今回は、水銀の産出地の一つである三重県多気郡多気町の「丹生(にゅう)」の里を紹介したいと思います。
奈良の大仏さんの金メッキに「丹生(にゅう)」の水銀が使われたと記録に残っています。「丹生」は、その昔水銀が沢山採れたことで知られています。
日本には、「丹生」の附く地名が17府県あるようです。明日香村にも、「入谷(にゅうだに)」と所があります。「丹生(にゅう)」の名と関係があるようです。
「丹」は辰砂(硫化水銀)のことで、水銀の原鉱石です。「生」は生産・産出を意味します。
水銀朱の古代史をひもといてみると、「朱」色の材料には、水銀朱・ベンガラ・鉛丹の三種があり、赤い顔料としては水銀朱・ベンガラが最も普及していたようです。
縄文・弥生・古墳時代には、土器の顔料として利用されていたようです。古墳時代の竪穴式石室や横穴式石室には、ベンガラが多用され、石室に於いて水銀朱は、装飾古墳や壁画古墳などに使用されていたようです。古墳時代後期には、仏教が伝わって水銀朱(辰砂)は、仏像の鍍金に欠かすことのできない材料になりました。
古代中国では、水銀朱(辰砂)は、神仙薬の主成分であり「朱」は皇帝の色でした。この思想が「倭(日本)」にも移入され、飛鳥時代を築いた「天武天皇」は、「朱」をもって国家経営の柱とし、「王権の朱」を成立させました。正倉院には、水銀朱(辰砂)1粒が残されています。朱(水銀)は、王権が支配し王権のみが使える貴重な存在だったようです。
三重県多気郡多気町の「勢和郷土資料館」において、ボランティアガイドさんの説明をうけ、水銀鉱脈跡や水銀精錬装置が残っており見学してきました。
「丹生」の里には、弘法大師が七堂伽藍を整備された女人高野の神宮寺があり、丹生大師と呼ばれ信仰を集めています。また、「和歌山別街道」が通っており、宿場町の様子も見ることができました。近くには、日本最古の土偶が発見された遺跡や、日本列島の西半分の中央部を東西に走る断層「中央構造線」も見ることができました。
飛鳥には、多くの古墳が残っています。石棺内の「朱」を見ることがあります。この「朱」の原料である辰砂(硫化水銀)の跡を訪ねた今回の「歴史探訪」は、とても充実していました!
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