神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

新しい天と新しい地・・・聖書

2018年06月09日 | 日記

 


「新しい天と新しい地」


見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。
それはだれの心にも上ることはない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。
見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして、その民を喜び楽しむものとして、創造する。
わたしはエルサレムを喜びとし、わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
そこには、もはや若死にする者も、年老いて長寿を満たさない者もなくなる。
百歳で死ぬ者は若者とされ、百歳に達しない者は呪われた者とされる。
彼らは家を建てて住み、ぶどうを植えてその実を食べる。
彼らが建てたものに他国人が住むことはなく、彼らが植えたものを、他国人が食べることもない。
わたしの民の一生は木の一生のようになり、わたしに選ばれた者らは、彼らの手の業にまさって長らえる。
彼らは無駄に労することなく、生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。
彼らは、その子孫も共に、主(神)に祝福された者の一族となる。
彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え、まだ語りかけている間に、聞き届ける。
狼と小羊は共に草をはみ、獅子(ライオン)は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし、
わたしの聖なる山のどこにおいても、害することも滅ぼすこともない、と主(神)は言われる。
聖書(イザヤ65:17~65:25)

 

 

 

 

 


いまわたしは新しい天と新しい地を創造しているからである。
以前のことは思い出されることも、心の中に上ることもない。 しかし、あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し、それを喜べ。
いまわたしは、エルサレムを喜びのいわれ、その民を歓喜のいわれとして創造しているからである。
そして、わたしはエルサレムを喜び、わたしの民に歓喜する。その中で泣き声や、悲しげな叫び声が聞かれることはもはやない。
数日しか生きない乳飲み子も、自分の日を全うしない老人も、その場所からはもはや出ない。
人は百歳であっても、ほんの少年として死ぬからである。罪人については,その者が百歳であっても、その身の上に災いを呼び求められるであろう。
そして、彼らは必ず家を建てて住み、必ずぶどう園を設けてその実を食べる。
彼らが建てて、だれかほかの者が住むことはない。彼らが植えて、だれかほかの者が食べることはない。
わたしの民の日数は木の日数のようになり、わたしの選ぶ者たちは自分の手の業を存分に用いるからである。
彼らはいたずらに労することなく、騒乱のために産み出すこともない。彼らは神(ヤハウェ、エホバ)の祝福された者たちからなる子孫であり、
彼らと共にいるその末孫もそうだからである。
そして、彼らが呼ばわる前に、わたし自身が答え、彼らがまだ話しているうちに、わたし自身が聞くことになる。
おおかみと子羊が一つになって食べ、ライオンは雄牛のようにわらを食べる。蛇に関しては、その食物は塵となる。
これらはわたしの聖なる山のどこにおいても、害することも損なうこともしないと、神(ヤハウェ、エホバ)は言われた。
聖書(イザヤ65:17~65:25)

 

 

 

 

 


見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。
だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。
見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。
百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。
わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。
彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。
彼らは主(神)に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
狼と子羊は共に草をはみ、獅子(ライオン)は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、
わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない、と主(神)は仰せられる。
聖書(イザヤ65:17~65:25)

 

 

 

                                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった・・・聖書

2018年06月09日 | 日記

 

イエスはたとえで多くの事を語り、こう言われた、
「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、
あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」。
聖書(マタイ書8:3~8:8)

 

「『それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、
「なぜ、彼らにたとえでお話しになるのですか」。
そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、
天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、
持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
だから、彼らには例えで語るのである。それは彼らが、見ても見ず、
聞いても聞かず、また悟らないからである。
こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。
『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。
それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、
悔い改めていやされることがないためである』」。
聖書(マタイ書8:11~8:15)

 


「しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。
あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、
あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、
またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。
そこで、種まきのたとえを聞きなさい。
だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、
その人の心にまかれたものを奪いとって行く。
道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、
御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、
世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、
そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
聖書(マタイ書8:16~8:23)

 

 




「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、
あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった」。
聖書(マルコ書4:3~4:8)

 

 

「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、
それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。
石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、
自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。
また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、
この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない
良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、
ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである」。
聖書(マルコ書4:14~4:20)

 

 

 

 

 

 


悪や苦しみが存在することは、神がいないことを証明しますか

2018年06月09日 | 日記

 


悪や苦しみが存在することは、神がいないことを証明しますか

 


ナイフが殺人に使われてきたということは、


ナイフをつくったものがいないことを証明するでしょうか。


戦争の際、爆弾を投下するために戦闘機を使用することは


戦闘機の設計者がいないことの証拠になりますか。


それとも、そのようなものの使い方のために、人間が


苦しめられているのでしょうか。
 

 

 

 


確かに多くの病気は、人間自身が悪い生活習慣をもっていたり、


自分自身や他の人の環境を損なったりする結果、生じるものではないでしょうか。


人間の苦しみの主要な原因の一つは、人間が行なってきた戦争ではありませんか。


食物がないために何百万もの人々が苦しんでるというのに、他の土地(国)では


食物が有り余ってるのですから、根本的な問題の一つは確かに人間の貪欲さ


あるのではないでしょうか。
 


「すべて世にあるもの 肉の欲望と目の欲望、
 そして 自分の資力を 見せびらかすこと、 この世から出ている」
 聖書(ヨハネ第一2:16)





 

 

 

 

 

 

 

 




義人の豊かな恵み・・・聖書

2018年06月09日 | 日記

 

「義人の豊かな恵み」



憐れみ深く、貸し与える人は良い人。裁きのとき、彼の言葉は支えられる。

主(神)に従う人はとこしえに揺らぐことがない。彼はとこしえに記憶される。

彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主(神)に信頼している。

彼の心は堅固で恐れることなく、ついに彼は敵を支配する。

貧しい人々にはふるまい与え、その善い業は永遠に堪える。彼の角は高く上げられて、栄光に輝く。

神に逆らう者はそれを見て憤り、歯ぎしりし、力を失う。神に逆らう者の野望は滅びる。
詩編112:5~112:10





 

 


慈しみに富み、貸し与えている人は善良である。彼は公正をもって自分の物事を支持する。

彼はどんな時にもよろめかされることがない。

義を守る人は定めのない時に至るまで記憶にとどめられる。

彼は悪い知らせをも恐れない。その心は揺るぎなく、神(ヤハウェ、エホバ)に依り頼んでいる。

その心は揺れ動かず、彼は恐れることなく、ついには、自分に敵対する者たちを見つめる。

彼は広く分配し、貧しい者たちに与えた。

その義は永久に立っている。彼の角は栄光のうちに高められる。

邪悪な者は自ら見て、必ずいら立つであろう。彼は歯がみして、実際に溶け去るであろう。

邪悪な者たちの欲望は滅びうせるであろう。
詩編112:5~112:10



 

 



恵みを施し、貸すことをなし、その事を正しく行う人はさいわいである。

正しい人は決して動かされることなく、とこしえに覚えられる。

彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主(神)に信頼してゆるがない。

その心は落ち着いて恐れることなく、ついにそのあだについての願いを見る。

彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。その義はとこしえに、うせることはない。その角は誉を得てあげられる。

悪しき者はこれを見て怒り、歯をかみならして溶け去る。悪しき者の願いは滅びる。
詩編112:5~112:10


               

 





ずっと見ていて,目を覚ましていなさい・・・聖書

2018年06月09日 | 日記

 

「ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。
あなた方は,定められた時がいつかを知らないからです」。
(マルコ13:33)

 

わたしたちはイエスの警告を真剣に受け止めています

今が「終わりの時」の最終部分であり,「大患難」間近に迫っていることを知っているからです。

「ダニエルよ,終わりの時が来るまで,お前はこれらのことを秘め,この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして,知識は増す」。
(ダニエル12:4)

「その時,世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです」。
(マタイ 24:21)


世界中で悲惨な戦争,不道徳や不法の増加,宗教上の混乱,食糧不足,疫病,地震が見られています。

「というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があるからです」。
(マタイ24:7)

「偽預言者も大勢現れ,多くの人を惑わす。不法がはびこるので,多くの人の愛が冷える。
しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
そして,御国のこの福音はあらゆる民への証しとして,全世界に宣べ伝えられる。それから,終わりが来る」。
(マタイ24:11~24:14)

そして,大きな地震があり,そこからここへと疫病や食糧不足があります。また,恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう」。
(ルカ21:11)

わたしたちは,主イエスが来て神の目的を成就する時を心から待ち望んでいます。

「そのとき,人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを,人々は見る。
そのとき,人の子は天使たちを遣わし,地の果てから天の果てまで,彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」。
(マルコ13:26,27)


しかし,大患難が始まる明確な年や日や時刻は知りません。