奈良県明日香村にある明日香村文化協会主催で、飛鳥の「古い道と遺跡を考える」というテーマで3回の講座が行われます。
第1回目「今は、水田になっている古い道を巡る」が、1月下旬に行われましたので参加してきました。
(明日香村文化協会とは、明日香村の文化の顕彰、継続、発展を目的とし発足した文化団体のことです。)
今回は、飛鳥の「古い道と遺跡を考える」(1)の様子を紹介したいと思います。
以前、ブライズミ「飛鳥京への道」探訪とテーマで、「飛鳥京」へ入る道を何の根拠もありませんが、「ブラタモリ」ならぬ「ブライズミ」を紹介しました。(2015年8月20日に紹介させていただきました。)
このことが、本当かどうか確かめたくて今回、明日香村の文化財課の専門家による「飛鳥京」へ入る古代の道の痕跡をたどる現地講座が行われると聞き、参加してきました。
明日香村には現在、通称「飛鳥の横大路」と呼ばれている道があります。古代の道(飛鳥時代)と言われており、その痕跡をたどる講座です。
明日香村中央公民館で古代の道路や道標等の基本的な事柄の学習後、「飛鳥の横大路」と呼ばれている道を歩きながら、古代の道の痕跡がある所で講師の先生による説明をうけました。
痕跡その1「川原下の茶屋遺跡」
「川原下の茶屋遺跡」は、飛鳥時代の交差点が検出されていて、数少ない道路跡の遺跡です。東西道は、道幅約12m・南北道は道幅約3mで側溝もみつかっています。東西道路は、直線道路と考えられ、西は下ツ道に交わり、東は「飛鳥京」(エビノコ郭の西門)に続くと思われます。この道路は、「川原寺」の南門と「橘寺」の北門の間を通っているようです。
痕跡その2「橘寺の北門跡の東西にある道標」
「橘寺」旧西門の北にある道標は、1776年に建立されたもので明日香村では4番目に古い道標です。水田(古代の道)を挟んで東にある道標と一直線に立っています。古代から、古い道沿いに建っていた道標?が中世・近世へと受け継がれたかもしれませんね。
痕跡その3「東西道路の北側溝跡」
「川原寺」の南西100mの所で、通称「飛鳥の横大路」と呼ばれている東西道路の北側溝(幅1、2m・深さ55cm)が見つかりました。現在、その場所は民家が建っています。
痕跡その4「橘寺北門周辺の水田の畔」
「北側溝跡」から幅約12mの東西道路跡が、「川原寺」と「橘寺」の間(橘寺の北門跡)の水田や畔に痕跡がありました。
痕跡その5「エビノコ郭の西門跡」
「川原下の茶屋遺跡」・「北側溝跡」・「エビノコ郭の西門跡」等から、「川原寺」と「橘寺」の間の東西道路が座標などから一直線に復元できることがわかりました。東西道路が、「エビノコ郭」の西門から下ツ道(古代の幹線道路)へ向かって谷間を利用して造られた道路遺構であることがわかりました。
通称「飛鳥の横大路」は、現在「飛鳥遊歩道」として整備されており、途中には「亀石」を見ることができます。細い道をまっすぐに歩いて行くと、「橘寺」前の田んぼにつきあたります。少し回り道しながら行くと小さな橋がかかっておりまっすぐに行き、銀行の横の道を歩くと「飛鳥宮」(飛鳥浄御原宮)の大極殿びあたるエビノコ郭の西門に突き当ります。現在、エビノコ郭跡は村役場の駐車場になっており西門跡は、民家が立っています。
今回の講座では、以前紹介したブライズミ「飛鳥京への道」の探訪の確認でした。「橘寺」の北門跡周辺の畔や水田が古代からそのまま残っていることに、今更ながらとても感心しました!
第2回目は、明日香村内の「江戸期のお伊勢参りで通った道を巡る」というテーマで、2月中旬に行われる予定で、楽しみにしています。
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