで済むならばありがたいものである。
もし、お年寄りであれば、転倒して怪我、打ち所が悪ければ、命に係わってくるようなことが起きてもしかない事である。想像しただけで、背筋が凍る。
ノワタリさんに伝えると、
「警告ね。『これからもあり得ることだ。』と言ってるわ。でも、事故って言うけど、事故とはいえないぐらいのもので、こんなに軽く済んで上もよく考えてるわね。」と言われた。本当にこれくらいで済んであり難かった。
気落ちして家に予定より1時間近く過ぎて深夜に帰ると、一階の戸を開け、中に一歩踏み出そうとすると、ほのかに青っぽい光が斜めに入ってきた。一瞬の事である。あれ、何か光ったと思ったが、錯覚かしらとも思った。
自分の部屋の玄関の扉を開けると、先程の光がまた、差した。今度は間違いない。
妹と話すと、彼女が鞍馬山の魔王の乗り物だと言うUFOに似た砂で出来た物体のところで見た光によく似ていた。多分、気落ちしている私に元気が出るよう見せてくれたのだと思う。
その晩、夢にまたぶうちゃんがおなかがペタンコで頭ばかり大きな姿で空っぽの餌椀の前で待っている姿で出てきた。癌が再発して亡くなった彼女は3ヶ月ほとんど食べずに体重が半分になるくらいやせ細って亡くなった。
「ごめんね~。3日間留守したから、おなか空いたよね。すぐあげるけんね。」と言っているところで目が覚めた。
ノワタリさんに教えて頂き、3日間たっくさん餌と水を朝晩盛って供養した後、台風の晴れ間に海に流しに行き、今回は余った餌を他の食べれなかった猫チャンたちの為に「沢山食べてね~。」と、言いながら海に撒いた。
これで最後の旅と、それに引き続いて起きた事は切りよく9月30日までに済んだ。
金比羅さんにてお会いして9年と半年経っていた。