ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

GW、休みの谷間

2010-04-30 18:44:03 | 日記
今日は仕事でしたが、明日から5連休。渋滞覚悟、高速道路で帰省します。
もちろん仕事は定時に切り上げ、準備のため早々に帰宅です。

さて今日は、お昼まで快晴、爽やかな一日だったのですが…
帰る直前になって厚い雲に覆われ、10分ほど強い雨が。

そしてすぐに晴れ間が…。なんだか夏を思わせる天候でした。

連休中は天候に恵まれそう、良いドライブ日和になりそうです。まさに五月晴れ!
にほんブログ村 車ブログ ルノーへ
にほんブログ村

季節、ひとっ飛び!

2010-04-29 15:14:40 | 四季の話題
北海道出張から帰ってきました。
 ふきのとう。
向こうはまだこんな感じだったのに…、こっちは、
 もう緑が濃くなってきました。

隣町の畑では、
 麦に穂が付き、
川に下りたら、
 利根川は増水中
普段は広大な河原が半分以上水没してました。

暖かくなり、上流からの雪解け水が増えていて…、
麦の収穫前ということは、まだ田んぼに水は引いていない…、
今が一番水量が多いのでしょうか。

気候のギャップといえば大げさですが、今日は少し湿度もあり、一気に季節が進んだ感じです。

にほんブログ村 車ブログ ルノーへにほんブログ村

昭和60年の乗り鉄、美幸線

2010-04-28 06:55:02 | 鉄道
今日まで北海道にいます。
小さい頃憧れた北海道ですが、北海道の大学出て、北海道に縁の深い会社に入り、今の会社でも北海道をしょっちゅう往復。嫁も北海道出身と来たらもう腐れ縁ですね。

まだ北海道に憧れていた頃の話。今はないローカル線にたくさん乗りましたが、日本一の赤字線として名を馳せたのは美幸線でしょう。
当時の真の日本一は、深名線だったか筑豊の添田線だった忘れましたが。
美幸線が赤字(実際には赤字額ではなく収支係数、100円の収益をあげるために要した経費額)日本一になったとき、地元美深町がキャンペーンを張ったため、日本一の赤字線と知られることになりました。

美幸線の美は起点の美深、歌登を経由して、幸なる終点北見枝幸に向けて建設が始まりました。
しかし工事は中断し美深町内から出ることなく仁宇布という山間の小盆地の集落まで達して、ここが終点のまま一転廃止が決定します。


昭和60年3月の仁宇布駅です。乗客は数人のファンだけだったように記憶しています。

その後、北海道在住時、廃止後の仁宇布に車でいきました。
北海道の山間は集落と言っても広大なエリアに農家が点在しているだけなので、人の気配は全くなし。
そんな中、歌登方面に向けて後はレールを敷くだけの状態まで工事が進んだ路盤が延びてました。
旧仁宇布駅前には、なぜか北海道に全くゆかりのないサシ581が置かれていたように思います。
写真を撮ったと思いますが、紛失してしまいました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へにほんブログ村

アルファコンチネンタルエクスプレス

2010-04-27 07:17:26 | 鉄道
昭和60~62年と3年連続で春休みに北海道を旅行するのですが、国鉄末期でまだ「スーパー」特急もない時代です。
北海道の鉄道の花形と言えば、札幌や千歳空港と各地のスキー場を結ぶリゾートトレインでした。
その元祖が石勝線トマム方面のスキーリゾート列車、アルファコンチネンタルエクスプレス、略してアルコンです。
急行型キハ56系の改造だったと思います。時代はまさにバブルに向かう経済成長期、この列車の成功を受けて多数の豪華リゾート列車が生み出されます。
バブル崩壊後のトマムリゾートは経営会社の破綻など暗い影を残しますが…。


さてアルコンですが、千歳空港近くの石勝線沿いの牧場に展示されてます。
出張でいつも通る道ですが、今回初めて気づきました。最近の展示と思われます。
ちゃんと屋根付きで大切に扱われているようなので、三笠のような無惨なことにはならないでしょう。
国鉄末期の不遇な時代に生まれた豪華列車。いつまでも美しい姿を留めていて欲しいものです。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へにほんブログ村

昭和60年の乗り鉄、渚滑線

2010-04-26 10:59:38 | 鉄道
また毎度の北海道出張です。仕事なら飛行機でぷらっと距離感も余りありませんが。

初めて北海道に行ったのは四半世紀も昔。
京都から東京まで普通、快速、急行東海と乗り継ぎ、上野からはくつるの電ハネ下段、連絡船、特急北海で翌日夕方に札幌着。
さらに急行まりものハ座で夜を明かし京都から実に45時間もかけて釧路に到着しました。
その後は標津線を皮切りにローカル線を乗りながらオホーツク海に沿って北上です。今ではもう釧網本線しか残っていないですが。


さてそんな今はなきローカル線のひとつが渚滑線。
渚滑って地名は紋別市の一町名。ローカルすぎてどこ走ってた線か若いファンは知らないのでは?
この渚滑線に乗ったのは廃止前日で、通常のキハ22単行だったので通勤ラッシュ並みの超満員。
終点北見滝上に着いても、わずかな折り返し時間で、入場券購入の列にならび写真も何も撮れる状態でない。

この時、今で言う葬式鉄はやらないと心に決めたのでした。
といっても結局、宇高連絡船の最終日に出掛けたりしていますが。先月、急行能登の上野駅の騒動は自宅でおとなしくテレビを見てました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へにほんブログ村