心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

3・11以後に向けて(3) 2011/05/16 09:23

2011-07-03 00:25:00 | 3・11と原発問題

さて、前回からあっという間に1ヶ月以上が経ってしまいました。もし続きを待っていて下さった方があったなら、どうかお許しください。自然堂が元の忙しさに戻ってきて、だんだん充分な時間がとれなくなってきていました。とはいえ、元の忙しさといっても、中身は元と同じではなく、3・11大震災の衝撃を底深く引きずっています。

自然堂に関わりのある方々には、前に書いたように直接東北で最も大きな被災をされた方もありますし、その方は生存は確認されて本当によかったけれども、今後のことを思うと気がかりばかりです。被災県の出身で実家が被災したり、親族を亡くした方もあります。また非被災地でも、この経済低迷で、今までやっていた仕事を失った方もあります。自営の会社が倒れる寸前で苦闘している方もあります。原発の危険を逃れて、しばらく関西方面へ疎開していたり、実際に西日本や海外に移られた方もあります。さまざまの非常事態への対応に無理を重ねたために、心身の調子をひどく崩されたままの方もあります。そもそも今も家から出られず、電話や手紙等でだけかろうじて連絡のとれている方もあります。etc.etc.・・・同様の状況は、きっと他のあちこちでも、無数にひしめいているでしょう。
 でも同時に忘れないでほしい。震災の衝撃はそういう形でだけ現われるのではないことを。この事態にびくとも動揺せず、そのために”やさしさ”(共感能力!)が足りないと周囲になじられて自責に苦しんでいる方もあります。震災前からとっくに日常なんか終わっていて、かえって震災で救われた気がしたのに、うわべの日常が戻ってきて「うつ」の床に臥せってしまった方もあります。幼少時からのトラウマに長年人知れず苦しんできて、被災者は公然と同情してもらえると嫉妬する自分に自己嫌悪を催す方もあります。「計画」停電と節電でせっかく弱まっていた、日ごろの喧騒とケバケバしさと暑苦しさが、再び戻ってくるのを心から恐れている方だってあるのです。etc.etc.・・・
(以上いずれも個人を特定できないように表現してあります)

これら実にさまざまの悲痛苦悶に立ち合わせていただきながら、自然堂がやってきたのは、とにかくこの悲痛苦悶に寄り添うことでしたし、突き詰めればそれだけでしかないようにも思われます。そうして日々を過ごしていたら、このBBSへの書き込みの続きも遅れてしまいました。でもそれでいいんだと思っています。僕ら1人1人は、結局のところ、このそれぞれの”いま・ここ”の、悲痛苦悶から出発するしかないのですから。お互い、あまりにも弱く・あまりにも小さく・あまりにも寄る辺ない・偶然の存在でしかないというこの冷厳な事実を掘り下げることから出発するしかないのですから。そして、そのまさにこの連載で言いたかった核心のひとつを、図らずも身をもって示す形になってしまったわけですから。

もし<復興>ということがいえるとしたら、この悲痛苦悶を見捨てずに、むしろ大切に育み、それと共に少しずつ歩み出し、そうしてそのままの姿で、以前よりも自分自身に、そうして他者に、世界に、要するにそれらそれぞれの<存在>に、信頼を深められるように熟成させてゆくことではないかと僕は思うのです。復興が単に復旧でなく再生であるべきだと僕がいうのは、そういう意味においてのことです。

今は世間でも、しきりに復興は単に復旧で終わらせてはならないと叫んでいるようです。でもその言い分に耳を傾けてみると、何と全く反対に、悲痛だの苦悶だのはさっさと振り切って、早く前向きに頑張って強く明るく元気になろうというようなことのようです。その帰結として、例えばそれは、被災当事者のことなどさっさと振り切って、早く新しい建物や道路を作ったり、新しい産業や企業を興し(むしろ誘致し)たりして、経済を活発にしようということになっていくでしょう。さぞかし震災特需に沸き返ることでしょう。
でもそれは同時に、すでに多くのものをなくした人々に、さらにその悲しみ・苦しみをも捨てよ、捨てたという記憶すらをも捨てよ、というようなものです。
そう、”いま・ここ”の想いなんか断ち切って、できるだけ早く前方に逃走せよ、と。
ボヤボヤせずに、すぐにでも強く・大きく・確固とした・必然的な存在であるかのごとく振舞い、その振舞いをとおして、自他ともにそうであると信じこませよ、と。
ああ、体育の先生・・・道徳の先生・・・心理学の先生!?・・・
“がんばろうニッポン”・・・“ニッポンはひとつ”・・・

考えてみれば、戦後の日本はずっとこうした”自分からの逃走”のもとに、それと引き換えに、驚異的な経済成長と近代化とをみごとになしとげてきました。いやそれは戦後に始まったことではない。明治維新の文明開化以来、黒船の来航以来、いやいやもっと遡れば、元禄・享保期の前期的な近代の開始以来、ずっとこうやってきました。少なくとも300年がかりのこの根源的な自己否定、自己からの逃走にそろそろ幕を下ろそうではないか、というのが僕の主張のひとつなのです。経済の復興にしても、被災当事者の依然として維持しようとし・今なおどっこい維持してもいる生活にあくまで主軸をおき、1人1人の悲痛苦悶の緩やかな時熟の歩みに応じた生活の復興というものを追求してゆこうではないかということです。それこそが、真に復旧ではなく再生であるような復興ではないかと僕は思うのです。その復興の新しさは、さしあたり、<みだりに新しくなんかしないという新しさ>というパラドキシカルな姿をまとってあらわれるしかないのかもしれませんね。

<つづく>


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3・11以後に向けて(2) 2011/04/13 23:31

2011-07-03 00:23:00 | 3・11と原発問題
地震・津波・原発事故の同時多発が僕らにもたらした衝撃。そもそも一体いま何が起こっているのか。その意味について僕らはまだ、ほとんど何一つ理解していないのだろうと思います。なぜなら、現実があまりにも言葉を上回ってしまっているから。そして、今なお現在進行形の真只中だから。しかもそのすぐそばから、次々と忘却と封印への強烈な引力が働きだすから。やがてもっと時がたてば・・・
やがてもっと時がたてば、しかし、ますます事態は複雑多岐に錯綜してゆき、同時にますます忘却の淵に封じ込められてゆくでしょう。とすれば、何一つ理解できていない今こそ、実はいちばん理解のできている時なのかもしれません。あまりにも激しく理解し、あまりにも激しく理解しえないもの、それこそが衝撃ということですから。ならば一体それは何?

本当に難しい。こんなに言葉を紡ぎ出すのが難しかったことは、これまでに一度もなかったような気さえします。
ただ、少なくとも・・・・・おそらく・・・・皆さんと話していて・・・ひとつ確かに言えそうなのは・・

終わりなき日常に終わりが来るんだということ、それもあまりにも急激に、という衝撃。
果てしなき内部に果て(外部)があるんだということ、それもあまりに圧倒的に、という衝撃。

そうやって、何ものかが、ニッポンの何かある巨大な前提が、終わったのだ、ということ。
もっと正確には、すでに終わり始めていたそれが、最後のとどめを刺されたのだということ。
いやそれどころか、もうとっくに終わっているのに、終わっていないと僕らが思い込もうとしていただけかもしれないということ。とすれば、終わったのは、われわれ自身の根拠のない信念だったということ。

どんな信念でしょう? 
みんなで力を合わせて同じひとつになって、一生懸命頑張れば、誰もがみな、強くて・大きくて・確固とした・必然的な存在になることができる。その集団的同調の力で、どんな非常の事態も統御し、終わりなき日常へと永続してゆく”いま“。どんな外部の事態も統御し、果てしなき内部へと拡張してゆく”ここ”。そんな限りなく膨張した”いま・ここ”に安住する、神のごとき全知全能の「われわれ」・・・
数度の戦争も高度成長も、この信念に導かれ、この希望に満ち溢れて、敢行されました。バブルはその最後の戯画でした。でも今や、その神々たちは、実ははじめから、あまりにも弱く、あまりにも小さく、あまりにも寄る辺ない、偶然の存在でしかなかったことが露呈してしまったのでした。

いや本当は、みんな、はじめからよくよく知っていたんです。神々たちは、おのれが1本の葦にしかすぎないのだということを。戦争に負け、高度成長が止まり、バブルがはじけ、地震・津波・原発事故に翻弄されて、はじめて知ったんではなくて、はじめから知っていたからこそ、戦争に酔い、高度成長に踊り、バブルに浮かれて、それら俄造りの避難所の楽園を謳歌したのではなかったでしょうか(その証拠に、このいずれの時期も、日本の自殺率がめざましく激減する)。だから今、地震・津波・原発事故のさなか、やっぱりまた“ニッポンはひとつ”~“強い国ニッポン”~“がんばろうニッポン”~でなければならないのでしょう。でもそれはもはや、すでに終わったもので終わったものを乗り越えようとする自家撞着の空回りでしかありません。

事ここに至ってもなお、まだ僕らは終わらせたくないんです。それほど巨大な前提です。
あるいは、終わらせながらも終わらせきれないんです。事実は認めても肯定はできないんです。
だから自分はたしかに卑小でも、せめて為政者は強大であってほしいと、統一地方選でも“強いリーダーシップ”が大人気です。これも自家撞着のしからしめる1つの妥協策。
同じ理由で国政では、菅首相の人気は最低です。そして政権の大連立構想。いったん少し遠のきましたが、それは民主党はもう虫の息、と自民党が判断しているからにすぎないでしょう。本番は民主党政権が潰れて以降ですね。

「計画停電」の少なくなった3月末ごろから、終わりなき日常を終わらせまいとする強靭な意志、果てしなき内部を果てさせまいとする強靭な意志が、ジリジリと回帰しています(それにあわせて、一時は鳴りをひそめかかった花粉症が、この頃から再び勢いを盛り返し始めました)。でもそれは、実は、まさしく終わったということを深く思い知ってしまったからこそ、生じていることではないでしょうか。もう3・11後の僕らは、あの栄光に満ちた楽園を望んでも、望めば望むほど内側で引き裂かれ、自らおのれの傷口を広げるばかりとなるでしょう。

いま日本じゅうが、「復興」が合言葉です。「復興」めざして“がんばろうニッポン”です。それはいいとして、ではそのめざすべき「復興」とはどんな状態になることなのでしょう。どうなることを望んでいるのでしょう。それは「復旧」でしょうか、「再生」でしょうか。終わったものをまた反復しようということでしょうか。終わったところから新たに出直そうということでしょうか。どちらにせよ、みんな共通理解があって言ってるのでしょうか。

それに、“ニッポンはひとつ”って、その”ニッポン”の範囲はどこまでなのでしょうか。
たとえば、被災地で共に奮闘している「アジア人」は入るのでしょうか。
多くの「日本人」が戻ってくるのを待ち望む、「帰国」してしまった「外国人」は入るのでしょうか。
震災や放射能を恐れて、海外に逃れた「日本人」は入るのでしょうか。
子どもを関西に疎開させた「日本人」は入るのでしょうか。
東京都心でネオン夜通しギラギラの風俗店やパチンコ店は入るのでしょうか。
原発に反対する「日本人」は入るのでしょうか。
そして、原発に賛成する「日本人」は入るのでしょうか。
「自粛」するのが「日本人」の証しでしょうか。「自粛の自粛」(民主党の声明)が「日本人」の証しでしょうか。はたまた、「自粛の自粛の自粛」が「日本人」の証しでしょうか。いやいや、「自粛の自粛の自粛の自粛の~~~」・・・つまり、みんなで一緒にやれば中身はどうでもいい、というのが「日本人」でしょうか!?
・・・こんな不謹慎な文章を書いてる僕も仲間に入れてもらえるのでしょうか。
それより何より、じかに被災された方々と、とりあえずそうでない僕らとは、”ひとつ”と言って括ってしまっていいのでしょうか。いいとすれば、どういう意味においてでしょうか・・・

<つづく>

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3・11以後に向けて(1) 2011/03/27 19:50

2011-07-03 00:20:00 | 3・11と原発問題
3・11大地震から2週間余が過ぎました。たった2週間というのに、何だかもう、何十年も経ったような気がします。
たぶん、3・11以前と3・11以後とでは、いやもっと正確に言えば、あの数分間の地震とわずか1分間の津波とによって、一切に画然と切断線が引かれ、根本的に時代が変わってしまったということなのでしょう。

この間、いろいろとテンテコマイで、このBBSも書き込まないままにしていて、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。自然堂も僕自身も元気です。杜撰な「計画停電」の定まらなさに振り回され、自然堂も一時は開店休業の状態が続いていましたが、ようやくお彼岸連休あたりから、元通りのペースに戻りつつあります。
皆さんは、遅まきながら、無事にお過ごしでしょうか?

地震のときは、僕はもちろん、自然堂で治療の最中でした。初めは地震とは思わないほど小さな揺れでしたが、次第に強くなり、激しい揺れが長く長く続きました。ずっと横揺れの、とても大きな振幅でした。揺れ方で僕はだいたい震源地がわかるので、「ああこれは、今ごろ東北から茨城のあたりが大変なことになっているかもしれませんよ」と揺れながら患者さんに言っていて、しばらくしてラジオをつけてみたら本当にその通りだったので、びっくりされましたが、揺れ方をよ~く感じていると、どの地震もそれぞれ特有の揺れ方があるもので、新潟中越の時とも、相模湾~静岡方面の時ともまた違った独特の揺れ方だったのです。この間の無数の余震も、宮城~福島あたりだとやっぱり同じパターンの揺れ方ですし、茨城以南だとちょっとまた表情が違う・・・といった具合で、ほとんど百発百中で震源地は見分けがつきます。その点では15日夜の富士宮付近を震源とした震度5の地震の時は、明らかにそれらとは違うまさに直下型の揺れだったので、その瞬間、今度はついにこちらに来たか!といちばん怖かったですね。

でも、そんなことより何より、自然堂にいらしている方の中には、東北の最も被害の大きかった町に在住の方もあり、毎日非常に心配していました。いろいろ調べるのですが、なかなか安否がわかりません。ところが、つい数日前になって、ようやく避難者名簿にそのお名前を発見し、その翌日には先方から電話連絡を頂くという思いもかけぬ僥倖に恵まれ、本当に安心したところです。

また、こんな状況の中でも自然堂にきて下さる方々とは、こういう状況だからこそ、余計なことは一切吹っ飛んで、”自分が生きてるって何なのか?”とか”自分の存在って何なの?”といった、自分のコアに一挙に向き合わされますねえ~~なんてそんなことを、毎日語り合っています。彼ら/彼女らのその深度には、真に心を打たれ、こちらも自分のコアにより深く向き合う助けとなります。
僕らの中に不安がたくさんあればあるほど、共に不安に向き合うことで、その不安の分厚い地層のさらにその下へと掘り進み、より深い自分のコアとつながってゆくことができる。そんなふうに、彼らとの対話のおかげで、いま僕は、奇妙に動揺し高揚する表面の意識とは裏腹に、不思議なほど深い静寂に腹が坐り、落ち着き払っています。

とはいえ僕らには、この現実にどう向き合い、どう引き受け、どう乗り越えてゆくのか、という重い問いがのしかかっていることに変わりはありません。まさしく、われわれ1人1人の”いま・ここ”が、一瞬一瞬根底から問われていると言えましょう。
恐らくは日本国中に、そして文明世界全体にすら、怒涛のように渦巻く不安と憤り。これをどう本当の意味できちんと生かして再生(復旧ではない!)してゆけるか。それができなければ、もうこの日本も、そして恐らく人類全体も、未来はないだろうと思います。いつかは全人類を見舞うべきこのカタストロフに、不幸にも日本は、先陣を切って見舞われてしまいました。まず僕らは、この窮状をどう乗り切り、どう<新しい生き方>を築いてゆけるのでしょうか。
唯一の原爆被爆国として、それに見あう何事も世界に提示できなかった(憲法9条程度ですら及び腰になってる)わがニッポン。加えて今度は唯一の地震・津波・原発同時多発被災国となって、果たして何を世界に提示できるでしょうか。

<つづく>


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ごあいさつ

2011-07-03 00:18:00 | ごあいさつ

このブログでは、こころ・からだ・社会のつながりを深く掘り下げて考えるために開設されました。
こころはからだとの関わりなしにはありえないし、からだはこころとの関わりなしにはありえない。でもそのからだ~こころは、他のからだ~こころ、つまりは社会においてこそはじめてありうるものです。またその社会はどうかといえば、個々のからだ~こころの関係性においてこそはじめてありうるものです。
心理学と医学と社会学の交差するところ。心理学でも医学でも社会学でも零れ落ちてしまうスキマの領域。そこを掘り下げることで、僕らの存在というものを考え直し、さまざまな時事的・社会的な発言も行なっていこうというブログです。


まずは、他の掲示板にすでに掲載中だった、「3・11後に向けて」という論考の既載分を再録しなおしておきます。
続編は近日中にアップしますので、乞うご期待!!

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