ホモ・サピエンスの「非常に高い生殖能力」が理由なのか…種々の人類の共存時代の後に、「サピエンスだけ」が唯一生き残った「謎」
現代ビジネス より 240825 ブルーバックス編集部(科学シリーズ)
【】ホモ・サピエンスが関与したのか…古代生物がヒト繁栄の陰で絶滅していった
生命の誕生から約39億5000万年、そして、最初の人類が登場してから約700万年。
約46億年と言われる長い地球の歴史から見れば“ごく最近”のことではありますが、それでも気の遠くなるほどの時間をかけて、私たち「ホモ・サピエンス」の誕生に至りました。
サピエンスに至るまでの道のりを、【70の道標】に注目して紡いだ、壮大な物語『サピエンス前史』から、とくに注目したい「読みどころ」をご紹介してきたシリーズ。
今回は、ついに進化の旅の終着点「ホモ・サピエンスの登場」について解説します。
*本記事は、『サピエンス前史 脊椎動物から人類に至る5億年の物語』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
⚫︎気候変化の影響を受けた「種々のホモ族の栄枯盛衰」
ホモ・エレクトスの繁栄から始まる“慌ただしい”進化。“ルビコン超えの脳”だけが、この進化を促していたのだろうか?(「ルビコン超えの脳」については、こちらの記事を参照されたい。〈2種のホモ族に見られる、わずかな期間に遂げられた「驚愕の進化」〉)
基礎科学研究院(韓国)のアクセル・ティメルマンたちは、ホモ・エレクトス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・サピエンスといった人類各種の化石産出地の分布と、過去200万年間にわたるアフリカ大陸とユーラシア大陸の気候データを統合した大規模なコンピューター解析を実施。
これによって、ホモ属の進化の背景に、気候変化が関連していた可能性を導き出した。
⚫︎ホモ・ハイデルベルゲンシスの衰退とホモ・ネアンデルタールの支配権獲得
まず、ホモ・エレクトス*である。“ルビコン超えの脳”をもつ最初の人類となったこの種は、100万年以上にわたって、さまざまな気候帯を歩き回っていた。ユーラシア大陸に限定しても、ホモ・エレクトスの化石分布は広範囲にわたる。
こうしたデータから、ホモ・エレクトスは 環境の制約にとても“タフ”な「ゼネラリスト」だったとされる。
*ホモ・エレクトスの誕生と進化については、こちらの記事〈2種のホモ族に見られる、わずかな期間に遂げられた「驚愕の進化」〉を参照。
ホモ・エレクトスから進化したとされるホモ・ハイデルベルゲンシスは、祖先ほど環境に対する柔軟性を持ち合わせなかったらしい。
ヨーロッパで暮らしていたホモ・ハイデルベルゲンシスは、氷期・間氷期と繰り返す気候変化を受けながら、徐々に衰退していく。
そして、この衰退期にホモ・ネアンデルターレンシスが進化した。
そして、ヨーロッパのホモ属の“生息圏の支配権”は、ハイデルベルゲンシスからネア ンデルターレンシスへと少しずつ移り変わり、やがてヨーロッパにおいてハイデルベルゲンシスは絶滅することになった。
ホモ・ハイデルベルゲンシス(再掲)。人類。アフリカ、ヨーロッパに分布する更新世中期の地層から化石が発見された illustration by yoshihiro hashizum
なお、この時期のヨーロッパにおけるホモ属の“版図の拡大”は、間氷期だけではなく氷期にも行われている。スペインの国立人類進化研究センターのヘスス・ロドリゲスたちが2021年に発表したモデル計算によると、その背景には、耐寒能力の向上と、毛皮の衣服の使用などがあったという。
⚫︎サピエンス登場は、アフリカ大陸のどこかで…
乾燥耐性を得たホモ・サピエンス
いっぽう、ホモ・サピエンスは、アフリカ大陸を故郷とするとされているものの、大陸のどこがその故郷なのかは、絞りきれていない。
ティメルマンたちの分析では、約21万年前から約20万年前に気候が不安定化し、この時期にホモ・ハイデルベルゲンシスからサピエンスへと“生息圏の支配権”が少しずつ移っていった可能性が示唆されている。
“気候の不安定化”に関しては、2021年にケルン大学(ドイツ)のフランク・シェービッツたちも発表している。エチオピア南部のチューバハル湖の湖底堆積物を調べたシェービッツたちの研究結果によれば、約20万年前から約6万年前にかけて乾燥化傾向があった上で、時折湿潤な時期もあったようだ。
そして、約6万年前以降は、乾燥化傾向が強まっていくという。
ティメルマンたちによると、ホモ・サピエンスの“対気候優位点”は、「乾燥耐性」であるという。ホモ・ハイデルベルゲンシスやホモ・ネアンデルターレンシスなどと比較すると、私たちホモ・サピエンスは、乾燥に強いらしい。
この“対気候優位点”が、各地へホモ・サピエンスが広がっていくきっかけになったかもしれないとされる。シェービッツたちの研究では、その後、湿潤期を“上手に利用して”、新たな領域へと拡散していったことが示唆されている。
⚫︎“2強”に絞られていった、現時点で最新のシナリオ
誤解を恐れずに簡単にまとめてしまえば、ホモ・エレクトスは気候の変化に強く、長期間にわたって広範囲で栄えた。
しかし、ホモ・エレクトスから進化したとされるホモ・ハイデルベルゲンシスはホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・サピエンスよりも気候変化に弱く、ヨーロッパでは寒冷な気候に強いホモ・ネアンデルターレンシスに進化し、アフリカ大陸では乾燥に強いホモ・サピエンスに進化した、ということになるだろうか。
ホモ・ネアンデルターレンシス(再掲)。人類。ヨーロッパから西南アジアに分布する更新世後期の地層から 化石が発見されている。埋葬などの"文化"があった可能性が指摘されている。私たちの「隠れた祖先」とも言われる illustration by yoshihiro hashizume
いずれにしろ、ここで挙げたホモ属各種の特徴は、あくまでも化石産出地の分布と過去200万年間にわたるアフリカ大陸とユーラシア大陸の気候データにもとづくものだ。
気候への適応が、どのような身体的特徴として現れていたのかはわかっていない。
逆にいえば、化石からだけではわからない“獲得された性質”が存在する可能性を示唆しているといえるだろう。
⚫︎そして、サピエンスだけが、生き残った
かくして、現生人類である「ホモ・サピエンス(Homo sapiens)」の登場となる。
初期のホモ・サピエンスの化石は、アフリカ大陸東部で発見されるものが多い。中新世以降、このアフリカ大陸東部は、「大地溝帯」と呼ばれる“巨大な谷”があり、多くの湖が点在していた。
初期のホモ・サピエンスは、そうした湖の周囲で暮らしていたとみられている。この地域に分布する地層からは、ホモ・サピエンスの多くの化石がみつかるのだ。
大地溝帯*から発見されたホモ・サピエンスの化石の中で最も古いものは、エチオピアから産出している。2022年にケンブリッジ大学(イギリス)のセリーヌ・M・ヴィダルたちが発表した研究によると、その化石の年代は約23万年前のものであるという。
いっぽう、最初期のホモ・サピエンスの化石は、大地溝帯から遠く離れたアフリカ大陸北西部のモロッコで発見されている。2017年にマックス・プランク進化人類学研究所(ドイツ)のジャン=ジャック・ユブランたちが報告したその化石は、約31万5000年前のものであるという。
ホモ・サピエンスの“故郷”がアフリカ大陸にある可能性はかなり高いものの、では、「アフリカ大陸のどこ」が“進化の舞台”となったのかは、定かではない。
*大地溝帯:主にエチオピアからタンザニアにかけてアフリカ大陸を縦断する巨大な谷で、プレート境界の一つ。
⚫︎新たな発見と研究により、さらに複雑になる“人類史”
いずれにしろ、ホモ・サピエンスはアフリカ大陸で生まれ、そして、世界へと拡散していった。のちに海を越え、太平洋の島々にも進出する。大洋を渡った人類は過去になく、ホモ・サピエンスだけである。
そして、これまで見てきたように、「かくして、現生人類である『ホモ・サピエンス』の登場」とはいえ、登場した時点では、ホモ・サピエンスだけが唯一無二の人類ではなかった。
交雑し、その遺伝子がホモ・サピエンスの中に残るホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人はもとより、ホモ・フローレシエンシスもいたし、“ルビコン超えの脳”をもつ最初の人類となったホモ・エレクトスもまだ命脈を残していた。現時点で、学名をつけるほどの情報がそろっていない人類も多くいた。
ホモ・フローレシエンシス。人類。インドネシアのフローレス島に分布する更新世後期の地層から化石が発見された illustration by yoshihiro hashizume
ゲノム解析のみによって示唆される人類もいる。ハーバード大学(アメリカ)のデイヴィッド・ライクは、著書『交雑する人類』(2018年刊行)において、デニソワ人が未知の人類と交雑したと考えなければ、「説明がつかない」と強い語調で言及している。
今後の発見と研究により、“この数十万年間の人類史”は、さらに複雑なものとなっていくことだろう。
しかし、いずれにしろ、こうした多様な人類は、やがて姿を消していく。交雑し、その遺伝子を残すほどに近縁であったホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人も約4万年前までに姿を消した。
私たちホモ・サピエンスは、唯一生き残った人類だ。
明暗を分けたのは何なのだろうか?
⚫︎ホモ・サピエンスが誇る「高い繁殖能力」がカギだったのか
ライクは、前述の著者『交雑する人類』の中で、ホモ・ネアンデルターレンシスから継承された遺伝子の中で、生殖能力に関する部分が自然選択によって強力に排除されていったことに言及している。
そもそも動物全般に通じる現象として、本来、交雑で生まれた子孫は繁殖能力が低くなる。しかし、ホモ・サピエンスでは、そうはならなかった。
また、国立科学博物館の篠田謙一も、著書『人類の起源』の中で、ホモ・サピエンスがホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人から継承しなかった“生殖に関する遺伝子”に注目し、「案外、私たちが残ったのは、単により子孫を残しやすかったためなのかもしれません」と綴っている。
私たち「ホモ・サピエンス」という一つの種に絞って、その歴史をたどってみたら、どのような道程が見えてくるのか、というテーマから、そうした進化の道のりの傍に立つ【70の道標(みちしるべ)】に注目してきた“最後の道標”として、「高い繁殖能力」を挙げておくとしよう。もっとも、この特徴が“確定した道標”となるかどうか、いつ獲得されたのかについては、今後の研究の展開次第である。
* * *
繁栄を誇ったホモ・サピエンス。その繁栄の影「人類が滅ぼした“古生物”」とは…こちらもぜひお読みください。
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