石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 長浜市黒部町 大巳貴神社宝篋印塔

2007-12-08 02:09:27 | 宝篋印塔

滋賀県 長浜市黒部町 大巳貴神社宝篋印塔

小谷城の西方、黒部集落の北端、山寄りの場所にある大巳貴神社の境内、社殿向かって右手の石灯籠の傍らに宝篋印塔が立っている。長短の切石をロ字状に02並べ、その上に平べったい切石を2枚並べ基壇としている。基壇最下段はコンクリートで補修してあり、これら切石の基壇が当初からのものかどうかは不明。ただ、2枚の平石は塔本体と同じ石材で風化の程度も近く、一具のものと考えて不自然ではないと思う。基礎は低く、四面輪郭を巻き、格狭間を配している。格狭間内はすべて素面。輪郭、格狭間の彫り込みが深い。基礎上2段。塔身の上下にセメントが塗られ補強されている。塔身はやや背が高く、四方に種子があることは分かるが摩滅が激しく判読できない。笠上6段下2段で、笠下の段形は笠上に比べ薄い。軒はやや厚く、大きめの3弧輪郭付き隅飾が軒と区別して直線的に少し外傾する。輪郭内は素面。相輪も完存し、伏鉢の曲線は円筒状に近く硬い。下請花は複弁、上請花は単弁のようである。宝珠は完好な曲線を描くが請花とのくびれがやや強めである。この地域特有のきめ目が粗く白色っぽい花崗岩製で全体に表面の風化が進行しているが基礎から相輪まで完備している。目測だが5尺ないし5尺半塔と思われる。紀年銘は確認できないので、造立時期は不明とするしかないが、概ね14世紀前半頃とみて大きく誤りはない。境内入口には鐘楼があり、廃絶した別当寺があったのだろう。また、社殿の裏には一石五輪塔や五輪塔の部材が相当数集められている。大己貴神社も含めこの近辺には観応2年(1351年)に足利尊氏が戦勝祈願して奉納したと伝えられる宝篋印塔が三基あるというが(外の二基は先に紹介した上野町素盞鳴神社、野田町野田神社)、伝説の域を出ない。表面の風化がやや進むが各部揃った端正な佇まいを見せる美しい宝篋印塔である。

だいたい米原以北の琵琶湖北東地域の宝篋印塔をいくつか見て感じた点として①キメの粗い白っぽい花崗岩製で風化が激しい、②軒が厚め、③三弧輪郭の大きめの隅飾、④隅飾輪郭内は素面、⑤基礎は壇上積式を採用しない通常の輪郭式、⑤輪郭や格狭間の彫り込みが深め、⑥格狭間内に近江式装飾文様を施さず素面とする、といった特徴があるものが多いように思う。

参考

滋賀県教育委員会編 「滋賀県石造建造物調査報告書」 282ページ(一覧表に記載されるが個別の説明記述はない。)

平凡社日本歴史地名体系25「滋賀県の地名」970ページほか