泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

神話に彩られた 「神の国・出雲」

2016年01月02日 16時26分12秒 | 歴史

 「新年あけましておめでとうございます!」

「泉飛鳥塾」のブログをはじめて4年目になりました。今年も、「飛鳥」の原風景と共に、「大和や大宰府」等の風景を紹介したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2016年の最初は、日本誕生にまつわる数々の神話に彩られた「神の国・出雲」を紹介したいと思います。

「神の国・出雲」は、朝鮮半島などから土地を引き寄せて島根半島が出来上がったという「国引き神話」。オオクニヌシノミコトによる「国造り」に続く天照大御神(あまてらすおおみかみ)への「国譲り」。日本誕生にまつわる数々の神話に彩られた「神の国・出雲」。大和の中心にある三輪山になぜ「出雲の神様」が祭られているのでしょうか。今回は、謎多き、出雲地方を歴史散策しましたので、紹介したいと思います。

〇「出雲大社」(島根県出雲市)

縁結びの神・福の神として名高い『出雲大社』は、日本最古の歴史書といわれる「古事記」にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社と呼ばれていました。
主祭神は大国様として馴染みの深い『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』で、「古事記」に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)が出雲大社の始まりといわれています。

                        

〇「荒神谷遺跡」(島根県出雲市)

1983年広域農道(愛称・出雲ロマン街道)の建設に伴い遺跡調査が行われました。この際に調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘が開始されました。1984年からの2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土しました。銅剣は、銅鐸・銅矛は国の重要文化財に指定されていましたが、1998年に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されています。出土品は現在、文化庁が所蔵し、島根県立古代出雲歴史博物館などに保管されています。遺跡自体は1987年に国の史跡に指定されました。出雲市が中心となり、1995年に遺跡一帯に「荒神谷史跡公園」が整備されました。現在、出土品は出雲市大社町杵築東に開館した「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されていて見ることができます。 

            

〇「四隅突出型墳丘墓(西谷墳墓群)」(島根県出雲市)

島根県・出雲地方を代表する古代遺跡としてあげられるのが、弥生時代の墳墓「四隅突出型墳丘墓」です。その独特の形状には数多くの謎があり、その解明は古代出雲世界の姿を知るのに必要不可欠であると考えられています。方形の墳墓の四隅から舌状の張り出しが伸び、ヒトデのようにも見える奇妙な墓で、今から1800~1900年前の弥生時代後期に隆盛しました。古墳時代になると、四隅突出型墳丘墓はなぜか築かれなくなります。代わって登場するのが、前方後円墳。その変化は、古墳時代に入り、古代出雲が勢力を伸長させてきた畿内のヤマト政権との結びつきを強めていったことを指し示しているかも知れませんね。

            

 「荒神谷遺跡」の青銅器が埋められたのは弥生時代後期初めごろで、「四隅突出墳」の出現とほぼ重なります。これは、「四隅突出墳に埋葬される強大な統治者が出現したため、これまでの銅剣や銅鐸をあがめる祭祀が終焉(しゅうえん)し、一括して埋められたのでは」と推測する方もおられるようです。

日本誕生にまつわる数々の神話に彩られた「神の国・出雲」。とても興味をそそられた歴史散策でした!

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