ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

お疲れなので、癒しの画像でも…🐡

2020-09-25 19:46:45 | 日記
少し疲れているから?風邪をひいてしまいました。
微熱と食欲不振、週末はゴロゴロですね。

そんなわけで?癒しの写真を。

クラゲがキラキラ。

人気のチンアナゴ。

巨大なマンボウ。

大水槽には、小魚の群れに悠々と泳ぐサメ。

でも疲れている私は…

こんな気分、岩肌につかまり眠るアザラシ。

別の角度からも。

昨年10月の大洗水族館でした。

歴史的建造物、改修工事に当たるとガッカリ

2020-09-24 21:55:23 | 名所旧蹟の話
今日のニュース配信、

京都の金閣寺が改修工事中で、金閣前に通常の写真が展示中らしいです(ニュース配信より)。

そういえば、今から10数前。イタリアのボローニャ訪問時、

サン・ペトローニオ聖堂が改修工事中でした。工事現場の覆いには、聖堂のイラストが…
ガッカリというか、工事中しか見れない貴重な光景というか?

蓮如上人と山科本願寺

2020-09-23 19:32:28 | 名所旧蹟の話
昨日のブログ、京都御苑散策は日曜日の話。
土曜日は実家からほど近い山科本願寺跡を散策しました。
山科本願寺があったのは今から500年以上前、室町末期の戦国時代の話。

山科中央公園のグランド脇には小高い山があるのです。

ただの築山のようですが…

実はこれは土塁、防塁の痕跡。この地は山科本願寺を中心に寺内町が発達。
対立する細川氏や六角氏など幕府方権力者や法華宗からの攻撃を防ぐため、土塁がめぐらされていました。
山科本願寺と寺内町は灰燼に帰し、本願寺勢は越前と加賀の境にある吉崎に逃れることになります。

このお土居の辺りの地図を見ると…山科本願寺の痕跡だけでなく、近世以降の東西本願寺の山科別院もあります。

土塁が残る山科中央公園からみて安祥寺川の対岸には…

蓮如上人の廟所が。蓮如上人の時代、この山科で本願寺の勢力が強大になり…
警戒した細川、六角勢は本願寺と対立する法華宗と結託し、山科本願寺を攻めるのです。

蓮如上人廟所の近くには蓮如上人の銅像が立っていたようですが、戦時中の金属供出で取り外されたままになってます。

真宗大谷派(東本願寺)の山科別院長福寺には、新たな蓮如上人の銅像が建てられていました。

山科本願寺跡は、山科団地、山科中央公園や安祥寺中学校になっていますが…本願寺跡に直接建ったわけではありません。
大正10年から昭和45年までは、カネボウ(鐘紡=鐘淵紡績)の大工場がありました。

山科区役所の公式ページ、山科の発展を説明する記事の中に、鐘紡山科工場の写真が掲載されていました。

わが青春の地、京都御所

2020-09-22 15:49:30 | 名所旧蹟の話
去る日曜日、墓参り~あつもりそば~護王神社のあとの話。
京都御所ということが多いですが、京都御苑というのが正しいのでしょう。

護王神社から烏丸通を渡り、御苑の中を寺町御門まで通り抜けしました。

猛暑は過ぎ去り、少し気温は高かったもののカラッと乾燥した気持ちい秋晴れでした。
なのに御苑の中は人気もなく静かです。意外にも観光客が入ってこないのが京都御苑です。

ところで御所?御苑?
塀に囲まれた内側、特別公開時以外は入れないのが「御所」。
御所を取り囲む緑地、自由に散歩できる場所をひっくるめて「御苑」といったところでしょうか。

仙洞御所にぶつかり、塀に沿ってぐるっと寺町御門へ。
塀に近づきすぎると(塀に触ると)、警報ベルが鳴り皇宮警察が駆けつけきます。

さて、意外にも御苑の中はグランドがあります。写真右の松の奥は「富小路広場グランド」。この日は草野球チームが試合中でした。
私の母校は、仙洞御所から寺町通りを挟んだ向かいにある京都府立鴨沂高等学校です。

昔は名門、日本最古の女学校「女紅場」、府立第一高女を経て戦後は鴨沂高校になりました。
昭和40年代までは京都大学の進学者数が指折りの名門校だったのですが、京都府の高校制度変遷もあって、
私が通った頃には名門だった時代は昔話、今でも偏差値50、歴史の重みはともかく平均点取れれば入れる高校になってます。

寺町御門の先にある校舎が母校の鴨沂高校、はるか向こうに大文字が見えます。

さて鴨沂高校ですが、グランドがなかったので御苑の中で体育授業がありました。
現存する富小路広場グランド以外に、仙洞御所の北側には在学中は饗宴場グランドがあました。
ここはラグビーのゴールポストも立っていて、富小路広場とともに、ここも体育の授業でよく利用しましたが…
今はグランドは取り潰されて跡地には京都迎賓館が立っています。

さて、寺町御門と富小路広場グランドの間には銀杏の巨木があります。

私の鴨沂高校在学は、昭和60年4月から昭和63年3月までですが、この銀杏は当時のまま。

雌の木で、大量の銀杏をつけるので10月になると猛烈に臭いんです…青春の匂い。
30年以上昔の思い出がよみがえってきました。

金沢駅で大友楼のお弁当を買って北陸新幹線はくたかに乗り込む

2020-09-21 19:07:00 | 鉄道
京都から茨城は話の移動、後半。
お昼過ぎ、13時前に金沢到着。新幹線はくたかへの乗り換え時間は約一時間。 

お弁当とお土産購入。

大友楼のお弁当と地酒を買い込み、少し遅いお昼ご飯です。

JR宇都宮線乗り換えの大宮までは二時間半。
色取り取りの蒲鉾は自宅で頂きましょう。