私は未だにガラケーである。
何も不自由はしていない。
東京や札幌に出張し、電車やファストフー
ド店に入ると否が応でも目に入る光景。
多くが「スマホ」を見ている。会話はない。
このままで良いのかという不安を持ってい
るのは私だけだろうか。それとも時代遅れ
なのだろうか。
もしスマホが、一日でもなかったらどうな
るのか。依存症の気配が・・・
SF作家には未来への危機感からさまざま
な警鐘をならす作品がある。
ショートショートの星新一さんは皮肉たっ
ぷりの作品を数多く出している。
「高度な文明」は典型ではないか。
機械とコンピューターがなければ、ただの
人以下になってしまった宇宙人。これを私
たちは笑えない。
今やワードとエクセルがなければ仕事にな
らない。そして最近漢字が書けなくなって
困っている。
車もGPSがあれば便利だが、なかなか道が
覚えられない経験がある。
人間として発達しているのだろうか。ある
いは退化しているのだろうか。
見方によって判断分かれ難しい。
SF作家は、未来をけっしてバラ色に描いて
はいない。
世界最長のシリーズ・ペリーローダンでは、
最初に出会った宇宙人がシミレーションゲ
ームで退廃している高度な文明種族「アル
コン人」を描いている。
ジョージオーウェルの小説「1984年」
では、すべての国民が監視されている。
スタートレックの「ボーグ」は人間とコン
ピューターが融合し、個性が消滅した世界
を描いている。
それぞれがゾッとする社会だ。
そういえば「脳にスマホが埋められた」と
いう笑えないドラマがあった。
ビルのワンフロア―を占領していた昔の大
型コンピューターは手のひらにのってし
まった。それが「スマホ」。
そしてネットであらゆるものとつながって
いる。
私たちは否が応でもネットに組み込まれて
いくが、一度立ち止まることも必要ではな
いか。
秋は夕暮れ、深まりゆく秋の夜の、読書の
なかで。「高度な文明」になっていないだ
ろうかと。