今日のお昼に、「国連子どもの権利条約」に関するサマーセミナーに参加してきました。主なテーマは、子どもの権利条約に通報制度を設けるための国内的な取り組みの推進です。
私も知らなかったのですが、子どもの権利条約には通報制度が設けられていません。普通、国連の人権条約には「通報制度(不服申し立て制度)」が設けられていて、国内の司法制度のおいて救済されなかったケースでも、国際的な審査の場に不服を申し立てることが出来るようになっています。子どもの権利条約には、この通報制度が設けられていないために、各国における権利条約の適正な履行に大きな問題が生じているのです。
「各国の司法機関が条約の内容をきちんと理解して、それに基づいて判断しているならいいじゃないか!」と思われるかも知れません。
しかし、子どもの権利条約に限らず、国連の人権条約の条文の解釈というのは、えてして各国がそれぞれ国の思想や文化、政治状況などに応じて独自の解釈を与えてしまいがちなのです。そこで往々にして、そもそもの権利条約の精神や目的が歪められてしまったり、条約の侵害が適切に判断されなかったりするケースが多発してしまうのですね。その被害を受けるのは、私たち市民なのです。子どもの権利条約の場合で言えば、「子どもたち」に他なりません。
通報制度というのは、このような問題に対処する一つの方策なのですね。国内の司法機関で救済されなかったケースでも、それを国際的な審査の場に持ち込むことで、果たして国内の司法機関が下した判断が条約の趣旨に照らし合わせて正しいのかどうか、正しくない場合はどのような判断が下されるべきなのか、そういう判断を仰ぐことができるわけです。これによって、国際条約の運用に世界で統一的な解釈基準(判例)を積み立てていって、各国が恣意的な判断を下すことができないようにするのです。
ということで、私もその趣旨に大いに賛同して、「賛同議員」の一人に名を連ねることとなりました。ただ、具体的な活動については今一つ、はっきりとしたことを決めたわけではないので、今後、賛同議員がどのようなアクションをとることができるのかどうか、方向性を定めていく必要がありますね。ひとまず、9月にも通報制度に関する選択議定書(Optional Protocol)の原案が各国政府に送付されてくるようなので、それを機に、政府内だけに閉じられた議論ではなく、労使団体やNGO等を含めた幅広い議論の場をもって、日本としてその内容に積極的な意見提起をしていくべきでしょう。私もそのアクションに参加して行ければと思っています。
私も知らなかったのですが、子どもの権利条約には通報制度が設けられていません。普通、国連の人権条約には「通報制度(不服申し立て制度)」が設けられていて、国内の司法制度のおいて救済されなかったケースでも、国際的な審査の場に不服を申し立てることが出来るようになっています。子どもの権利条約には、この通報制度が設けられていないために、各国における権利条約の適正な履行に大きな問題が生じているのです。
「各国の司法機関が条約の内容をきちんと理解して、それに基づいて判断しているならいいじゃないか!」と思われるかも知れません。
しかし、子どもの権利条約に限らず、国連の人権条約の条文の解釈というのは、えてして各国がそれぞれ国の思想や文化、政治状況などに応じて独自の解釈を与えてしまいがちなのです。そこで往々にして、そもそもの権利条約の精神や目的が歪められてしまったり、条約の侵害が適切に判断されなかったりするケースが多発してしまうのですね。その被害を受けるのは、私たち市民なのです。子どもの権利条約の場合で言えば、「子どもたち」に他なりません。
通報制度というのは、このような問題に対処する一つの方策なのですね。国内の司法機関で救済されなかったケースでも、それを国際的な審査の場に持ち込むことで、果たして国内の司法機関が下した判断が条約の趣旨に照らし合わせて正しいのかどうか、正しくない場合はどのような判断が下されるべきなのか、そういう判断を仰ぐことができるわけです。これによって、国際条約の運用に世界で統一的な解釈基準(判例)を積み立てていって、各国が恣意的な判断を下すことができないようにするのです。
ということで、私もその趣旨に大いに賛同して、「賛同議員」の一人に名を連ねることとなりました。ただ、具体的な活動については今一つ、はっきりとしたことを決めたわけではないので、今後、賛同議員がどのようなアクションをとることができるのかどうか、方向性を定めていく必要がありますね。ひとまず、9月にも通報制度に関する選択議定書(Optional Protocol)の原案が各国政府に送付されてくるようなので、それを機に、政府内だけに閉じられた議論ではなく、労使団体やNGO等を含めた幅広い議論の場をもって、日本としてその内容に積極的な意見提起をしていくべきでしょう。私もそのアクションに参加して行ければと思っています。