「目覚め」ってゴールではなくて、
生きることそのものだなぁと思う。
私は、直線ではなくて螺旋階段を歩いているような感じ。
どこかに行く(本当は行く場所なんてないけど)というより。
「戻る」という感覚が強くて、
一見すると同じようなところをグルグル歩いているように思えても、
確実に縦軸が変わっているのに気づく。
「個」だと認識している「私」という器の中を、
様々な思考や感情が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。
引きずられることがなく、絡め取られることもない。
ただ「気づいている」状態。
限りなく透明な全体性に滞在?する時間が長くなればなるほど、
生きるのが本当にラクになっていったし、風通しが良くなった。
そうなってくると。
何かを決めたり、行動に移したりすることが、今まで以上に早くなってきた。
早いことが、即いいことだと言いたいわけではなく。
迷いが入り込む余地が無いことしか、目の前に顕れなくなる…という感じ。
さらに。
必要だと思われることも、ちゃんと用意されていくということも実感している。
だから、私があれこれ思い煩う必要もないんだ…と
理屈抜きで安心出来るようになった。
ストレスがあるのが当たり前で。
悩んでいたほうが達成感が強くて。
要するに、しんどさの方が圧倒的に大きくて、
喜びはショボショボに小さかったのが昔の私。
今は、気づくと。
喜びの中に、それ以外のものも包括されている感覚だし、
喜びの質そのものもが明らかに変わった。
純粋欲求に従って生きるってこういうことなのか、と感じれば感じるほど、
人も自然の一部だという想いが流れてくる。
生きることそのものだなぁと思う。
私は、直線ではなくて螺旋階段を歩いているような感じ。
どこかに行く(本当は行く場所なんてないけど)というより。
「戻る」という感覚が強くて、
一見すると同じようなところをグルグル歩いているように思えても、
確実に縦軸が変わっているのに気づく。
「個」だと認識している「私」という器の中を、
様々な思考や感情が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。
引きずられることがなく、絡め取られることもない。
ただ「気づいている」状態。
限りなく透明な全体性に滞在?する時間が長くなればなるほど、
生きるのが本当にラクになっていったし、風通しが良くなった。
そうなってくると。
何かを決めたり、行動に移したりすることが、今まで以上に早くなってきた。
早いことが、即いいことだと言いたいわけではなく。
迷いが入り込む余地が無いことしか、目の前に顕れなくなる…という感じ。
さらに。
必要だと思われることも、ちゃんと用意されていくということも実感している。
だから、私があれこれ思い煩う必要もないんだ…と
理屈抜きで安心出来るようになった。
ストレスがあるのが当たり前で。
悩んでいたほうが達成感が強くて。
要するに、しんどさの方が圧倒的に大きくて、
喜びはショボショボに小さかったのが昔の私。
今は、気づくと。
喜びの中に、それ以外のものも包括されている感覚だし、
喜びの質そのものもが明らかに変わった。
純粋欲求に従って生きるってこういうことなのか、と感じれば感じるほど、
人も自然の一部だという想いが流れてくる。