こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

できることは みんなで 
 できないことは ひとりでも 声を上げて
  誰もが穏やかに暮らせる社会を

「つぎつぎと 年賀欠礼 冬木立」

2019年11月30日 | 短歌 俳句 川柳
 今日で11月が終わる。明日からなんと!12月。びっくりする。
週明けの月曜日から12月議会の開会本会議。怒涛のような日々が始まり、一気に年の瀬へ。
慌ただしく一年が過ぎていこうとしている。
 この時期、年賀欠礼のお知らせが次々と届く。
しみじみと文面を見ながら、寂しさに襲われる。
我々の父母であれば、この年でもありやむを得ないのだが、同世代のあるいは私よりも
年齢の下の知り合いの家族からの欠礼ハガキには、心が沈む。
「なんで?」「どうして?」との思いに駆られるばかり。

「次々と 年賀欠礼 冬木立」 暁

初冬の中川の水面に水鳥の群れ。

なにとなく  君に待たるるここちして  出でし花野の  夕月夜かな

2019年11月30日 | 短歌 俳句 川柳
 「近代秀歌」永田和宏 著 岩波新書を持ち歩いていて
電車の中とかの移動時間中に所々読んでいる。
その中の一首。与謝野晶子 歌集「みだれ髪」の一首が表題の「なにとなく」の歌。
いい歌。その時の情景が目に浮かぶ。
 若かりし日々の与謝野晶子の情熱がうかがい知れる歌。
「みだれ髪」は明治34年、1901年、昌子23歳の夏に
刊行された処女歌集とのこと。
 与謝野晶子と言えば
「やわ肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」
の歌が有名だが、「なにとなく」の歌は「やわ肌の」のように直截的な表現ではなく
あふれる想いを抑制した歌に引きつけられる。
 走り回っている日々、ゆっくりと詩歌などに触れてみたい気持ちに。

我が家の屋根裏部屋の小窓から西に富士山のシルエットが。
電柱、電線が興を削ぐが、それでも見事な夕景。

「一国の 総理の振る舞い 哀れなり 富士の夕景 寒々と」 暁