今週の礼拝で、平安と喜びは信仰によってもたらされる、という第一ポイントを聞いた。人生順風満帆なら問題はない。いつでも神様を賛美できるし、人に優しく、自分も大切にすることができる。でも、そうでなくなったら?
病気、経済的困窮、人間関係の破綻。そんな時、人は何によって平安と喜びを得られるのか。問題が解決されれば、と答える人がいる。しかし、病気や人間関係にしても、どうしようない問題、解決しようのない問題は、残念だけど確かにある。死もそのひとつだ。『すべてが崩れ去る時、あなたは何をしますか。』 今日の黙想エッセイの一言を考えた。
聖書の姦淫の女の話を思い出した。恋人と快楽の時だったはずが、突如現場を押さえられ、丸裸同様で町中の晒し者にされ、一緒にいてくれるはずの彼の助けはなく、周囲至るところから冷たい敵視、蔑みと好奇の目を向けられ、惨い石打刑の挙句の“死”が目前に迫る。すべてが崩れ去るその瞬間、彼女は何をしただろう?絶望のどん底で彼女がしたことは、目を上げたこと。もう何も見たくない、顔を上げたくない、このまま“死”へ堕ちる覚悟すらし、それでも”生きる”思いに導かれて見たのは、自分と同じ目線にいて見つめる神様の姿。
すべてが崩れ去ると思うその時にこそ、私たちを創り、この世界を創り、万物を創り上げた神様に戻ろう。振り返って目を上げて見よう。神様はいつでも、立ち返る者の手を取ろうと傍にいてくれる。背を向けてしまった私たちを見守り続けていてくれる。崩れるすべてを立て直す力をくれる創造主がいらっしゃる。その確信が希望だ。『たとえ明日世界が終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える。』その希望に生きていたルターは、この言葉を残した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/9f/7132507f43234c129c087be83088919b.png)
☆Good News Stationのメインページはこちら!
病気、経済的困窮、人間関係の破綻。そんな時、人は何によって平安と喜びを得られるのか。問題が解決されれば、と答える人がいる。しかし、病気や人間関係にしても、どうしようない問題、解決しようのない問題は、残念だけど確かにある。死もそのひとつだ。『すべてが崩れ去る時、あなたは何をしますか。』 今日の黙想エッセイの一言を考えた。
聖書の姦淫の女の話を思い出した。恋人と快楽の時だったはずが、突如現場を押さえられ、丸裸同様で町中の晒し者にされ、一緒にいてくれるはずの彼の助けはなく、周囲至るところから冷たい敵視、蔑みと好奇の目を向けられ、惨い石打刑の挙句の“死”が目前に迫る。すべてが崩れ去るその瞬間、彼女は何をしただろう?絶望のどん底で彼女がしたことは、目を上げたこと。もう何も見たくない、顔を上げたくない、このまま“死”へ堕ちる覚悟すらし、それでも”生きる”思いに導かれて見たのは、自分と同じ目線にいて見つめる神様の姿。
すべてが崩れ去ると思うその時にこそ、私たちを創り、この世界を創り、万物を創り上げた神様に戻ろう。振り返って目を上げて見よう。神様はいつでも、立ち返る者の手を取ろうと傍にいてくれる。背を向けてしまった私たちを見守り続けていてくれる。崩れるすべてを立て直す力をくれる創造主がいらっしゃる。その確信が希望だ。『たとえ明日世界が終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える。』その希望に生きていたルターは、この言葉を残した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/9f/7132507f43234c129c087be83088919b.png)
☆Good News Stationのメインページはこちら!