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これは発達障害なのか?

2013-01-17 12:49:50 | 日記(~2023年)
新年から立て続けに同じような話を見聞きしました。

① 実妹の話……気の利かない職場の部下(Aさん)の話

 出張に行くのに上司が車を出してくれることになった。
 Aさんの家の近くで待ち合わせをしたが、Aさんは遅刻
 高速代を同乗者で割り勘することになり「割り勘で○○円ね」と言ったのに、Aさんはなかなか支払わない
 2、3回「○○円ね」と言ったのに「はい」と言うだけで支払わない。
 最後に「○○円支払ってください」と言ってようやく支払ったそうです。
 遅刻したことに対して謝るでもなく、支払いの事に関して気が付かなかったことに申し訳ない様子もなく…
 学歴はとても高いのに、こういうことになぜ気が付かないのか!!と妹は怒っていた。


② NHKの番組……気の利かない人(Bさん)の話

 職場の給湯室のシンクに湯呑が溜っていて、上司から「溜っているよ」と言われ、Bさんは「はい」と応えただけで何もしなかった。
 しばらくして、再び上司から「溜っているよ」と言われ、Bさんは「はい」と応えただけで再び何もしなかった。
 そんなことが何回か続き、周りから変な目で見られるようになった。友人に相談すると「それは洗って欲しいということだよ」と言われ、その時はじめてBさんは「そういうことだったんだ」と気づいたそうだ。


③ ある雑誌から……目上にお茶をつぐことに気づかない若者の話(汐見稔幸氏のコラム)

 ある会社の若い職員3人とその上司とで食事に行った時の事
 そのお店はお茶はセルフサービスになっていた。若い職員の近くに湯呑や急須が用意されていたけれども、若者の誰一人お茶を用意しようとしない。
 見かねた店員がお茶を用意してくれた。食後、上司がお茶をおかわりしたかったが、その様子に気が付く様子もないので、上司がわざわざ席を立ったが、若者は恐縮する様子もなく、気が付かなくてすみません、というような態度もなかったそうだ。


NHKの番組ではこれを大人の発達障害と言っていたが、これは少なからず親に責任があると思っている。③では「社会的配慮の姿勢は、子どもの頃から育ちの中で身につけるものだと思う」と書かれていた。

電車に乗っていても、街を歩いていても、携帯を触っている人が多く、自分のことしか見えていない人が増えたように思う。
今は携帯でテレビを見ることもできますし、食事を作らなくてもコンビニなどで済ませることができます。生活が豊かになり、誰かのことを気にかけながら過ごす時間が減り、人のことをさりげなく配慮する力が育ちにくくなっている。

ではどうするか?

(ここからは本文をそのまま引用します)

 ではどうするか。
 やはり家庭で、たとえば食事のときに、子どもが配膳をするとか、食後いっしょに茶碗を洗ったりするとか、家族での協同作業をさせることが大事ではなかろうか。家の掃除も週1回程度、みんなできちんとやるというような習慣を作ることが大事だ。
 そうした協同作業のなかでこそ、世話をし、世話をされるということの大切さを身をもって学ぶことができるのではないか。ちょっとしたことに気が付くこと、他人へ配慮すること、その力は大人が責任もって育てるべきものなのだ。


(引用終了)

気持ちを察することができる人が少なくなっている。
気持ちを察してもらえない事にイライラするより、はっきりと伝えた方がお互いのためなのかもしれない