「焼き場の少年」と題した一間の写真。
来日したフランシスコ教皇が、平和を願い世界に発信した写真。
1945年8月9日、米軍は長崎に原爆投下。焦土と化した長崎。
その長崎の様子を撮影した米軍従軍写真家 ジョー・オダネル氏の撮影した写真。
写真とともに彼のコメントが残されている。
焼き場の少年
1945年9月ー佐世保から長崎に入った私は
小高い丘から下を眺めていました。
10歳くらいの歩いてくる少年が目に止まりました。
おんぶ紐をたすき掛けにし
背中に幼子をしょっています。
この焼き場にやってきた強い意志が感じられました。
しかも、少年は裸足でした。焼き場のふちに
5分から10分ほど立っていたでしょうか。
おもむろに白いマスクをした男たちが少年に近づき
ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。この時、
私は背中の幼子が死んでいるのに気がつきました。
幼い肉体が火に溶け、ジュ―ッと音がしました。
まばゆい炎が舞い上がり、直立不動の少年の
あどけない頬を夕陽のように照らしました。
炎を食い入るように見つめる少年の唇には
血がにじんでいました。
あまりにもきつく唇を噛みしめているので
唇の血は流れず下唇を赤く染めていました。
炎が静まると、少年はくるりときびすを返し
沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。
来日したフランシスコ教皇が、平和を願い世界に発信した写真。
1945年8月9日、米軍は長崎に原爆投下。焦土と化した長崎。
その長崎の様子を撮影した米軍従軍写真家 ジョー・オダネル氏の撮影した写真。
写真とともに彼のコメントが残されている。
焼き場の少年
1945年9月ー佐世保から長崎に入った私は
小高い丘から下を眺めていました。
10歳くらいの歩いてくる少年が目に止まりました。
おんぶ紐をたすき掛けにし
背中に幼子をしょっています。
この焼き場にやってきた強い意志が感じられました。
しかも、少年は裸足でした。焼き場のふちに
5分から10分ほど立っていたでしょうか。
おもむろに白いマスクをした男たちが少年に近づき
ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。この時、
私は背中の幼子が死んでいるのに気がつきました。
幼い肉体が火に溶け、ジュ―ッと音がしました。
まばゆい炎が舞い上がり、直立不動の少年の
あどけない頬を夕陽のように照らしました。
炎を食い入るように見つめる少年の唇には
血がにじんでいました。
あまりにもきつく唇を噛みしめているので
唇の血は流れず下唇を赤く染めていました。
炎が静まると、少年はくるりときびすを返し
沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。