「聖徳太子」ゆかりの寺院であり「河内三太子(かわちさんたいし)」と称される、「叡福寺(えいふくじ)」〔大阪府南河内郡太子町〕・「野中寺(やちゅうじ)」〔同府羽曳野市〕・「大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)」〔同府八尾市〕の三つお寺があります。「叡福寺」を含めた3ヶ寺は「河内三太子」と称され、叡福寺が「上(かみ)の太子」、野中寺が「中(なか)の太子」、大聖勝軍寺が「下(しも)の太子」として親しまれ、太子を慕う多くの参拝者を集めてきました。
今回は、聖徳太子ゆかりの寺院「河内三太子」について、数回にわたって紹介したいと思います。
大阪府と奈良県との府県境近く、太子町の竹内(たけのうち)街道沿いに立つ「叡福寺」は、聖徳太子の御陵のある寺院として広く知られています。日本の古代史に偉大な足跡を残した「聖徳太子」に対する信仰は、すでに奈良時代から認められますが、鎌倉時代にも親鸞、叡尊、日蓮、一遍といった高僧が「叡福寺」に参詣し、以後叡福寺は四天王寺とともに、大阪における太子信仰の拠点寺院として繁栄してきました。
一方、羽曳野市に伽藍(がらん)を構える「野中寺」は、聖徳太子の発願(ほつがん)、蘇我馬子の建立と伝えられています。
また、八尾市の「大聖勝軍寺」は、太子が蘇我氏とともに物部氏と戦った合戦場に立ち、ともに太子ゆかりの名刹(めいさつ)として知られています。
〇「大聖勝軍寺」
「大聖勝軍寺」は、大阪府八尾市太子堂にあります。蘇我馬子が物部守屋を滅ぼした587年の丁未(ていび)の乱の古戦場跡に、聖徳太子が 建立したと伝えられる寺院です。
一帯は、物部守屋の阿都の家があったと見られる地域で、寺伝には、四天王寺と同じく丁未の乱からまもなく創建したとされます。聖徳太子自身が本尊とされています。
門前には「仏法元始 聖徳太子古戦場」の碑や、討たれた物部守屋の首を洗ったという「守屋池」や「神妙椋樹」があります。「神妙椋樹」は、中世以降の太子伝では有名なエピソードで、聖徳太子に敵が迫ったとき、椋の幹が開き、太子はその中に隠れて助かったとされています。
近辺には、物部守屋の墓をはじめ鏑矢塚・弓代塚などがあります。他にも、歴史的な場所が数多くあり、古代の歴史を好きな方には是非、歴史散策をお勧めします!
機会がありましたら、是非ともまた飛鳥へおいで下さい!