さて、前回からあっという間に1ヶ月以上が経ってしまいました。もし続きを待っていて下さった方があったなら、どうかお許しください。自然堂が元の忙しさに戻ってきて、だんだん充分な時間がとれなくなってきていました。とはいえ、元の忙しさといっても、中身は元と同じではなく、3・11大震災の衝撃を底深く引きずっています。
自然堂に関わりのある方々には、前に書いたように直接東北で最も大きな被災をされた方もありますし、その方は生存は確認されて本当によかったけれども、今後のことを思うと気がかりばかりです。被災県の出身で実家が被災したり、親族を亡くした方もあります。また非被災地でも、この経済低迷で、今までやっていた仕事を失った方もあります。自営の会社が倒れる寸前で苦闘している方もあります。原発の危険を逃れて、しばらく関西方面へ疎開していたり、実際に西日本や海外に移られた方もあります。さまざまの非常事態への対応に無理を重ねたために、心身の調子をひどく崩されたままの方もあります。そもそも今も家から出られず、電話や手紙等でだけかろうじて連絡のとれている方もあります。etc.etc.・・・同様の状況は、きっと他のあちこちでも、無数にひしめいているでしょう。
でも同時に忘れないでほしい。震災の衝撃はそういう形でだけ現われるのではないことを。この事態にびくとも動揺せず、そのために”やさしさ”(共感能力!)が足りないと周囲になじられて自責に苦しんでいる方もあります。震災前からとっくに日常なんか終わっていて、かえって震災で救われた気がしたのに、うわべの日常が戻ってきて「うつ」の床に臥せってしまった方もあります。幼少時からのトラウマに長年人知れず苦しんできて、被災者は公然と同情してもらえると嫉妬する自分に自己嫌悪を催す方もあります。「計画」停電と節電でせっかく弱まっていた、日ごろの喧騒とケバケバしさと暑苦しさが、再び戻ってくるのを心から恐れている方だってあるのです。etc.etc.・・・
(以上いずれも個人を特定できないように表現してあります)
これら実にさまざまの悲痛苦悶に立ち合わせていただきながら、自然堂がやってきたのは、とにかくこの悲痛苦悶に寄り添うことでしたし、突き詰めればそれだけでしかないようにも思われます。そうして日々を過ごしていたら、このBBSへの書き込みの続きも遅れてしまいました。でもそれでいいんだと思っています。僕ら1人1人は、結局のところ、このそれぞれの”いま・ここ”の、悲痛苦悶から出発するしかないのですから。お互い、あまりにも弱く・あまりにも小さく・あまりにも寄る辺ない・偶然の存在でしかないというこの冷厳な事実を掘り下げることから出発するしかないのですから。そして、そのまさにこの連載で言いたかった核心のひとつを、図らずも身をもって示す形になってしまったわけですから。
もし<復興>ということがいえるとしたら、この悲痛苦悶を見捨てずに、むしろ大切に育み、それと共に少しずつ歩み出し、そうしてそのままの姿で、以前よりも自分自身に、そうして他者に、世界に、要するにそれらそれぞれの<存在>に、信頼を深められるように熟成させてゆくことではないかと僕は思うのです。復興が単に復旧でなく再生であるべきだと僕がいうのは、そういう意味においてのことです。
今は世間でも、しきりに復興は単に復旧で終わらせてはならないと叫んでいるようです。でもその言い分に耳を傾けてみると、何と全く反対に、悲痛だの苦悶だのはさっさと振り切って、早く前向きに頑張って強く明るく元気になろうというようなことのようです。その帰結として、例えばそれは、被災当事者のことなどさっさと振り切って、早く新しい建物や道路を作ったり、新しい産業や企業を興し(むしろ誘致し)たりして、経済を活発にしようということになっていくでしょう。さぞかし震災特需に沸き返ることでしょう。
でもそれは同時に、すでに多くのものをなくした人々に、さらにその悲しみ・苦しみをも捨てよ、捨てたという記憶すらをも捨てよ、というようなものです。
そう、”いま・ここ”の想いなんか断ち切って、できるだけ早く前方に逃走せよ、と。
ボヤボヤせずに、すぐにでも強く・大きく・確固とした・必然的な存在であるかのごとく振舞い、その振舞いをとおして、自他ともにそうであると信じこませよ、と。
ああ、体育の先生・・・道徳の先生・・・心理学の先生!?・・・
“がんばろうニッポン”・・・“ニッポンはひとつ”・・・
考えてみれば、戦後の日本はずっとこうした”自分からの逃走”のもとに、それと引き換えに、驚異的な経済成長と近代化とをみごとになしとげてきました。いやそれは戦後に始まったことではない。明治維新の文明開化以来、黒船の来航以来、いやいやもっと遡れば、元禄・享保期の前期的な近代の開始以来、ずっとこうやってきました。少なくとも300年がかりのこの根源的な自己否定、自己からの逃走にそろそろ幕を下ろそうではないか、というのが僕の主張のひとつなのです。経済の復興にしても、被災当事者の依然として維持しようとし・今なおどっこい維持してもいる生活にあくまで主軸をおき、1人1人の悲痛苦悶の緩やかな時熟の歩みに応じた生活の復興というものを追求してゆこうではないかということです。それこそが、真に復旧ではなく再生であるような復興ではないかと僕は思うのです。その復興の新しさは、さしあたり、<みだりに新しくなんかしないという新しさ>というパラドキシカルな姿をまとってあらわれるしかないのかもしれませんね。
<つづく>