石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 甲賀市甲賀町相模 慶徳寺宝塔

2008-06-11 01:26:19 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 甲賀市甲賀町相模 慶徳寺宝塔

慶徳寺は相模の集落の北端、公民館の北約150m、鳥居野との境を流れる大原川の南岸にある。01南面する本堂前向かって右手の境内墓地に、色々な部材を積み上げた寄せ集め塔がある。一番下は近世の墓石の台石だろうか、何かはわからない。その上に石造宝塔の基礎、さらに塔身、五輪塔の水輪を挟んで宝塔の笠、一番上に宝篋印塔の笠が載せてある。このうち宝塔は相輪が失われているが主要部分は一具のものと思われる。基礎は幅:高さ比はかなり拮抗し、幅がやや勝る程度、四方側面とも輪郭を巻き、楕円形ないし舟形光背形に彫りくぼめた中に尊格不詳の坐像か俗形を半肉彫りする。蓮華座の有無は肉眼でははっきり確認できない。輪郭内の彫りは深めで、光背形の彫りくぼめは上部が輪郭上端の葛で水平にカットされ、窮屈そうに見える。像容は頭が大きく体躯のバランスもあまりよろしくない。北側束の左右に「天文十五年(1546年)/六月五日」の紀年銘があり、肉眼でも何とか確認できる。塔身は全体に球形に近く、軸部、縁板(框座)、匂欄部、首部を一石彫成する。軸部は裾すぼまりの背の低い樽型で側面には二重の線刻で扉型風の格子を四方に刻み、四面とも中に稚拙な書体で陰刻した阿弥陀の種子キリークを配する。円盤状に高く張り出す框座を挟んだ無地の匂欄部は軸部の上端に比して径の減じ方が大きい。角は丸めているものの匂欄部の側辺は直線的で「く」字に折れてから「L」字に短い首部を立ち上げている。笠は全体に背が高い印象で笠裏には2段の段形で斗拱型を表現し、軒は下端がほぼまっすぐで上端だけが隅に向かって反りを見せる。頂部には高い露盤があり、四注隅降棟は断面凸状の突帯で、露盤下で左右が連結する。012軒幅に対する露盤部の幅の比が大きく、それだけ軒の出が小さく屋根の勾配が急になっている。現存部の高さ約93cm、基礎は幅約38cm、高さ約31cm、笠の軒幅約41cm、框座の径は約42cmある。各ディテールの退化傾向は著しいものの、いちおう近江の石造宝塔の塔身の特長をひととおり備えている。花崗岩製。各部のバランスが良くないので、基礎を五輪塔の地輪と見る向きもあるが、石材の色や質感、風化の様子などから、当初から一具のものとしてよいと考える。同様に退化傾向の甚だしい石造宝塔として紹介した竜王町岩井安楽寺塔(2007年2月17日記事参照)では、基礎側面が輪郭・格狭間式だが、輪郭内に半肉彫像容を配する例は甲賀町大原上田の慈済寺に、また輪郭はないが半肉彫像容を配する例が竜王町山之上の西光寺にあり、これらが近江でも例が少ない像容を配する五輪塔地輪をたまたま偶然に宝塔の部材と寄せ集めたとする可能性は極めて低いと思われる。やはりこの時期の宝塔のひとつのスタイルと考える方が自然である。この点は早く池内順一郎氏の注目されたところであり、池内氏の言われるとおり、室町期の石造宝塔を考えるで、紀年銘を有する本塔は極めて貴重である。

ついでに塔身と笠の間の挟まって非常に目障りな水輪についても少し触れておくと、上下のすぼまり感が強く、そろばん玉に近い形状というとイメージしやすい。また頂部の宝篋印塔の笠は極めて小形のもので、上6段、下2段、軒と区別する隅飾はやや外傾し、輪郭や弧の様子は小ささと風化によってあまりよくわからない。いずれも室町末期ごろのものだろう。

参考:池内順一郎『近江の石造遺品』(下)164ページほか

写真下はデジタル写真にちょっと手を加え邪魔な水輪を除いた合成写真です。何となく五輪塔っぽい感じがします…。でも同サイズの五輪塔に比べれば非常に手の込んだものであるのがわかります。この手の退化した宝塔の意匠には、鎌倉期のものに感じられる「威厳」というものがまるで感じられません。そのかわりにコミカルというかコケティッシュというか、稚拙さがかえって素朴な外連味のなさにもつながり、何となく”かわいい”感じの魅力的な宝塔です、ハイ。それにしても水輪は目障りです。


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