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📙 平成育ちの歴史学者が描く、団塊からZ世代まで必読の日本の全貌 『平成史―昨日の世界のすべて』202108

2021-08-05 01:03:00 | 📗 この本

小泉純一郎から安室奈美恵まで――平成育ちの歴史学者が描く、団塊からZ世代まで必読の日本の全貌 『平成史―昨日の世界のすべて』(與那覇 潤)序章公開
  本の話 より  210805  與那覇 潤

『平成史―昨日の世界のすべて』(與那覇 潤)
 同時代史が描けない
 青天の下の濃霧だ――。

 平成期の日本社会をふり返るとき、それが最初に浮かぶ言葉です。

 2019年の4月に幕を下ろした、平成という時代。どこか寂しさが漂っていたその終焉の風景すらも、いまは記憶が朧げになりつつあるところでしょうか。

 改革の「不徹底」が停滞を招いたと悔やむ人がいる傍で、逆に「やりすぎ」が日本を壊したとこぼす人もいた。ネットメディアの普及が知性を劣化させたと咎める人の隣に、オールドメディアの持続こそが国民を無知にしていると苛立つ人がいた。

 正反対の理由で、しかし共通に失望される不思議な――ある意味で「かわいそうな時代」として、現在進行形だったはずの平成は、過去になってゆきました。

 昭和史(ないし戦後史)を語る場面であれば、私たちは自身が体験していないことも含めて、今日でもなお、共有されたイメージで話すことができます。悲惨な戦争と焦土からの復興、高度成長と負の側面としての公害、学生運動の高まりと衰退、マネーゲームとディスコに踊ったバブル……。美空ひばり・田中角栄・長嶋茂雄といった組みあわせを口にするとき、背後には「豊かさを目指してがむしゃらに駆けていったあのころ」のような、統一された時代像がおのずと浮かびます。

 ところがより近い過去であるはずの「平成史」には、そうした前提がない。安室奈美恵と小泉純一郎と羽生結弦の3人を並べても、共通するひとつのストーリーを創ることはできそうにありません。

 あるいは、「あの戦争」という言い方を考えてもよいでしょう。昭和史の文脈で「あの戦争」が指すものは自明ですが、平成史ではどうか。たとえば中東に限ってすら、90年代の湾岸戦争か、ゼロ年代のイラク戦争なのか、10年代のIS(イスラム国)との戦争を指すのか、ぴたりと言い当てることは至難ではないでしょうか。

 まるで霧のなかに迷い込んだかのように、全体像を見渡しにくい時代。しかし奇妙なのは、空が晴れていることです。

 たとえば安室さんのヒット曲は、ほぼすべてのビデオをYouTubeで見ることができます。1999年の第145回国会からインターネット中継が始まったおかげで、小泉政権以降の政治家の主要な発言は、大量のコピーがウェブ上に拡散しています。政治がオープンになり、文化がアーカイブされたいま、私たちはかつてなく「見晴らしのよい社会」に住んでいるはずなのです。

 それなのに、共有できる同時代史が像を結ばない。こうした困難は、ふだん歴史をふり返ることのない人たちにとっても、日常に影を落としているように思います。

⚫︎分断と画一化の併存
 たとえばいま、社会の「分断」が進んでいるとされます。平成期に展開した雇用の自由化により、正規雇用者と非正規雇用者のあいだで生まれた経済的な格差は、やがて結婚できる/できない、子どもをつくれる/つくれない人びとの相違を作り出し、人生観や価値体系さえもが異なる文化的な断絶へと深まっていった。

 インターネット上ではサイバーカスケード(=同じ嗜好のサイトにしか接続しない傾向)が進展し、異なる意見の人とは対話がなりたたない。かつては人びとに衝撃を与えたはずのそうした指摘が、いまやはじめから議論の前提になっています。

 しかしながら裏面で、この社会は確実に「画一化」もしています。昭和の時代には「政治家なら裏金くらいあって当然」・「芸能人だもの、不倫のひとつやふたつは当たりまえ」ですまされたことが、よし悪しは別にしてもう通らない。

 ローカルな慣習や暗黙の合意で処理されてきた事案が、ひとたび白日の下にさらされるや、非常識きわまる利権として糾弾が殺到し、だれも弁護に立つことができない。※1 コンフォーミズム(順応主義)を色濃く帯びたマス・ヒステリーは、もはや定期的な祭礼として定着した観さえあります。

 晴れた空の下を塗りこめる霧のように、引き裂かれながら均質化してゆく社会という不思議。その逆説を解けないことがいま、私たちにとって「知ること」や「考えること」をむずかしくしています。※2

 Instagramで友人はおろか、著名人の私生活でも覗き見できる今日、彼らについて以前よりも多くを私たちは「知って」います。ところが、それが相互理解を深めているとは思えない。作家のAと評論家のBが仲たがいしたといった、昭和なら文壇バーの常連でないと耳に入らなかった風聞も、二人のTwitterをフォローするだけでわかります。しかしそのことは、彼らの作品について深く「考える」きっかけにはならない。

※1 開沼博『日本の盲点』PHP新書、2021年、62―65頁。 ※2 宇野常寛『遅いインターネット』幻冬舎、2020年、184―192頁。

「全体像」を指し示すことが、かつては有識者の使命とされていました。とくに冷戦体制に依拠する保守と革新の構図が崩壊してはじまった平成の前半には、右から左まで、高齢者から若者まで、都心でも地方でも、男性も女性も……と「可能なかぎり広い範囲に」届く形で社会の見取り図を提供するのが、価値ある行いとされる風潮がありました。

 平成の後半に学者と論壇人とを体験し、末期にそれらを廃業してみて思うのは、いまやまったく逆のエートス(気風)が、活字文化に定着したということです。

 せっかく大学勤めを辞めたので、当時ならまず読まなかった自己啓発やビジネスの書籍を手に取ってみると、あべこべで面白い。すなわち、想定する読者は30代前半までの未婚で都会に暮らす正社員の女性、のように「できるだけターゲットを絞って」発信するのが、ファッションのみならず言論の市場でも、マーケティングやブランド化という「意識の高い」戦略とされて久しくなっています。

⚫︎無限の反復のなかで
 そうした平成のあいだに最も信頼を失ったブランドが「学者」と「知識人」であることは、いまや誰もが知っているでしょう。しかしそれを、彼らがなにもしなかったせいだとするのは、あまりに酷な見方です。

 むしろ平成の前半には改革の潮流が、象牙の塔(大学)に籠りがちだった研究者を強く現実にコミットさせ、後半にはSNSなどのニューメディアを通じて、多くの言論人が過剰なほど情報を発信するようになりました。所属する組織の仕事をこなすのはもちろん、個人の資格で動画チャンネルやオンラインサロンを開設し、そちらでも講義やセミナーを担当する「働き者」さえ、いまや珍しくありません。

 にもかかわらずどうして、彼らはなにひとつ達成できず、反知性主義のもとで嘲笑される存在へと転落していったのか。実は先ほども述べた「同時代史を描けない」という事態こそが、まさにその原因であり結果でもあります。

 たとえば、ある学者が“目の前の時代”の診断として記した、以下の文章を読んでみてください。著者の名前と発表された年の組みあわせとして、「正しいものは」ともし聞かれたら、どの選択肢を選びますか。

 巨大組織による情報と資源の集積は、法の下における平等という前提をどんどん形骸化します。連続的に創出される変化は、個人の予測しえぬ将来の危険をいや増していきます。人々は平等の実質化と危険の回避を求めて集権的機構の傘下にわれがちに避難していきます。福祉社会においてわれわれが現認しているのはこうした逃走者の群れなのではないでしょうか。

 しかし、この場合、逃げていく彼らを弱い人間と罵るのはまったく不適当です。これこそが自由の帰結だからです。

  A 浅田 彰(現代思想)    1989年
   B 宮台真司(社会学)     1999年
    C 東 浩紀(哲学)      2009年
     D 落合陽一(メディアアート)2019年

 おそらくどれが答えだと言われても、これら各時代を代表する言論人の議論に触れたことのある読者は、「書いていてもおかしくないな」と感じるでしょう。

 しかし正解は、右記のどれでもない。西部邁(経済思想)が1979年、平成半ばに終刊することになる雑誌『諸君!』の4月号に寄せた、「反進歩への旅」という紀行文の一節です。※3

 これはけっして、先に名前を挙げた識者たちが怠惰だということではありません。むしろ私たちが生きる社会が直面する課題が、ここ半世紀ほどまったく変わっておらず――そしてなにより――そうした潜在する不変の構造を明るみに出し、私たちが常にそれに挑んできたという“同時代史”を描く営みが衰弱しているからこそ、過去の積み重ねが歴史として蓄積されない。

 結果としてあたかもループもののアニメのように、一定期間ごとに「同じような思想・運動」のブームが反復され、※4しかしまさに先行する経験を忘却しているがゆえに、挫折しては知性への信頼を損なってゆく。

⚫︎過去からの呼び声
 そうした状況は、実は平成期の日本に固有のものではありません。世界中で――いや、時期的に重なりあうポスト冷戦期の国際社会でこそ、より顕著であったかもしれません。

 実際に、「たかだか人間が全体像なんて、もう見渡さなくていい」といった議論は、いまやむしろ海外から、大きな声で聞こえてきます。

 インスタにアップする写真や、ツイートで使う語彙の膨大な蓄積をAI(人工知能)が解析して、ユーザーのひとりひとりに最適なターゲティングを代行してくれるようになる。そうしてメカニックに設定される、「あなたにとって最適な視野」の内側で暮らせば快適なんだから、それはそれで別にいいんじゃないか。IT業界の企業家はむろんのこと、歴史学者でもそう書く人が実際にいて、国を問わず広く読まれたりもしています。※5

『※3 西部邁『蜃気楼の中へ』中公文庫(改版)、2015年(原著1979年)、250頁(初出媒体により表記のみ修正)。サッチャー政権直前の英国滞在を踏まえたこの文章は、最初期の「新自由主義批判」でもある。 ※4 具体例とその分析は、斎藤環・與那覇潤『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』(新潮選書、2020年)の7・8章を参照されたい。
※5 ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 下』柴田裕之訳、河出書房新社、2018年(原著15年)、9・11章。』

 しかし、それはほんとうに心地よい世界でしょうか。あるいは、そもそも新しい発想でしょうか。
 たとえば情報技術がもたらす負の側面をより意識した、ある今日のデジタルアーティストの著作には、現代社会の隠喩としてこんな言葉が引かれています。

 思うに、神が我々に与えた最大の恩寵は、世界の中身すべての関連に思いあたる能力を我々人類の心から“取り除いた”ことであろう。……だが、いつの日か、方面を異(こと)にしたこれらの知識が総合されて、真実の恐ろしい様相が明瞭になるときがくる。そのときこそ、我々人類は自己の置かれた戦慄すべき位置を知り、狂気に陥(おちい)るのでなければ、死を秘めた光の世界から新しく始まる暗黒の時代(ニュー・ダーク・エイジ)へ逃避し、かりそめの平安を希(ねが)うことにならざるをえないはずだ。※6(括弧内と二重引用符は與那覇)

 世界の構造すべてを深層まで見通す試みは、神に委ねた方がよく、人間はそれを目指すとかえって不幸になる動物なのかもしれない。1926年にこう書いたのは、当時無名の怪奇小説家だったH・P・ラヴクラフト。この不気味な宣言に始まる短編「クトゥルフの呼び声」は、文通仲間や掲載誌のファンコミュニティによって関連作品が書き継がれ、無数のバリエーションを持つ偽史的な叙述の集積――人類“以前”に地球を支配した邪神たちを描く、いわゆるクトゥルフ神話群を今日に遺しました。

 インターネットの出現よりもはるかに先んじた、フェイクニュースのウィキペディアであり、人力で運営されるビッグデータですね。そして、1世紀前にはオカルト小説の前振りにすぎなかった「全体像の構築は、もう人間ならざるものの手に委ねよう」という感性が、デジタル社会を生き延びる手がかりとして参照されるところまで、私たちは来てしまった。

 一見すると、とてもこわい、それ自体がホラーのような話です。これまた世界各国に広がる終末思想や陰謀論の流行も、おそらくそうした心性が背景にあるのでしょう。

 ですが、それは悲報ではなく、むしろ朗報でもあるのではないでしょうか。

 私たちが抱える漠たる不安や恐怖は、けっしてここ数年に始まったものではなく、はるかに遠い過去にも起源を持っていた。だとすれば、そうした歴史をかつて生きたすべての人たちと、私たちはこれから“ともに悩む”ことができるはずです。

⚫︎なしたところを知るために
 たとえば私はいま、「なすところを知らざればなり」という言葉を思い出します。もとは新約聖書(ルカ伝。西暦100年前後の成立か)の一節で、十字架にかけられたイエスが「彼らは自らの行いを理解していないのだから」と、父なる神に寛容な裁きを求めて発したものです。ある意味でいま、たしかに私たちはGoogleに検索語を入れ、Amazonで商品を探すことで日々、やがて「人類“以降”の邪神」に至るかもしれぬデータの屑山を、自覚なきままに積みあげています。

 いっぽう、人間がキリスト教の神からの自立を模索した西洋近代のもとで、この警句を正反対の趣旨に転用したのは、『資本論』(第一巻、1867年)のマルクスでした。資本主義のもとで「等価」とされたモノどうしを交換するとき、実際には何が起きているのか――むしろ交換の成立を通じて初めて、新たな価値と支配のシステムを作り出してしまっていることに、人びとは気づいていない。

 逆にいえば、そうした構図の全体を描いて「自分たちは何をやっているのか」に気づかせることが、学者や言論の役割とされた時代が近代でした。私たちがいま立っているのは、そうした近代を続けるか否かの、大きな岐路にほかなりません。

 私たち人間は、これからも世界の主人公でいたいだろうか。それとも「なすところ」の解釈は機械じかけの新たな神にお任せして、近代をやめていったほうがよいのだろうか。

 ――決めるのは、過去からの声を聴いてから。ここに至るまでに、私たちが「なしたところ」を知ってからでも、遅くはない。

「なすこと」の意味がなんであるのか、それは青天下の濃霧に溶けて日々に見えにくくなり、見る必要はないとする思潮も蔓延して、ますます霧は濃くなってゆくように思えます。しかし、同じ道をかつて辿った人びとの記憶がともにあるなら、そのなかを歩くことは決して、孤独な旅路にはならないはず。

 さぁ、旅を始めましょう。私たちと同じ問いを、悩みを、平成ないしポスト冷戦の30年間に考え抜いた人びとの貴重な痕跡に、耳をすましながら。


※6 ジェームズ・ブライドル『ニュー・ダーク・エイジ テクノロジーと未来についての10の考察』久保田晃弘監訳、NTT出版、2018年(原著同年)、15頁(重引)。

(「序 蒼々たる霧のなかで」より)

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