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10月読書

2011-11-12 18:56:25 | 感想
①「マザー・テレサ 愛と祈りのことば」渡辺和子(訳)
②「のうだま やる気の秘密」上大岡トメ&池谷裕二(著)
③「そ・わ・かの法則」小林 正観(著)
④「監察医の涙」上野 正彦(著)

①はマザーが様々な活動の中で語った言葉やエピソードが書かれています。
「貧しい人」という言葉が使われていますが、日本人の想像する貧しい人とは少しニュアンスが違うと思います。
おそらく日本語に翻訳するのに適切な言葉がこの言葉しかなかったのだと思います。
マザーの「信仰」は「(キリストへの)愛」といっても過言ではないでしょう
目の前に苦しんでいる人はイエスであり、イエスのために必死に働いているマザーの姿が想像されます
仏教でいえば、目の前で苦しんでいるのはお釈迦(仏)さまなのです
無宗教の方なら、目の前で苦しんでいるのはご先祖さまなのです


山本ふみこさんのエッセイに「祈り」について書かれていました
(毎日新聞 2009年10月27日 山本さんちの台所)

(引用開始)
祈るというと、ずいぶん長いことこんなふうだった。
こんなふうとは「あのことがこうなりますように」
「このことはこんなふうになりますように」という、
自分で描いた結末を思っての、まったくもってこの世的なる祈願。

ただ、ここにこうして在る不思議さに気づかされて、変わった。
変わってたどりついたその気持ちを文字化するなら「ありがたい」という5文字になるだろうか。

願う事がないわけではないけれど、ひとの想定した結末や、めでたしめでたしが、いかにも無意味に思えて、願をかけようとする自分を引き止めにかかるだけ。
くだんの若者に、言う。
「わたしの祈りは、朝起きること。ごはんをつくること。それを食べること。
夜寝ること。誰に向かってですって?見えないところに向かって、よ。
それを神と言うひともいるし、天と、宇宙と呼ぶひともあるでしょう?」

(引用終了)

私はこれを読んで「祈り」について目から鱗が落ちました
ただ、拝むだけが祈りの形ではない
日常の行動に感謝や誰かへの思いやりを持つことも祈りではないでしょうか…