奈良県にある「飛鳥・藤原の宮都」が、2024年9月9日(月曜日)に、国の文化審議会世界文化遺産部会において、世界文化遺産への国内推薦候補として選定されました。
今後、政府は9月末までに暫定版の推薦書をユネスコに提出し、ユネスコの諮問機関による事前審査を経て、早ければ2年後の世界遺産委員会で登録されるかどうかが決まります。
選定理由について、東アジアの古代国家形成期において、中央集権体制が誕生し成立した過程について、宮都の変遷から示すことができる唯一無二の資産だとして、顕著な普遍的な価値が認められるとしています。
「飛鳥・藤原の宮都」は、奈良県明日香村と橿原市、桜井市の6世紀末から8世紀初めにかけての飛鳥時代の文化財からなります。
明日香村の飛鳥宮跡や、極彩色の壁画が見つかった高松塚古墳、橿原市の藤原宮跡など22の文化財が構成資産として盛り込まれています。
今回は、橿原市(藤原宮跡・大和三山・本薬師寺)にある構成資産を紹介したいと思います。
明日香村の飛鳥宮跡や、極彩色の壁画が見つかった高松塚古墳、橿原市の藤原宮跡など22の文化財が構成資産として盛り込まれています。
今回は、橿原市(藤原宮跡・大和三山・本薬師寺)にある構成資産を紹介したいと思います。
〇藤原宮跡(橿原市醍醐町)と大和三山(橿原市)
藤原宮跡は、藤原京(694~710)の中心にあった宮殿・藤原宮のあったところです。持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都、藤原宮にはかつて、一辺約1キロメートルの中に大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京が都であった期間は694年~710年の16年間ですが、その大きさは後の平城京や平安京を上回る規模ともいわれています。
大和三山に囲まれるように、日本で初めての本格的な都であった藤原京の藤原宮跡があります。
大和三山に囲まれた場所に宮を据え、中国・朝鮮の都城をモデルとして造られた、わが国最初で最大の本格的な都城です。
大和三山とは、香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の三山をいいます。古来より、神々が天下る山として神聖視され万葉集や古今和歌集など大和三山を詠んだ歌が多く残されています。
〇本薬師寺(橿原市城殿町 )
680年に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して発願しました。天武天皇が亡くなり、その後持統天皇が引き継ぎ、698年にはほぼ完成したといわれています。
ここは当初の薬師寺があった場所で、平城京に造営された薬師寺に対して 本薬師寺跡と呼ばれています。金堂と東西両塔の基壇や礎石が残っています。