東大寺大仏殿の石材について(ひとりごとです)
石造美術を考える上で鎌倉時代は最も華のある時代です。後世につながる主だった石造物の種類が出揃ってくるとともに、意匠表現が完成されてくる時代だからです。それは大陸からの石彫技術やさまざまなノウハウが新たに導入されたことによる影響と考えられています。具体的には奈良東大寺の復興に伴って来日した宋人石工達の存在があります。複数人がいたらしいのですが、詳しいことはよくわかっていないようです。唯一、奈良市般若寺の笠塔婆に刻まれた刻銘により、同じ東大寺の三月堂前の石燈籠や大蔵寺の層塔に名を残す石工「伊行末」という人物だけが個人名や若干の事跡が知られています。ちなみに全国の石造美術を広く調査され、石に刻まれた石工名を整理し、仏師に院派、慶派などの門閥・系統があるように、石工にも伊派、大蔵派など同様の系統があることを明らかにされたのは川勝政太郎博士です。そして伊行末を始祖とする「伊派」こそはその後の石工の系統の主流となっていくことを解き明かされたのも川勝博士です。伊行末以外にも京都二尊院の空公行状碑に名を残す「梁成覚」という石工が中国から来たらしいことがわかっていますが、東大寺との関係や石工としての系統などは明らかではありません。さて、東大寺大仏殿は、周知のごとく創建以来二度にわたって建て替えられています。平安時代末に平重衡の兵火で天平創建時の大仏殿が焼失、その後、俊乗坊重源上人の活躍などにより鎌倉初期に再興されました。この鎌倉初期の再建時に、中国から石工たちが渡来してきたわけです。そしてこの建物も戦国時代に松永久秀による兵火で焼失、江戸前期の再復興で現在の姿になりました。大仏殿を訪ねると、現在も床や大仏の台座などに使用されている花崗岩系の石の建築部材が少なからずみられます。現在の大仏殿は天平期、鎌倉期のものに比べると幾分規模は小さくなっているにしても、世界最大の木造建築とも称される豪壮な建築であり、そこに使用される部材としての石材を考えると、その量は相当な量になります。石材の切り出しや運搬、加工にかかる労力と費用は、石塔や石仏などの比ではないことは明らかです。江戸時代の復興にしても幾多の紆余曲折を経て着工から相当の年月を要しており、たいへんな難事業であったことは疑いありません。したがって、さまざまな工夫によりコストをなるべくカットしようとしたと考えるのが自然ではないでしょうか。そうしたコストカットの工夫のなかに、石材の再利用や転用ということは果たしてなかったのでしょうか。十分考えられるのではないでしょうか。花崗岩など堅固な石材も火中すれば熱によって表面が崩れるように剥がれボロボロになります。鎌倉期の復興では石造の四天王像が安置されたとされています。その詳細は不明で、舶来石材説が取りざたされる南大門石獅子と同様に砂岩っぽい凝灰岩系(凝灰岩っぽい砂岩…?)のものだったのか、花崗岩系であったのか、現物が残らない今日では確認できません。現在の大仏殿内には鎌倉復興期の四天王石像はむろん跡形もありません。平板な反花を刻みだした巨大な礎石も江戸期に取り替えられたものでしょう。それでは床板や須弥壇などの石材はどうでしょうか?金銅の大仏が溶解する程の熱を受けたのだから、全部そのまま残っていることはありえないと思います。使用に耐えないものは当然廃棄されたでしょうが少しくらいは残っていないのでしょうか。大仏にしても蓮弁などに天平期の部分を残しています。あるいは、表面の熱の影響を受けた部分を打ち掻いて再利用したりしてはいないのでしょうか。廃材を搬出するだけでもたいへんなエネルギーを要するはずです。今日も雨落などに見られる地面に埋め込まれた割り石などは、ひょっとすると鎌倉期や場合によっては天平期の大仏殿の石材の成れの果てなのではないでしょうか。大仏を見上げながら小生の頭にそういう疑問が沸いてきます。そこで注意して床や須弥壇を眺めると、須弥壇の西側、はめ込まれた石材表面の色合いが不自然な箇所があります。いかにも一度焼けて表面がめくれているように見えます。江戸期の復興や、昭和の大修理に伴ってそういったことに関する記録があればはっきりするのかもしれませんが、あいにく不勉強で承知しておりません。また、地質学的な観点で石材の産地を特定できるのであれば、鎌倉期の復興時に一部の石材は大陸から請来されたとも伝えられることから、雨落ちの割り石などに、もし舶来石材が混ざっていれば実におもしろいと思いますがいかがでしょうか。
写真上左右:東大寺南大門石獅子です。この意匠表現はまさに大陸風。鎌倉初期と推定されるものです。仁王さんの裏側にあり目立ちませんが石造に興味ある者は見落とすべからずです。写真下左:大仏殿の雨落ち。はめ込まれた割り石。ひょっとして伊行末たちが精魂込めた四天王像たちのなれの果てが混ざってるかも???。写真下右:大仏の須弥壇にあった焼けたように見える怪しい石材。