奈良県明日香村の阪田には、かって巨大な寺院が存在しました。渡来系氏族である鞍作(くらつくり)氏の氏寺で、土地の名に因んで「坂田寺」と呼ばれています。創建年代は不明ですが、日本で最初の本格的な寺院である飛鳥寺と並んで、我が国で最も古い寺院の一つとされています。天武天皇の時代(672 - 686)には、大官大寺、飛鳥寺、川原寺、豊浦寺と並んで飛鳥の五大寺の一つに数えられたほどの大寺院だったそうです。
『日本書紀』によれば、推古天皇14年(606)4月、多須奈の子の鞍作止利(くらつくりのとり)が、飛鳥寺の金堂に安置する金銅と繍(ぬいもの)の丈六の仏像を完成して納入しました。推古女帝は、祖父・達等以来の仏法興隆に尽くした功を褒めて、近江国坂田郡の水田二十町を止利に賜ったそうです。鞍作止利はこの田を施入して、天皇のために金剛寺を造ったといわれています。金剛寺とは、「坂田寺」の法号です。
今回は、古代氏族・鞍作氏のゆかりの寺跡がある「坂田の集落」を紹介したいと思います。
南淵山の急な北側斜面に甍を並べている阪田の集落の頂きに、「医王山金剛寺」という寺があります。かっての「坂田寺」の法灯を今に継いでいて、聖徳太子遺跡霊場であると伝えられているようです。
「都塚古墳」を目にしながら「坂田寺」跡を見て、阪田の集落の頂きにある「医王山金剛寺」を散策してきました。古代に思いをはせながら散策した春の坂田の集落の景色、歴史と共にとても素晴らしかったです!
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