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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

父の日 Father's Day

2018年06月05日 | 日記

 

『父の日』
アメリカのドット夫人が『母の日』にならって、父親に感謝するために白いバラを送ったのが始まり。


6月第3日曜日

1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd)が、
男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた。

1916年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになる。
1966年、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、「6月の第3日曜日を父の日」に定めた。
1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日に制定される。


母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。
1910年の最初の祝典の際には、YMCAの青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられる。

~Wikipedia~

 

 

Father's Day 2015, Toyota commercial in Japan

 

 

 

 

 


カフェインとあなたの健康

2018年06月05日 | 日記

 

 

私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目覚めよ」誌・「ものみの塔」誌
パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました
(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。






【カフェインとあなたの健康】

コーヒーや紅茶などの飲料が健康を害するという報告を読んで,そうしたものを飲むことについて考え直した人は少なくありません。
しかし,公平な立場から,紅茶やコーヒーを適度に用いることは,大抵の人にとって実際に危険ではないと指摘する報告もあります。
ハーバード大学の元栄養学教授であったジーン・メイアー博士は,1976年6月のある記事の中で,両方の側の見解を取り上げましたが,

その一部を要約すると次のようになります。

心臓病: ある薬剤調査計画の研究によると,「一日に一杯ないし五杯のコーヒー
を飲む人は,心臓発作に襲われる率が60%高いということが分かった」。
しかし,長期間にわたる高く評価されている別の研究では,
「コーヒーと,どんな形態の心臓病との間にも,統計的に何ら関連性のないことが分かった」。

がん:「ハーバード大学公衆衛生学部の二つの研究は,胆のうや泌尿器系統
のがんにかかる率と,コーヒーとの間に統計的に関連のあることを示した」。
しかし,『カナダにおける研究では,そうした関連性は見いだされていない』。

かいよう:コーヒーは胃酸の分泌を促す。
「大学生によるある研究は,一日に一,二杯のコーヒーを飲む人は,後日かいよう
になる危険性が150%高いということを明らかにした。……そうした発見とは対照的に,
[ある医療計画]による大規模で長期的な研究では,コーヒーの飲用と消化性かいようの進行との間には何の関係も見いだせなかった」。

カフェインの使用に関連して,健康上の他の様々な面を考慮できますが,
サイエンス・ダイジェスト誌の次の結論に注目してください。

「今日,大抵の専門医は,コーヒーそのものが致命的な病気を招くという確かな証拠はないことを認めている」。

見過ごしてはならないのは,次の点です。たとえ潜在的な危険性があることが分かったとしても,
それはどれほど多く,またどれほど定期的にコーヒーや紅茶を飲むかにかかっているのではないでしょうか。
また,“危険性”は個々の人の健康状態とも関係があるのではないでしょうか。

この点に関して,聖書がアルコール飲料について述べている事柄を照らし合わせてみることができます。
アルコール飲料の飲み過ぎが健康を害することを知らない人がいるでしょうか。
ある人々の場合,健康上の理由や,アルコール飲料を用いた以前の経験から,それらを全く飲んでは
ならないことも明らかではありませんか。それでも,アルコール飲料の影響についてだれよりもよくご存じである創造者は,
それらを適度に用いることを明らかに非とはしておられません。


では,そのことはコーヒーや紅茶についても同じではないでしょうか。


聖書の別の例として,はちみつを考慮してみてください。
精製された砂糖が健康のために良くないと確信して,甘味料としてはちみつを好んで使用する人々がいます。
しかし,聖書は次の点を指摘しています。
「蜜を得たならば,ただ足るほどにこれを食べよ,おそらくは食べすごして,それを吐き出すであろう。蜜を多く食べるのはよくない」
(箴言 25:16,27)

そうです,はちみつであれ,砂糖や塩,脂肪,牛乳,アルコールあるいはカフェインの入った食品や飲料であれ,取り過ぎるなら健康を害します。
また,砂糖,アルコール飲料および他のものを絶対に控えねばならない人がいることも確かです。
しかし,他の人々は,これらのものを適度に食べたり,飲んだりすることができ,またそうしたいと思うでしょう。
そうしたものを取り入れるという点で見過ごしてならないのは,それによって人は,飲食という基本的に正常で,必要なことを行なっているという事実です。
それは,ニコチン中毒にかかっている人が肺に煙を吸い込む場合のように確かに,人を汚したり,害となる不自然な作用を体に強いたりするというようなものではありません。

とはいえ,飲食においても,健康上害となるようなものに注意するのは妥当なことです。
はちみつ,塩,脂肪,牛乳,アルコール飲料あるいはカフェインの入った飲料,そのいずれにしても,次のような諸点に考慮を払うことができるでしょう。
身体の状態と,患っている特定の病気の傾向。“食品”を食べたり,飲んだりする量と定期性。環境および飲食のために入手できるもの。
そして最後に,数年にわたってその“食品”を使用した他の人々の健康にもたらされた影響について学んだ事柄。


結論

コーヒーや紅茶については,“適度”という言葉は大切ですが,同様に“理解”も大切です。
いずれかの飲料を飲むことに決めても,飲まないことに決めても,自分とは異なった事柄を行なっている人々に対して理解を示すように努めましょう。

コーヒーや紅茶を飲むことを全く非とする明白な聖書的根拠は何もないのですから,
他の人々に自分の決定を下させるべきであって,批判してはなりません。また,そうした人々もあなたに対して同じように振舞うべきです。
聖書的な観点からすれば,クリスチャンがコーヒーや紅茶を適度に飲むかどうかは,個人的な問題だからです。