今朝、心に響いた一言。『神は、完璧な人ではなく、弱さの中にとどまる人に恵みを与えてくださいます。』
昨日書いた親子関係でも、「私、これできるもん!」「放っておいて、私がしているの!」と、子供に手出し無用を宣言されると、親としては見ているしかない、かもしれない。(親になっていないので、推測です。)でも、「お母さん、ダメだった。。。」「お父さん、できないよー。」と自分にはどうしようもない弱さを嘆く子供に、ホレ見たことか!と突き放す親はいないだろう。誰でも、「よし、お父さんに任せておけ!」になるはず。それが親子。
しかしその泣き言も、子供がテキトーにやった結果だったら?自分がすべきことにも手をつけないで、ただ「ダメ」「できない」「やって~」と泣かれて、手を貸すのは親の務めではないと思う。「完璧主義」と「ベストを尽くす」、この二つの意味は全く違う。完璧主義を目指すのは、ある意味、自分が完璧と思う限界を設けること。自ずとそれは、自分の思考行動の想定範囲内になる。そして、ベストを尽くすことは、自分の持てる力を余すことなく使い切ること。そこに限界はなくなる。人はたゆむことなく成長を続け、精一杯の行動に追いかけるように、守ってくれる方から励ましと力が注がれるからだ。木がどこまで伸びよう、と考えて根や枝を伸ばすのではないように、人間もただ生きることを望み、成長を願い、弱さを知りながらも今一瞬のベストを尽くすなら、尽きることない恵みの雨が注がれ、果てしない「ベスト」に辿り着くことができるのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/9f/7132507f43234c129c087be83088919b.png)
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昨日書いた親子関係でも、「私、これできるもん!」「放っておいて、私がしているの!」と、子供に手出し無用を宣言されると、親としては見ているしかない、かもしれない。(親になっていないので、推測です。)でも、「お母さん、ダメだった。。。」「お父さん、できないよー。」と自分にはどうしようもない弱さを嘆く子供に、ホレ見たことか!と突き放す親はいないだろう。誰でも、「よし、お父さんに任せておけ!」になるはず。それが親子。
しかしその泣き言も、子供がテキトーにやった結果だったら?自分がすべきことにも手をつけないで、ただ「ダメ」「できない」「やって~」と泣かれて、手を貸すのは親の務めではないと思う。「完璧主義」と「ベストを尽くす」、この二つの意味は全く違う。完璧主義を目指すのは、ある意味、自分が完璧と思う限界を設けること。自ずとそれは、自分の思考行動の想定範囲内になる。そして、ベストを尽くすことは、自分の持てる力を余すことなく使い切ること。そこに限界はなくなる。人はたゆむことなく成長を続け、精一杯の行動に追いかけるように、守ってくれる方から励ましと力が注がれるからだ。木がどこまで伸びよう、と考えて根や枝を伸ばすのではないように、人間もただ生きることを望み、成長を願い、弱さを知りながらも今一瞬のベストを尽くすなら、尽きることない恵みの雨が注がれ、果てしない「ベスト」に辿り着くことができるのだ。
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