「平和を作りだす人たちはさいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」
これは、マタイによる福音書5章9節にあるキリストの山上の説教のことばです。
平和の原点は神様との和解・平和から。神に対する人間の敵意が取り去られ、
神様の愛に気付いた時、人の心に生まれるものは・・・。
1182年イタリアのアッシジで富裕な織物商の息子に生まれたフランチェスコ。
その劇的な回心、人々に与えた影響、清貧と祈りと贖罪と瞑想の生活を送った生
涯は、俗世の真っ只中に生きているわたし達にいつも衝撃を投げかけて来ます。
その聖フランチェスコの「平和の祈り」を平和の主日を迎える今、ご紹介します。
ああ主よ われをして おんみの平和の道具とならしめたまえ。
われをして 憎しみのあるところに愛をもたらしめたまえ。
争いあるところにゆるしを
分裂あるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望あるところに平和を
悲しみあるところに喜びを
闇あるところに光をもたらしめたまえ。
ああ主よ われをして慰めらるるを求めずして 慰めることを求めしめ
理解さるることよりも理解することを
愛さるることよりも愛することを求めしめたまえ。
そはわれらは自ら与うるがゆえに受け 赦すがゆえに赦され
おのが身を捨てて死するがゆえに 永遠の生命を得るものなればなり。