AKB48の旅

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渡辺麻友1位の意味するもの

2014年06月10日 | AKB
タイトルは大げさだけど、ちょっと大上段に振りかぶってトレンドめいたものを考えてみたい。渡辺麻友さんの何よりの特徴は、その分かりやすさだろう。王道アイドルと呼ばれるように、一点の曇りもないベビーフェイスであり、たぶん誰から見てもカワイイと感じる。見るだけで誰にでも分かる、説明の必要がない。そういう意味では、指原さんとは真逆のキャラにして存在様式ということになる。

以前、そんな渡辺さんの在り方について、申し訳ないとは思いながらも、時代遅れ的な評価をしてしまったことがある。指原さんとの対比を強く意識しての物言いだったし、AKBと言う枠組みの中での価値相対化を意図してのものだったけど、日本型アイドル文化の標榜する最高価値がカワイイなんだから、そこには本来、栄枯盛衰などあろうはずもない。乃木坂の躍進ぶりを見ても、そこはやはり揺るぎないものだった。

つまりは、今回のベビーフェイス渡辺麻友とヒール指原莉乃という対立構図は、とても分かり易かったことになる。そう改めて考えてみると、今回の選抜総選挙には、プロレス的な誰にでも分かるブックがあったと見なして良いように思う。ハイコンテクストを共有するファンであれば、この勝負は最終的に指原さんの勝利という見解に落ち着く可能性が高いし、実際、事前の予想も、私自身も含めてそう傾いてた。けれども、ローコンテクストサイドから見れば、この勝負の行方は予定調和なんであり、ヒールがベビーフェイスに勝つことは許されない。

それは正にローコンテクストサイドであるところの大衆行動だったかも知れないし、噂以上のソースがないけど、やはり同様の性格を有する中華砲だったのかも知れない。行動様式としては近似すると思われるんで、そのどちらでも、あるいは両方でも構わないんだけど、「山が動いた」ということなんだろう。ハイコンテクストサイドからは、どうしても得ることのできなかった指原さんを越える票が、ローコンテクストサイドから渡辺さんに流れ込んだと考えられる。

構図として見れば、実は去年と類似性のあるパターンだったことになる。去年は、指原さんのストーリーがそれなりに分かり易かった。ある程度の予備知識が必要という点では、決してローコンテクストとは言えなかったかも知れないけど、あんまり好ましい表現ではないけど、リベンジの楽しさ、下克上の楽しさみたいな空気に乗っかっての、指原さんの圧勝だったと見なせる。今回は、去年を遥かに上回る分かり易さだったんであり、だからこその渡辺さんの史上最高得票数ということになる。

敢えて言い放ってしまえば、指原さんの得票数が微減であることを踏まえれば、渡辺さんが新たに獲得した票数の多くは、新規のAKBファンに当たるのかも知れない。

まあ理屈は何であれ、渡辺さんが1位となった。この事実がAKBをどう変えていくのか。AKBが複雑系としての性格を帯びる以上、未来の予測は原理的に不可能だけど、AKBの内部的には、指原さんが1位になったほどのインパクト、そして激変は、恐らくないんではないか。強いて言うなら、何度も述べてるけど、ローコンテクスト的な分かりやすさが付与されること、誰からも分かり易い1位、これに尽きるのではないか。

時あたかも襲撃事件直後。襲撃事件の投票行動への影響がいかほどのものだったかは分かりようがないけど、一部の目線からはいかがわしいことこの上ないとすら思われてる、秘儀のごとき握手会を巡っての疑心暗鬼が、陰謀論のように渦巻く中、日本型アイドル文化の成否が問われてる、そんなタイミング。そんな中、これまでにも増してAKBに求められてるものが、公正性、透明性であり、分かりやすさ、クリーンさではないだろうか。渡辺さんは、正にそれを最も担保できる、誰にでも分かり易いアイコンと言えるんじゃないだろうか。

高橋さんのスピーチの通り、AKBの置かれた状況は相当に厳しいと考えられる。この局面で重要なのは、情報のゆがみを最小限に抑えることであり、可能な限り悪意から遠ざかること。奇を衒わず、中庸にして悪目立ちしないこと。そんな役どころは、指原さんではなくて渡辺さんこそが最適任と考えられないだろうか。

そんなピンポイントのような選択を、これ以上はない最善手を、今回の選抜総選挙で結果的にであれ掴み取ったとすれば、これまで何度も見てきたことではあるけど、恐るべき強運と言わざるを得ないし、もちろんそれ以前に、そのような選択が可能な仕組みになってる、前のめりの動的平衡という存在様式が、投票したファンはもちろんのこと、メンバーやスタッフも含めた個々人の意図を越えた集団知性として、あたかも自動運動のように正解に辿り着ける、そんな仕組みにまで到達できてるのだとしたら、AKBムーブメントたるや、恐るべし。