
アメリカへ来る前に、血液検査を受けた。父がO型、母がB型と聞いていた私は、それまでの四半世紀、O型と思い込んでいた。A型だという検査結果から学んだことは二つ:思い込みは恐ろしいということ、そして事実はテレビドラマのようにはならないということ。O型とB型の両親から生まれるはずのないA型だと聞いても、「この人たちは両親でなかった!」とは微かにも思わなかった。例え生物学的に証明できなくても、私たちは「親子」だと疑わなかった。「親子関係」は、生物学や知識を超えて確かに信じられるもの、信頼できるものなのだ。
今朝の聖書箇所にあった上の聖句を見て、ふとこのことを思い出した。そして、微塵も疑うことなかった日本の両親と共に、天のお父さんのことを思った。遠く離れている両親とは1年に一度くらいしか会わないが、ずっと「家族」だ。泣き言を言いたい時、困った時、嬉しさを伝えたい時、お互いが必要な時はいつでも、家族が支えてくれていること、そして私も彼らの傍にいることを知る。同時に今は、天のお父さん、神様も同じように見えなくても傍にいて、聞こえなくても語っていて、私が求める時には確かに現れてくださることを知っている。
親はいつも子供と一緒にいてくれる。物理的にはどうあれ、心はいつも寄せている。そして、子供が親を求める時、必ずその前に現れ、手を差し伸べてくれる。天のお父さん、神様もそんな方。私という子供を愛し、見守り、助けてくれる、そんな方なのだ。ただ、その存在を認め、その関係を守りさえすれば。

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