奈良県 奈良市南田原町 南田原地蔵石仏
白砂川に沿って長谷方面に通じる道路の東側に地蔵石仏が立っている。小橋を渡った川向いの小高い場所にある墓地に通じる参道の入口にあたる場所で、赤い前掛けと手向けられた香華が地元の厚い信仰をうかがわせる。一見すると特に何ということもない、ごくありきたりな石仏に見えるが、これが大和でも屈指の古い銘を持つ石仏であることを知っているのはかなりの石造マニアかもしれない。後補と思われる台石の上に固定されており、高さ約124cm、幅約52cm、奥行き約31cmの粗く長方形に整形した花崗岩製で、平らな正面に高さ約84.5cm、最大幅約38cmの少しいびつな二重円光背を彫り沈めた中に右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像を厚肉彫りする。足元の蓮華座は大ぶりの線刻で彫り沈めの外にある。像高は約73.5cm、表面の風化摩滅が進み、面相は完全に摩滅している。衣文も風化して分かりづらくなっているが、室町時代以降によく見られる腰から足首にかけての衣文襞を図案化したような定型的な表現とは異なっている。体躯のプロポーションのバランスがよく(要するに頭でっかちではない)、袖裾、膝の裳裾ともに短めに処理している点は古風である。肩から胸、両肘にかけての肉取もなかなか優れている。頂部には枘とみられる約5.5cm×約6cm、高さ約3.5cmの突起があり、元々は笠石を載せていたことがわかる。彫り沈めの外側、向かって右側に「建長□年三月七日田原本尾庄藤井在次」の刻銘が確認できる。ちょうど年数のところが剥離したように欠損して建長何年なのか読み取れないのが遺憾である(建長は鎌倉中期1249年~1256年)。左側上方にも刻銘の痕跡のようなものが認められるが肉眼での判読は困難。大和の石仏の中でも屈指の古い在銘品であり、笠仏のあり方を考えるうえからも注目すべき石仏といえる。
参考:清水俊明 「奈良県史」第7巻 石造美術
太田古朴 「大和の石仏鑑賞」
ところで、小生は大和を中心に無数に残る箱仏(笠石付石仏龕)の原形が本例や弘長2年(1262年)銘の南山城当尾の東小阿弥陀石仏(首切地蔵)のような笠仏にあるのではないかと考えています。大雑把な感覚的なものですが、13世紀初め頃と推定される三郷町勢野の一針薬師のように表面を平らに整形する以外ほとんど手を加えない自然石に平らな自然石の笠石を載せたものが、13世紀中葉頃に一歩進んで、粗く長方形に整形した正面に光背を彫り沈めて厚肉彫する手法を採用し、さらに安定して載せやすく直線的な長方形に本体(塔身)部分を整形するようになり、だいたい13世紀末~14世紀初め頃から次第に石塔などの影響からか笠は軒反を持たせた寄棟形になっていくのではないかと考えるのですがどうでしょうか。なお、ここから少し南に行くと道路脇の岩面に有名な南田原の磨崖仏があります。地蔵石仏の最高到達点である和歌山県地蔵峰寺の本尊を作ったあの伊行恒(経)の作品で、元徳3年(1331年)銘のハンサムな阿弥陀さまです。是非こちらもあわせてご覧いただくことをお薦めします、ハイ。