石橋みちひろのブログ

「つながって、ささえあう社会」の実現をめざす、民主党参議院議員「石橋みちひろ」の公式ブログです。

長崎で、情報労連主催『第21回長崎平和フォーラム』に参加してきました

2010-08-08 21:57:36 | 活動レポート
土曜日の午後、羽田から長崎へ向かい、今日の午前中、情報労連主催の『第21回長崎平和フォーラム』に参加してきました。

本当は、先週、8月4日から6日に行われた広島の平和フォーラムにも参加したかったのですが、臨時国会の開会中だったために断念。今回は長崎だけの参加になったわけです。長崎には昨年に続いて2回目の参加でしたが、昨年は情報労連中央本部の役員として、そしてまた参加者の一人としての参加でした。今年は立場が変わり、国政を担う者の一人として参加させていただいて、情報労連の仲間と平和への思いと、核なき世界をめざす熱い気持ちを共有させていただくと同時に、その実現に向けた責任の重さを実感してきました。

長崎平和フォーラムの特徴は、「家族的」と「参加型」のイベント構成です。今回も、全国から大勢の仲間たちが参加したわけですが、家族連れの方々もたくさんおいでで、子どもたちが積極的に参加していたのがとても印象的でした。そして、原爆投下直後の様子や、平和への思いを物語りと歌で綴る「構成詩」にも大勢の方々が参加されていて、最後は会場全体が一体になって、歌と手話で平和への思いを発信しました。初めて参加した去年もそうだったのですが、今年も最後は感動のあまり涙しながらみんなと一緒に歌ってました。

今日のフォーラムのハイライトの一つ、被爆体験者の方のお話は、小峰秀孝さんからの被爆体験談でした。4歳8ヶ月で被爆して、両手足や腹にひどいやけどを負い、後遺症で真っすぐ歩けなくなってしまった小峰さん、そのためにいじめを受け、ひどい差別を受け、そのうっぷんをはらすために小動物いじめをしたり、自殺未遂までした苦しい人生について話をして下さいました。

 ネット上にも小峰さんの体験談がありましたので、ぜひこちらをご覧下さい。また、この長崎新聞のホームページにも小峰さんが紹介されています。

小峰さんは、今でも語り部の一人としてご自分の被爆体験をお話されているのですが、アメリカ本土にも足を運んで、原爆の恐ろしさを聞かせてあげているそうです。しかし悩みは「語り部の継承」。毎年、多くの被爆者の皆さん方が亡くなられていますが、その二世の皆さんはほとんど表には出てこないのだそうです。「その気持ちはよく分かるし、被爆一世も、二世たちを表に出したいとは思っていない」と小峰さん。今、話を「紙芝居」にして子どもたちに伝えるような試みを行って、体験の継承を図っておられるそうです。

「時間がない」というのは切実な気持ちでしょう。私たちも、戦後65周年を一つの節目として、広島&長崎発の平和へのメッセージ、核なき世界の実現を願う強いメッセージを、世界の仲間たちに届けていかないといけません。私も国政の場で、その思いを胸にしっかりと活動していきたいと思っています。

さて、最後に一つ、おまけのお話を。

今日のフォーラムの最後に、地元実行委員会を代表して宮崎・情報労連長崎県協議長が挨拶をされました。未来への思いが込められた大変素晴らしご挨拶だったのですが、実は、宮崎議長の娘さんお二人が、その直前に行われた『構成詩』のメンバーとして壇上にいて、そのお父さんの挨拶を後ろで聞いていたのです。そして、宮崎さんが挨拶を終えて会場の大きな拍手を受けている時、娘さんがとても誇らしげな顔でお父さんの後ろ姿を見ていました。それがとっても印象的だったので、ここで紹介されていただきました!