何回も書いていることですが…
私は自分の気持ちを誰かに理解してほしくて、でも理解されなくて悩んだことがありました。
実母や妹とは不思議と言葉に出さなくても気持ちが伝わり、それが普通だと思っていました。
母が亡くなり、結婚してからは妹ともそれぞれの家庭が優先となり、話す機会はどうしても近くに住んでいる義母さんの方が多くなります。
結婚する時に「実母のように思ってね」と姑さんに言われたことが嬉しくて、自分の気持ちを話すのですが、実母のように言わなくても分かる関係に今でもなれません。
その上、言っても理解してもらえないことに悩みました。
今、私は高度不妊治療をしており、なかなか結果も出ず、年齢的にも身体的にも焦り始めていることを話すと、「40歳超えても妊娠している人がいるから大丈夫」と、その呑気な励ましが、私の持病による妊娠の難しさや卵子の老化などの生殖医療について全く理解できていないことを物語っており、腹が立ったことがありました。(何度も話したのですが…)
でも、最近ようやく“理解できなくて当たり前”ということに気づいたのです。
私が何年もの間、悩み辛かったことを少し話しただけで理解してもらうのは無理なことだと…
これまで一緒に生きてきたのではないのだからなおさら
これは義母さんも同じだと思います。
義母さんのこれまでの辛い経験を私は想像はするけど、本当にその辛さを理解できているだろうか…
実際に経験しないとその辛さは本当に分からないと思う。
実際に経験した人でもその辛さの程度には個人差がかなりある。
例えば、不妊治療といってもいろんな段階があり、不妊治療をしているからその辛さを皆が同じように分かっているとは限らない。そして、治療をしてすぐに授かった人と何度も採卵移植を繰り返す人とでは、不妊治療の辛さは分かり合えないと思う。そして、結果授かった人と授からなかった人とでも、不妊治療に対する印象や思いは全然違ってくると思うのです。
自分のことを本当に(100%)理解してくれる人はいないのか…と寂しく思ったこともありましたが、ふと自分が自分自身のことを本当に理解できているのだろうかと疑問に思いました。
これまで自分のことは自分がよく分かっていると思っていたのですが、ただ悲しい、ただ辛い…という表面的な感情だけだったことに気づきました。なぜ悲しいのか、なぜ辛いのか、どう悲しいのか、どう辛いのか、自分はどういう性格なのか深く考えていませんでした。
辛い現実に正面から向き合うのが怖かったのです。
楽しい時も嬉しい時も悲しい時も辛い時も、正面から向き合うことで、自分がこれまで気づかなかった自分自身に気づくことが多くなりました。
私が自分自身のことを分かっていないのに他人が私を理解することは不可能。
そのことが分かると、誰かに理解してもらえないことに悩むより、まず自分自身をしっかり見つめてみようと思うようになりました。
ブログを始めもうすぐ5年になります。
今振り返ってみると、ブログのおかげで自分の気持ちが整理でき自分を見つめることができたのではないかと思います。
当時辛かったことも今となってはよい人生経験だったかも…と少しずつ思えるようになってきました。
私は自分の気持ちを誰かに理解してほしくて、でも理解されなくて悩んだことがありました。
実母や妹とは不思議と言葉に出さなくても気持ちが伝わり、それが普通だと思っていました。
母が亡くなり、結婚してからは妹ともそれぞれの家庭が優先となり、話す機会はどうしても近くに住んでいる義母さんの方が多くなります。
結婚する時に「実母のように思ってね」と姑さんに言われたことが嬉しくて、自分の気持ちを話すのですが、実母のように言わなくても分かる関係に今でもなれません。
その上、言っても理解してもらえないことに悩みました。
今、私は高度不妊治療をしており、なかなか結果も出ず、年齢的にも身体的にも焦り始めていることを話すと、「40歳超えても妊娠している人がいるから大丈夫」と、その呑気な励ましが、私の持病による妊娠の難しさや卵子の老化などの生殖医療について全く理解できていないことを物語っており、腹が立ったことがありました。(何度も話したのですが…)
でも、最近ようやく“理解できなくて当たり前”ということに気づいたのです。
私が何年もの間、悩み辛かったことを少し話しただけで理解してもらうのは無理なことだと…
これまで一緒に生きてきたのではないのだからなおさら
これは義母さんも同じだと思います。
義母さんのこれまでの辛い経験を私は想像はするけど、本当にその辛さを理解できているだろうか…
実際に経験しないとその辛さは本当に分からないと思う。
実際に経験した人でもその辛さの程度には個人差がかなりある。
例えば、不妊治療といってもいろんな段階があり、不妊治療をしているからその辛さを皆が同じように分かっているとは限らない。そして、治療をしてすぐに授かった人と何度も採卵移植を繰り返す人とでは、不妊治療の辛さは分かり合えないと思う。そして、結果授かった人と授からなかった人とでも、不妊治療に対する印象や思いは全然違ってくると思うのです。
自分のことを本当に(100%)理解してくれる人はいないのか…と寂しく思ったこともありましたが、ふと自分が自分自身のことを本当に理解できているのだろうかと疑問に思いました。
これまで自分のことは自分がよく分かっていると思っていたのですが、ただ悲しい、ただ辛い…という表面的な感情だけだったことに気づきました。なぜ悲しいのか、なぜ辛いのか、どう悲しいのか、どう辛いのか、自分はどういう性格なのか深く考えていませんでした。
辛い現実に正面から向き合うのが怖かったのです。
楽しい時も嬉しい時も悲しい時も辛い時も、正面から向き合うことで、自分がこれまで気づかなかった自分自身に気づくことが多くなりました。
私が自分自身のことを分かっていないのに他人が私を理解することは不可能。
そのことが分かると、誰かに理解してもらえないことに悩むより、まず自分自身をしっかり見つめてみようと思うようになりました。
ブログを始めもうすぐ5年になります。
今振り返ってみると、ブログのおかげで自分の気持ちが整理でき自分を見つめることができたのではないかと思います。
当時辛かったことも今となってはよい人生経験だったかも…と少しずつ思えるようになってきました。
そうですよ、他人(旦那含む)に理解してもらうのは無理があります。最終的には自分で解決・消化していくしかありませんよね。
逆にイキイキさん側から見て、幸せそうに見える他人にも悩みがあると思います。みんなそれぞれの人生です。みんな辛い部分は隠しているだけ。
イキイキさんも私も、もう40歳超えたんですもん!他人に振り回されず、選んだ道を進むのみ!
今になって、自分が一番無責任だったと思うようになりました。自分自身のことなのに自分が一番分かっていなかったのです。
>みんなそれぞれの人生です。みんな辛い部分は隠しているだけ。
おそらく、辛い部分を隠しても生きていける人は、とことん辛い思いをされたのではないかと推察します。
KABAさんのコメントを読ませていただき、いつもなるほどな~と納得してしまいます。
これからも、叱咤激励よろしくお願いします!!