京都府 木津川市加茂町美浪 西光寺墓地五輪塔
区画整理と開発が進む加茂駅周辺を見下ろす丘陵斜面に広がる共同墓地がある。入口に無縁石塔が大量に集積され、中世末期から近世初めの小形の五輪塔や背光五輪塔などが多数みられるほか、相撲取のものと思われる近世の石塔が何基かあって興味深い。墓地の北側に西光寺がある。さほど大きくない境内は、広い墓域に囲まれ墓寺の観がある。境内南隅に立派な五輪塔3基が、切石を長方形に組んだ基壇状の区画内に南北に並んでいる。いずれも良質な花崗岩製、各輪素面で梵字は見られない。便宜上北塔、中央塔、南塔と呼ぶ。北塔は繰形座上に立ち、高さ約146cmと3基の中では一番小さい。
地輪は高すぎず低すぎず、水輪はやや重心が高く裾すぼまり感が強い。火輪は全体に低めで軒口は厚く軒反はやや力が抜け下端より上端の反りがやや勝る。空風輪は完好な曲線を描く。全体的なバランスも整い総じて温雅な雰囲気がある。中央塔は大和系の反花座を備え、高さ約165cm。地輪の比高はやや大きい。水輪は北塔よりも裾すぼまり感が小さく、
美しい曲線を描く。火輪は3基中で最も軒厚く、軒反に力があり、その分屋だるみも強い。一方、風輪の曲線はやや硬く、空輪は大きく重心が高いので球形に近く、くびれも強い。南塔は高さ約155cmで台座がなく、代わりに平らな長方形の切石2枚を基壇状にして地輪下に敷いている。地輪と水輪は中央塔とほぼ同一規格だが、やや地輪の比高が低い。火輪の軒反は力強いが軒口の厚みは中央塔に及ばない。空風輪の曲線は硬く、空輪先端の尖りが3基の中では顕著である。3基ともよく似た規模で、各部の特長、新旧の要素に混乱があって各部が入れ替わっている可能性は残る。鎌倉後期から南北朝時代にかけて相前後して造立されたものと考えられる。また、北塔の繰形座は、叡尊塔をはじめ西大寺流の高僧墓に多く見られることから注目してよい。さらに、墓地の中央付近、近・現代の墓塔に混じって一際立派な五輪塔があるのが見える。花崗岩製、高さ約185cm、西光寺境内の3基に比べると表面の風化がやや進行している。最近補加された真新しい切石が地輪下に見られるが、台座は見られない。各輪に五輪塔四門の梵字を大きく薬研彫し、書体は雄渾かつ端正。ただし方角は各輪バラバラのようである。地輪は高すぎず低すぎず、水輪はやや小さめで裾すぼまり感のない整った球形で古調を示す。火輪の軒は厚く軒反は全体に緩く反る感じである。空風輪のくびれは強いが曲線はスムーズで空輪の重心は低い。火輪の軒や水輪、各輪の雄大な梵字など随所に古調をとどめるが、空風輪の形状、線が細めで彫りの深い薬研彫の手法を鎌倉中期にまで遡らせるには若干躊躇を感じる。鎌倉後期形式が定型化する直前、鎌倉中期末~後期初頭ごろの造立とみたいがいかがであろうか。旧加茂町を含む南山城地域は見るべき石造美術が集中する一大メッカ。川勝博士が指摘されるように、京都とはいっても石造美術の文化圏としては大和に属する。
参考:元興寺文化財研究所編 『五輪塔の研究』平成4年度調査概要報告
川勝政太郎 『京都の石造美術』
写真上:右が北塔、写真中:手前が北塔、写真下:墓地塔(写真下だけは撮影日時が異なります。)
ひとつの場所で4基も見ごたえのある五輪塔が揃う例はそうそうないのでお勧めです。