奈良県桜井市高家(たいえ)の地は、天武天皇の第三子で日本書紀の編纂者として知られる「舎人皇子」が住まわれた所とも言われています。
今回は、日本書紀の編纂者であり万葉歌人でもある「舎人親王の居住伝承地」を紹介したいと思います。
「舎人皇子」が「高家(たいえ)」付近を詠んだと思われる万葉集の中に次の歌があり、ここでいう高屋(たかや)を「高家(たいえ)」にあてる説があります。
「ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手の 高屋の上に 棚引くまでに」(夜霧が立ちこめている。高屋の上にたなびくほどに)という意味です。
「高家(たいえ)」には、 集落の縦谷・底にできた扇状地には今は田圃や畑の下に眠っていますが、およそ100基ほどあるといわれる高家古墳群が広がります。高家集落の入口近くにある平野古墳を訪れた後、さらに上手に佇む「高家春日神社」を見学してきました。ここは山深い高家集落の一番上の方に位置します。
「高家(たいえ)」の里は名前の通り標高およそ300メートルにある山村で、多武峰と飛鳥のちょうど中間ぐらいに位置します。古くは倉橋、針道、細川と共に多武峰四郷と称されそのつながりは「高家春日神社」境内にある「談山大明神」と刻んだ大灯篭(明和五年・1768年)でも見ることができます。
「高家春日神社」(高田神社)は、高家地区の氏神として仰がれています。標高300mの尾根端に位置しており、その境内にぽっかりと口を開ける横穴式石室が姿を現します。
巨石を使った横穴式石室(6世紀代)が露出し見学する事ができます。拝殿の前にある、五輪塔も半壊していますが素晴らしいもので暦応3年(1339)の銘があります。
また、「高家春日神社」からの眺望は見事です。奈良盆地が一望できます。手前に畝傍山、向こうに見える山は二上山です。二上山のさらに向こう側は大阪です。標高の高い高家地区は、北の方向には三輪山を捉えることもできます。
観光客が訪れるような神社ではありませんが、地域の人々に守られてきた歴史を、高家地区の「高家春日神社」で見ることができました!
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