今日も日々是好日

思うままに綴っています
ブログによって新たな自分を発見!?

主人の祈り

2011-11-04 08:55:44 | 日記(~2023年)
「信仰」や「祈り」って何なんだろう

主人と結婚し、主人実家が信仰をしていたから私も必然的に信仰に触れる事になった
主人の家族は皆熱心に信仰しているが、「???」と思うような言動がある
お祈りしている間は感謝しているけど、それ以外では不平不満の言葉が多い
一緒にいると、すごく気分が暗くなる

主人は、朝晩1時間弱お祈りしている(般若心教を唱えている)
私の体が良くなるようにもお祈りしてくれている

でも、私が体調悪くても私が言わないと気付かない…
時々「大丈夫?」とは聞いてくれるけど、自分で何か考えて行動しようとはしない
すすんで家事を手伝うわけでもなく、お願いすると機嫌が悪くなる
私の状況や気持ちを考えるでもなく、面倒臭いことはしたくないようです
先日、ある書類に署名して欲しいとお願いすると、たちまち機嫌が悪くなり殴り書き
お祈りの時は観音様にご無礼がないように丁寧に丁寧にしているのに…
自分の時間を削ってお祈りするのは素晴らしいことだけど、普段がそれでいいの?
お祈りの時間、私や誰かのことを気遣う行動をしてほしいと思うのは我儘なのかな??

血を出して怪我している人の横で、手当をするでもなく、助けを呼ぶでもなく、ただそばで「よくなりますように」と祈っている状態に等しい
小さな子供じゃないんだから、もっと考えて行動できるのでは??

私も以前一緒にお祈りしていたが、主人の祈りがあまりに自己満足の祈りに思えてしまって最近ボイコットしている

主人が必死にお祈りすればするほど、私の孤独感が増します
お祈りしてくれるだけでも有難いと思わないといけないのに…

便利すぎるのも…

2011-11-02 11:02:41 | 日記(~2023年)
世の中便利なものが増え、機械が進化した分、人間は退化しているのではないかと思う…

セレナを売ってから、商用車(MT車)を拝借している
平坦な道を時々運転してますが、AT車のように右足だけで運転できません
左足も左手も使わないといけない
発進がまだスムーズにできないので、信号が変わる前に準備しないといけません
車の前の信号よりも、横の信号が黄色になるのに注意していますし、車間距離や周りの車にも敏感になっています
その商用車は窓が手動なので、窓あけるタイミングが難しい…
また、タコメーターがないので、クラッチをつなぐタイミングがよく分からない…
なのでエンジン音を覚えるために耳を澄まします
バックモニターもないので、以前より後方を気をつけるようになっています

両手両足、頭(五感)も使うので普段ボーッとしている私にとっては、心地よい刺激です

現在は便利な車も出てきました
バックモニターは今では当たり前?
障害物にぶつかりそうになったら勝手に止まる車もあるそうで…

安全重視なのは分かりますが、そういうものに頼り過ぎると、その機能が失われた時、人間はすぐに対応できるのかな??

以前、バックモニターを見ながらバックしてた車が看板に激突していました
バックモニターの死角に看板があったようです

便利な機能があっても、それを過信しない
便利な機能・機械が「主」ではなく、あくまで人間が「主」であり、便利な機能が「補助」という気持ちでいることが人間にも機械にもよろしいのではないかと…