議員時代、現場ではなかなか難しい問題であり
課題でもある。
初詣、お賽銭、お布施、氏子や神社のお祭り、
祥月命日、〇〇回忌・・・
私たちの生活の中に深く入り込んで、日常生活
のなかで「習俗化」している。
それぞれ歴史を持ち、たとえ起源が宗教儀式で
あっても、いわゆる「習俗」、「季節行事」に
なっているものが多くある。
言葉もそうだ。
だんな、ならく、うそも方便、おしゃかになる、
ほとけになる、などなど・・・
キリがなくある。
ちなみに「だんな」は、サンスクリット語の音写
であり、昨日の「お布施」のこと。いまでは「ご
主人」、「夫」の意味で使われている。
議員として、公務の仕事上「政教分離」は厳し
くしなければならない。これは人類の歴史の教
訓であり到達点である。
しかし、生活のなか、ましてやさまざまな相談
にのるなか、この「宗教と習俗」の難問にぶつ
かることがある。
「宗教、信仰は『私事』である」
―――私たちの大原則である。
これは「個人の尊厳」であり、信仰の自由の問
題であるから。
私たちの相談は、さまざまな信仰心を大切にし、
その人の生活を尊重することから始まる。
よく共産党は宗教を禁止すると、いまでもいわ
れる。これは誤解もあり、また意図的にひろめ
ているものもいる。
信仰の自由を真っ先に守ったのは、マルクスで
あり、レーニンであり、それを守るため宗教と
国家権力との癒着を批判してきた。
「宗教はアヘン」という言葉がある。
マルクスは、ぼう大な文献を残したが、これを
使ったのは、たった1回であった。
当時の時代におけるアヘンの認識は、病気やケ
ガの痛みをとる薬の役割を担っていた。
正確に理解してほしい。
一つには現実の不幸の表現であり、一つには現
実の不幸にたいする抗議である。宗教は、悩め
るもののため息であり、心なき世界の心情であ
るとともに精神なき状態の精神である。それは
民衆のアヘンである。
当時のアヘンというものの理解とこの言葉を読
めば、宗教=麻薬ではないことが一目瞭然。
ましてや当時の時代は「政教一致」であり、教
会が絶大な政治権力を持っていた。
日本の戦前も「政教一致」の世界であった。
侵略戦争のバックボーンとなっていた。
13条 すべて国民は、個人として尊重される
19条 思想及び良心の自由は、これを侵して
はならない
20条 信教の自由は、何人に対してもこれを
保障する
人類の到達点である。
いまこれが危険にさらされている。