「魏志」倭人伝に初めて記された「邪馬台国」の名前。その所在を巡って古くから論争が続いています。決定的な証拠がないため、「九州説」と「畿内説」の対立は解決をみません。「九州説」派は、「魏志」倭人伝をはじめとする文献の記述を、大きな論拠としています。一方の「畿内説」派は、巨大な遺跡(纏向遺跡等)や古墳を調査した考古学的な視点から、その可能性を強く主張しています。
また、「魏志」倭人伝の中では、倭国の女王として記されている「卑弥呼」。「邪馬台国」に居住し、30ほどの国を治めていたと言われています。
今回は、「九州説」を裏付ける根拠のひとつとされる、佐賀県東部に位置する「吉野ケ里遺跡」を撮ってきました。「魏志」倭人伝に書かれた施設がそろう「吉野ケ里遺跡」。
現在、「主祭殿」・・・クニ全体の重要な事柄を決める会議を行うほか、祖先の霊への祈りなどを行った中心的な施設。
「城柵」・・・杭や木をたて、敵の侵入を防ぐ役割を持つ。
「楼観」・・・兵士が、侵入者を厳重に見張っていたと考えられる。
「竪穴式住居」・・・地面に柱を立て、その上にわらなどで屋根をふいて作られた。「邪馬台国」には、住居が7万戸あったと言われています。
等を見ることができます。
日本初の「古代国家」はいったいどこにあったのでしょうか、そして、謎多き女王「卑弥呼」の正体とは・・・
古代に思いをはせながら、「吉野ケ里遺跡」を巡ってきました!
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