父は食道が狭くなったので、入院中はずっと「お粥」。おかずも「きざみ」と書かれたメニューで、何もかもがきざんであったり、ほぐしてあったりだった。
今まで気付かなかったが人間は「がっつり食べたい」という欲求があるようで、「きざみ食」では物足りないというか、食べた感じがしないようだ。「食べられるだけ幸せよ」と励ましていたが、もしも自分だったらやっぱり愚痴るだろう。
それでこれからは母が調理に気を使わなくてはならず、大変だ。私も柔らかくて美味しくて、栄養のある料理を研究しようと思う。
今日はかぼちゃのポタージュといきのいい「カレイの煮付け」を作って食べさせた。昼、ビール、夜、日本酒を恐る恐る飲むそうだ
今まで気付かなかったが人間は「がっつり食べたい」という欲求があるようで、「きざみ食」では物足りないというか、食べた感じがしないようだ。「食べられるだけ幸せよ」と励ましていたが、もしも自分だったらやっぱり愚痴るだろう。
それでこれからは母が調理に気を使わなくてはならず、大変だ。私も柔らかくて美味しくて、栄養のある料理を研究しようと思う。
今日はかぼちゃのポタージュといきのいい「カレイの煮付け」を作って食べさせた。昼、ビール、夜、日本酒を恐る恐る飲むそうだ