奈良県明日香村「栗原」集落は、国の特別史跡である明日香村阿部山にある「キトラ古墳」の丘陵の東に位置しています。
檜前からこの辺りは、古代には多くの渡来人が住んだ場所と言われています。
今回は、「栗原集落」を散策しましたの紹介したいと思います。
〇「栗原(くりはら)」
前回紹介しました、「大根田集落」の山を挟んで東に位置しています。
「栗原(くりはら)」の名前の由来は、呉(中国の江南地方)の人の渡来に関係があるようです。
「古事記」(雄略天皇条)には、「この時、呉人(くれひと)、参(まい)、渡り来る。その呉人を呉原(くれはら)の安置き、かれ、その地を号(なず)けて呉原(くれはら)と謂う」と記してあります。
「栗原(くりはら)」は、「呉原(くれはら)」からの転訛と思われます。
この集落には、古代寺院「呉原寺」があったようです。
創建当時の寺は、はっきとわかっていないようです。古くから遺跡は、集落の「大師堂」付近やその北方に推定されているようです。
伽藍石や古瓦が出土しています。「呉原寺」の礎石と思われるものが「竹林寺」の境内で見ることができます。12世紀の資料によると、「竹林寺」と「呉原寺」が同じ寺であったとされています。
また「栗原」の地は、699年に僧「道昭」が日本最初に火葬された場所でもあります。「道昭」の荼毘の地に「竹林寺」が建立されたという説もあるようです。
古代に住んだ渡来人を想いながらの散策、とても楽しかったです!
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