「あけましておめでとうございます!」
2月には、久しぶりに「飛鳥」に戻る予定なので、今まで以上に「飛鳥」等の魅力を発信していきたいと思っています。どうぞ、2020年も「泉飛鳥塾」宜しくお願い致します。
2020年最初の「泉飛鳥塾」のブログは、初詣「平野(牛頸)神社」の様子を紹介したいと思います。
以前「牛頸」については、こころの風景「ずっと残したいふるさとの景色・牛頸」ということで。紹介させていただきました。(2019年4月14日)
「牛頸」と書いて、「うしくび」と呼びます。福岡県福岡市の南に隣接する大野城市の南に位置する地域に、「牛頸」地区と呼ばれる所があります。その中心にあるのが「平野神社」です。地元では、「牛頸神社」と呼んでいます。991年に、京都「平野神社」の御分霊を、筑紫の牛頸に勧請鎮祭されています。古代の「牛頸」は、須恵器を伝え作った人々の邑でした。その中心に神社はあります。普段は、神主さんもいない静かな神社です。
元旦は、博多の地は大変天気に恵まれ、家族総出で地域の氏神様である「平野神社」に初詣に行きました。午後3時半頃に行ったのですが、多くの方が参拝に来られていました。参拝後、恒例の「おみくじ」をi引き、今年は「吉」でした。果たして、2020年はどんな年になるのでしょうかね~・・・
〇せっかくなので、神社から歩いて5分位の所にある「胴の元古墳」に行ってきました。もともとは、周囲を一望できる丘陵上に6世紀に築造された直径約11mの円墳です。埋葬施設は、全長約6mの横穴式石室で耳環やガラス玉・須恵器など出土しました。古墳は開発によって丘陵が削られた後、現在古墳公園として復元・保存されています。「牛頸」地域では、唯一残っている古墳です。もともとこの古墳は、周囲よりも14mの高さにある丘陵上に築かれたものでした。この地域は、6世紀中頃から9世紀に至るまで操業を続けた九州最大の窯跡群である「牛頸窯跡群」がありました。ひょうとして、この地域には工人達の住居等があり高台にある「胴ノ元古墳」の被葬者は、須恵器を生産する陶工のリーダだったのかもしれませんね。
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