goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

🚶…仏徳山…正覚寺…太閤堤跡公園…Alp 240828

2024-08-28 21:39:00 | 📖 日記
🚶…右岸堤防道…Alp👫🛒…戰川沿…>
🚙⇆妻🚉
🚶…右岸堤防道…朝霧通…さわらびの道…又振…さわらびの道…仏徳山遊歩道↗︎同:展望台👀↗︎同:山頂↘︎仏徳山/朝日山渓谷↘︎仏徳山裏山道…さわらびの道北東端…源氏物語ミュージアム外周沿…東内…朝霧通…正覚寺🙏…朝霧通…太閤堤跡公園(茶づな🥮🎎🍦)…右岸堤防道…Alp:百均🪑↩️…右岸堤防道…>
🚶12018歩15F

⛅️:仏徳山展望台28℃:風やや強く心地よく
 久々に暑い感を意識しない散策。陽射し雲隠れ風やや強く心地よく。
 展望台にて市内に落雷のイナズマを👀、上から見下ろす感じで!凄い光景
 展望台から〜裏山道間で傘不要の雨

正覚寺:珍しくご本尊:不動明王坐像がご開帳🙏:ありがたい
茶づなへ源氏の君関連グッズ等購入に,売上協力の心。🍦抹茶美味,🥮も。


夜)🚙⇆🚉👭




正覚寺にて












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二元論を超えて ハイデガーからメルロ=ポンティ、大森荘蔵の知覚論 2024/08

2024-08-28 21:14:35 | なるほど  ふぅ〜ん

二元論を超えて ハイデガーからメルロ=ポンティ、大森荘蔵の知覚論
  NewsPicks より 240828  唐戸 信嘉


 前回、プラトン以来の「実像」と「模像」という二元論に基づく、いわば現代の世界認識のモデルについて話しました。
 こうした二元論は、主体ー客体という図式にも呼応していて、私たちの認識を常に「こちら」と「あちら」に分解する傾向があります。
 知覚という観点からみると、私の視線の先にある対象としてのリンゴがあって、それを見ている私という主体が想定されます。いわば私が「こちら」であり、リンゴが「あちら」です。この場合、あちらにリンゴそのものという実体があり、こちらにいる私が受け取るのは光によって伝えられ、眼球を通過して網膜に映ったその影像だということになります。
 いわば、リンゴは二つ存在しているわけです。実体とその影像という風に。
ほとんどの人が、この説明を常識的なものと感じると思います。
 現代科学はこうした説明をその基礎にしているからです。

 ですが、プラトンに始まり、デカルトによって強化され、近代科学が後押ししてきた「実体とその影」という二分法は、二十世紀以降の哲学によって反駁されてきました。
 依然として常識を覆すほどにまでは至っておりませんが、そうした反駁は精細を失った世界像、堂々巡りに陥っている人間と世界の関係性を再構築する、思わぬ手がかりを与えてくれます。映像というものをどう考えるべきかについても、私たちの考えを刷新する力さえ秘めています。
 ここではハイデガー、メルロ=ポンティ、大森荘蔵といった脱二元論の陣営(「表象」否定派)の主張をざっと紹介してみたいと思います。

⚫︎ハイデガーのプラトン批判
 マルティン・ハイデガーはそれまで哲学の主流であった認識論から存在論へと焦点をずらし、存在の意味を問うことで私たちの認識の過ちを指摘した人です。
 彼は『形而上学入門』(川原栄峰訳、平凡社ライブラリー)の中で、「ソフィストたちとプラトンとにおいて初めて、仮象は単なる仮象だと説明され、したがって格下げされた。これと時を同じうして、存在はideaとして超感覚的な場所へまつりあげられる」(p.175)と述べています。「仮象」というのは哲学用語で、日常的な言葉とは言い難いですが、「外見」くらいの意味です。
 つまり、プラトン以降になると、私の目に見えるリンゴとは「外見」だけで完結するものではなく、「イデア」という目には見えない実体と「外見」というその影の両面があるものとして理解されるようになる。しかしハイデガーは、外見を単なる外見にすぎないとして蔑む態度をこそ批判します。

 仮象を何かただ「想像されたもの」「主観的なもの」と考えて偽化してしまわないように注意せねばならない。むしろ、現象が存在者そのものに属しているように、存在者には仮象もまた属していると言わねばならない。
 マルティン・ハイデッガー『形而上学入門』(川原栄峰訳、平凡社ライブラリー)p.174より
 ハイデガーによれば、ギリシア哲学はプラトン以降の時代になると、存在とロゴス(言語)を分離して考えるようになる。存在は客観であり、ロゴスは主観の側にある、と。
 そしてロゴスこそが真なる実体(イデア)で、それは主体者である「私」の精神こそが認識するものであり、一方客体はイデアの影に過ぎず、劣ったものである、と。
 けれどもハイデガーは、この分離はまことしやかな誤解だと考えます。

⚫︎メルロ=ポンティによる主客図式の廃止
 ハイデガーと同じく現象学に多くを学んだメルロ=ポンティは、「私」の経験を越境することなく世界の認識モデルの再構築を目指しました。彼は、「身体を世界の中に置き、見る者を身体の中に置き入れたり、あるいは逆に、世界と身体を、まるで箱の中にでも入れるように、見る者の中に入れこんでしまうような大昔からの偏見を捨てなければならない」(『見えるものと見えないもの』(滝浦静雄.木田元訳,みすず書房)pp.191-192)と言います。
 メルロ=ポンティは、身体(肉体)に属さぬ主体や視点を想定することは現実の歪曲であるとして厳しく批判します。
 彼は、プラトン以来の、認識の主体である「私」が優越的な立場にあり、客体である世界や物は、被支配的な立場に置かれているというこの図式をひっくり返します。彼は挑発的にもこんな風に言うのです。

 物がわれわれをもつのであって、われわれが物をもつのではないということだ。(中略)言語がわれわれを所有しているのであって、われわれが言語を所有しているのではない、ということだ。存在がわれわれのうちで語るのであって、われわれが存在について語るのではない、ということなのだ。
M・メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』(滝浦静雄.木田元訳,みすず書房)p.276より
 メルロ=ポンティは、主体と客体の優劣関係を廃棄し、両者は渾然一体であり、相互的にしか存在し得ないものだと言います。私は以前、このトピックスで風景論について書いたとき、同様の話をしました。風景には「私」は映っていない(描かれていない)が、その風景はよくよく考えれば「私」のまなざしがとらえた映像そのものであり、その限りにおいて「私」そのものである、と。上で語られていることも同じ理屈です。
 つまり、「私」と呼ばれているものを分解すると、物へ注がれたまなざしであり、物に対する反応としての感情であり、言語である、ということになりますが、そうすると純然たる「私」はどこにも残らないことになります。だから、「私」という主体はそれ自体で存在する確固たる実体ではないということになります。
 どこから客観的な世界で、どこから主観的な「私」がはじまるのか、明確な線引きは不可能だと判明します。

⚫︎大森荘蔵と「風情」
 私がたびたび言及している大森荘蔵も、こうした流れのもとに、一元論的な世界観への回帰を促しました。ここでは映像論に関わりそうな部分だけ引いてみます。大森の映像論への決定的な貢献は,「風情」(ふぜい,ではなく,ふうじょうと訓ずる)という概念の発明にあるでしょう。
 人の顔に表情があるように,風景にも表情があり,それを彼は風情と名づけました。風情は「私」と言う主観の側の産物と考える必要はなく,風景そのものに宿ると彼は念を押します。

 風情が普遍であることに疑いはない。それゆえ風情は何にもまして言語に親和的であり、したがって過去想起に適合している。事実、想起される過去で支配的なのは風情であって、知覚的要素は欠落している。(中略)実際例えば過去の風景を想起するとき知覚的細部が失われているのに対して、明るい生気とか果てのない広がりとかの風情が鮮やかに保たれているのを多くの人は経験しているだろう。
 つまり、人は色や形の近くよりも風情の方をよく憶えているのである。
大森荘蔵『時間と自我』(青土社)p.252より
 記憶の映像も画家が描く絵も,そこに描かれているものは,大森の言葉を使えば風情ということになります。それは知覚像とは異なる。記憶の映像も絵画も,背後では言語に支えられており,そこでは写実的リアリズムが問題なのではなく,風情という「意味」こそが生命である。
 ハイデガーが問題視した存在とロゴスの分離が、大森哲学の中では縫合され、原始的一体性を取り戻しています。したがって絵画と写真の違いは、風情の有無によって特徴づけられるでしょう。
 写真が風情を欠くのは、それを撮影するのが人間ではなく機械だからです。画家が風景を描くとき、画家は風景を切り取るわけではありません。それを描く自分と世界の関係性、しかもそのときその場所における自分と世界の関係性そのものを、絵に描くのです。描かれているのは知覚像の断片ではなく、コンテクストも描き込まれているわけです。
 しかし、写真のような機械が生成する映像にはそれがない。

 まとめましょう。二元論的モデルから一元論的モデルへの回帰は、映像を考える場合にも大きな示唆を与えてくれます。最大のものは、主体ー客体という図式の廃棄で、映像を見る主体の特権的な地位の廃止です。
 見る「私」はもはや映像の支配者ではなく、まなざしの対象はもはや被支配的な地位に甘んじていません。両者が互いに影響を与え合い、リアリティを作り上げるわけです。主体と客体という図式を手放さないにせよ、お互いがお互いの根拠である事実が強調されるでしょう。
 また、私たちの見る行為において、肉体や言語がきわめて重要な役割を演じていることも、一元論は明らかにしました。つまり,私たちが見るのと,カメラのような機械が見るのとでは,大きな違いが生じるということです。
 評論家の加藤典洋がかつて『日本風景論』(講談社,1990)で,フォト•リアリズムの絵は「痛々しさ」「不自由さ」を感じると述べたことがあります。それは,人間が見るときには言語の作用でイメージの細部が捨象され,いわば風情だけを見るのに対し,カメラが撮るような映像は鮮明すぎて,非人間的なイメージができあがる,という意味だったわけです。
 私たちは今では,機械が作成した非人間的な知覚像に慣れすぎて,こうした違和感を忘れてしまっていますが,映像が登場するまでは風情に還元されない知覚は存在しなかったことを考えると,非人間的イメージで充満している現代の生活,そしてあまり違和感を感じずに生きている私たち自身に,不気味なものを感じずにはいられません。
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2024年で「固定電話」☎️サービスが終了!?自宅にある電話は使えなくなるの? 202408

2024-08-28 20:56:00 | 気になる モノ・コト

2024年で「固定電話」サービスが終了!?自宅にある電話は使えなくなるの?
 執筆者 : FINANCIAL FIELD編集部 240828 


 日本の固定電話サービスが大きな変革期を迎えています。
NTTは、アナログの固定電話網をIP網へ移行する計画を進めており、2024年1月からサービスの切り替えが始まっています。
 そこで気になるのはIP網へ移行すると自宅にある電話は使えなくなってしまうのかということです。

※本記事では、IP網への移行の背景や通話料金はどのように変わるのかについて解説していきます。

⚫︎アナログ固定電話はIP電話に統一される
 総務省によれば、NTTのアナログ固定電話網は、電話の交換設備が2025年ごろに維持限界を迎えることや加入電話の契約数も減少していることなどを背景に、2025年1月までにIP網への移行が予定されています。
 これにより、ユーザーである私たちはIP電話を利用することになります。
IP電話は、距離に依存しない均一料金が特徴で、通話品質も現行のものと同等の水準が保たれる見込みです。


☎️通話料金について
 通常固定電話の料金は、基本料金(回線使用料)と通話料金がかかります。固定電話のIP網への移行に際して、基本料金はこれまで通りで変更はありませんが、通話料金については距離に依存しない全国一律の分かりやすい料金体系に変わります。
 IP網移行前の通話料金と、IP網移行後の通話料金は表1の通りです。

表1

出典:NTT東日本「固定電話(加入電話・INSネット)のIP網移行 料金」を基に筆者作成

 現行の距離に応じた料金体系から全国一律の料金に変更される予定で、コストの透明性が向上する見込みです。

☎️固定電話の種類
 今回移行になるIP電話以外にも、固定電話にはおもに次のような回線があります。詳しく見ていきましょう。

【アナログ回線】
アナログ回線は、インターネットを利用せず、音声もデータ変換されずに銅線でそのまま伝送される電話回線です。インターネットの回線状況に左右されないことがメリットとしてあげられます。

【ISDN回線(デジタル回線)】
ISDN回線(デジタル回線)は、デジタル化した音声を銅線を使って伝送する電話回線です。音声をデジタル化することにより音声がはっきりと明瞭になり、1契約で2通話利用が可能だったり、通話しながらFAXもできたりします。

【IP電話】
IP電話は、デジタル化した音声データをインターネット回線を経由してやり取りする電話回線です。「050」で始まる番号が多く、インターネットを利用していれば通話料金を安くおさえることも可能です。

【光電話】
IP電話の一種である光電話は、データ化した音声をインターネット接続の光回線を使ってやり取りする電話回線です。通話品質が安定している一方で、ネット回線の混雑時には通話品質が低下することもあります。

☎️IP網移行に伴う手続きや切り替え工事は必要?
 NTT東日本によれば、サービス移行に伴い、利用者の自宅などでの手続きや工事は不要であり、現在利用中の電話番号や電話機もそのまま利用可能となっています。
 また、この移行に際し悪質な販売勧誘には注意が必要です。
NTTは、既存の電話機などがIP網でも利用可能であり、端末購入は不要であると明言しています。
特に「今までの電話機が使えなくなる」などとして、必要のない機器購入・設置契約を強引に迫るなどの悪質な販売勧誘には注意するようにしましょう。

☎️固定電話のIP網移行に伴う手続きや工事は不要|通話料金は全国一律に
 2025年ごろに電話の交換設備が維持限界を迎えることや加入電話の契約数の減少などにより、現在IP網への移行が進められています。
 固定電話のIP網への移行は,日本の通信インフラにおける重要な転換期といえるでしょう。
 具体的には、移行に関する手続きや工事は不要であり、現行の距離に比例した料金体系から全国一律の料金に変更されます。

 固定電話のIP網移行・工事完了状況はNTTの公式サイトで確認可能です。気になる方は一度確認してみてはいかがでしょうか。


◆出典
総務省 固定電話網の円滑な移行
NTT東日本公式ホームページ 固定電話(加入電話・INSネット)のIP網移行 料金
NTT東日本公式ホームページ 固定電話(加入電話・INSネット)のIP網移行 IP網移行の概要

執筆者:FINANCIAL FIELD編集部
ファイナンシャルプランナー
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福沢諭吉にだけ見えていた景色…知らないうちに日本人が立たされていた「岐路」 202408

2024-08-28 01:44:00 | なるほど  ふぅ〜ん

福沢諭吉にだけ見えていた景色…知らないうちに日本人が立たされていた「岐路」
  現代ビジネス より 240828  藤田正勝


 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。
 そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。
※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。

⚫︎福沢諭吉と西周
 福沢諭吉もまた、西周と同様、近代化の現場の渦中にいた一人である。その渦中にいただけでなく、福沢こそ、西洋の衝撃を誰よりも意識的に──単なる驚きとしてではなく、生じるべき変革と結びつけて──受けとめた人であり、その変革について──その理念と道筋とについて──くり返し語り続けた人であったと言えるであろう。

 もちろん福沢は哲学を主たる研究対象とした研究者ではなかったが、近代化──福沢の表現では「文明」化──についての理解、さらにその学問観は日本の近代的学問の確立に大きな影響を与えた。その点を以下で具体的に見ていきたい。


 福沢が一八七五(明治八)年に刊行した『文明論之概略』は、彼の数多い著作のなかでも、彼の思想の根幹にあるものを──言いかえればその原理に関わるものを──もっともまとまった形で表明したものであった。そこで福沢が問題にしたのは、表題の通り「文明」、ないし「文明」化であった。
 福沢はまさに「文明」化の必要性を説いてやまない人であったと言うことができる。

 福沢の「文明」についての理解において重要なのは、「外の文明」と「内の文明」とを区別した点である。
「外の文明」が目に見える形での文明の成果であるとすれば、「内の文明」は、それを生みだすもととなったものの見方であり、行動の原則である。
そして文明化を実現するためには、「外の文明」ではなく「内の文明」を優先しなければならないというのが福沢の基本的な考えであった。

 それは明らかに、進行しつつある西洋受容に対する福沢の痛烈な批判を背景にした主張であった。
「外の文明」を支える内なるものにまったく目を向けることなく、ただ衣食住や法律、制度など、外に見えるものだけを移植しようとする表面的な文明論者の態度を福沢は厳しく批判したのである。

 福沢は「内の文明」のもとに何を理解していたのであろうか。それは、「文明」化を支える「精神的基盤」とも言うべきものであるが、それを福沢はまず、「旧慣に惑溺せず」という態度のなかに見ていた。
 習慣的となったものの見方や考え方にとらわれ、他のものが見えなくなった状態から脱却すべきことを福沢は主張したのである。

 この「惑溺」からいかにして脱却することができるか、言いかえれば、いかにして精神の自由を実現することができるか、それが『文明論之概略』で福沢が論じようとしたもっとも大きな問題であった。
 そのために不可欠と福沢の考えたものが二つある。一つは「疑の心」であり、もう一つは、思考・見解・価値の多様性である。

『学問のすゝめ』(一八七二―一八七六年)においても福沢は、「西洋諸国の人民が今日の文明に達したる其源を尋れば、疑の一点より出でざるものなし」と述べ、疑いこそが、文明の源であることを主張している。
 習慣として固定化したものの見方や先達の主張・論証を疑い、改めて検討することから、新たな法則や新たな真理の発見がなされるのであり、疑いなくしては文明の進歩はありえないというのである。

 福沢が文明化に、あるいは自由の実現に必須な前提として、懐疑の精神とともに注目したのが思考・見解・価値の多様性であった。
『文明論之概略』において次のように述べている。「単一の説を守れば、其説の性質は仮令い純精善良なるも、之に由て決して自由の気を生ず可らず。自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し」。

⚫︎「合理的な思考」とは
 なぜ「純精善良」な見解・主張が自由と相反するのであろうか。あるいは、なぜ多くの見解・主張が対立し、相争うところに自由の気風が生ずるのであろうか。その問いに福沢は直接答えてはいないが、次のように考えることができるであろう。
 さまざまな見解や主張を許容し、それぞれの根拠を相互に検討し、最善のものを選択するところに議論の地盤が形作られる。ただ一つの説の支配は、逆に、そのような議論の場の成立を妨げる。あるいは、議論の技術の成熟を妨げる。いま述べたような議論の地盤が成立しているところにこそ、自由に議論を戦わし、真理を目ざす気風が生まれると考えられる。

 福沢が「外の文明」と「内の文明」とを区別し、「内の文明」の重要性を強調したのは、ただ単に「外の文明」を無反省に取り入れようとする時代の風潮を批判するためだけにではなく、それと同時に──そしてより根本的には──、いわゆる「東洋道徳西洋芸術」といった考え方を批判するためでもあったと言うことができる。
 世界観や道徳観は伝統的なものをそのままとり、その上に西洋の技術文明を接ぎ木するという発想を批判することが福沢の文明論の核心をなしていたと言ってもよい。
 彼の近代化論は、明らかに学問の変革という問題に結びついていた。

 そのことを端的に示していると思われるのは『福翁自伝』(一八九九年)の次の文である。
「東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於て数理学と、無形に於て独立心と、此二点である。
……人間万事、数理の外に逸することは叶わず、独立の外に依る所なしと云う可き此大切なる一義を、我日本国に於ては軽く視て居る。……全く漢学教育の罪である」。

 ここで福沢は東洋に欠け、その文明化に必須なものとして、「数理学」と「独立心」の二つを挙げている。
「独立心」については、先に見た、習慣的となったものの見方や考え方にとらわれずに自由に思索し、行動する精神を指すと考えてよいであろう。
「数理学」はさしあたっては数学と物理学を指すが、より広く合理的な思考を支える基礎的学問を指すと考えてよいであろう。
 そのような学問の受容が文明化の必須な前提であると福沢が考えていたことを、先の文章はよく示している。

 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
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