心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

3・11以後に向けて(8)

2011-07-27 23:38:00 | 3・11と原発問題
では本命とは何でしょうか。それはほかでもありません。言論や情報メディアのあり方に戯画化して表われる、僕らのこの社会のあり方(構造)そのものです。いいかえれば、僕ら1人1人の存在のあり方(構造)そのものです。そして、そうした僕らみんなのあり方のエッセンスを、現代日本において最もグロテスクに凝縮した象徴が、「原子力体制」(吉岡斉)という構造ではなかったかと思うのです。

原子力体制とは、狭義には、さしあたり<原子力ムラ>といわれているものに当たります。<原子力ムラ>とは、今を時めく飯田哲也氏が、かつて自らも技術者としてそこに深く関わった体験から1997年に命名したもので、飯田氏によれば、電力会社、原子力産業、原子力官庁、研究機関の「産・官・学の利益共同体」とされています(『論座』1997年2月号)。具体的に補足すると、

 ・「電力会社」とは、(沖縄電力を除き)原発を擁する全国9電力会社、そしてその傘下の日本原電、日本原燃
 ・「原子力産業」とは、原子炉メーカー(とくに東芝・日立・三菱)、ゼネコン、商社、金融機関など
 ・「原子力官庁」とは、通産省~経産省とくにその下の「資源エネルギー庁」「原子力保安・安全院」、科学技術庁~文部科学省の関係各課、総理府~内閣府とくにその下の「原子力委員会」「原子力安全委員会」など
 ・「研究機関」とは、東大を頂点とする大学、原子力機構(原研と動燃~核燃料サイクル開発機構とを統合)・理研・放医研など独立行政法人研究機関、電力中央研究所など電力会社系民間研究機関など

からなるものといえましょうが、これに政治家(中曽根康弘~田中角栄から電力族の自民党議員と、電機連合・電力総連系の民主党議員等)、マス・メディア(正力松太郎の読売新聞・日本テレビ~朝日新聞の原発推進への転向~オール・メディアの原発翼賛体制~今日のいわば”原子力記者クラブ”)をも加えて、「産」「政」「官」「学」「メ」の一大複合体とでもいうべき規模まで広げて考えるのがよさそうに思います。
とりわけ1950年代中・後半の原子力導入期に、「政」(”中曽根予算”や”正力構想”)と「メ」(読売新聞の執拗な原子力キャンペーン)が果たした牽引車的な役割は決定的で、以後やがてこの複合体の中核を占めることになる「産」「官」すらも、最初はこの「政」と「メ」の強烈な働きかけに覚醒させられて動き始め、そのあと急速に「政」と「メ」を従えるに至ったのでした。
それに対し「学」は、最初期から今日に至るまで、つねに顧問的な重要な位置に祀り上げられながら、現実には他をリードする積極的な指導力を少しも発揮することはできませんでした。”学者なんて宴席に侍らせる芸者みたいなもの”という「産」「官」界では公然の秘密を、自ら地で行って証明してしまったのでしょうか。

さてこのように<原子力ムラ>は、原子力という最先端の巨大科学技術を中心にすえながら、その下で「産」「官」を中核に、「政」「学」「メ」・・・と各セクターが一個のムラのごとくに閉鎖的な利益共同体を形成し、この共同体内における合意が原子力政策に関する意思決定権を事実上独占して、そのまま「国策」として強い効力をもつ一方、共同体外部の影響力は最小限となるように限定され排除されています。
どこか天皇制国家の”皇室の藩屏”たちとよく似て、その内部では、互いにナワバリ争い的な利害対立をつねに孕みつつも、全体としては原子力推進という共通の方向性の上にもたれあい、カネ・人・情報の流れを互いに融通し共有しあいながら(献金・人事交流・天下り・インサイダー談合等々・・・)、意思決定の最終的な責任の所在は巧みに曖昧化し、それでいて外部に対しては、まさにムラ的な閉鎖性をあらわにし、おのれの延長として服従させうる限りにおいて積極的に関わりをもち、カネ・人・情報等も支配の切り札という限りでのみ按配するのです(補助金・交付金・人事干渉・トラブル隠し・原子力神話等々・・・)。

このため<原子力ムラ>にとって外部とは、自らが支配する対象でこそあれ、自らをチェックする主体として対峙することなどはじめからありえないものなのです。実際、本来チェック機能を果たすべき、「産」における労働組合、「政」における議会、とくに(革新系)野党、「官」における規制機関、「学」と「メ」における批判的言説や代替案とその論者、さらには「産」「政」「官」「学」「メ」すべてに対する司法、等々・・・これらいずれもが、懐柔され換骨奪胎されて(時には抹殺されて)、むしろ<原子力ムラ>を補完する準構成員のようにすらなってしまうのでした。あるいは、それを嫌って”反-原子力ムラ”の立場をとっても、往々にしてあたかも”反原子力-ムラ”というもう1つの<原子力ムラ>のごときになってしまって、結局かえって<原子力ムラ>(的なもの)を維持し増殖させる結果となりかねませんでした(論者によっては、反原発運動も<原子力ムラ>の構成要素の1つに数えています)。

この増殖力はどこからくるのでしょうか。興味深いことに、もともと東電の社内では、ずいぶん前から、原子力本部(技術者約3千人)そのものが<原子力村>と呼ばれてきたのだそうです(朝日新聞5月25日付、志村嘉一郎『東電帝国その失敗の本質』pp.94-5,213)。原子力部門は他の部門との人事交流もなく、閉ざされた部門として成長し(尤も他の部門も、それぞれ”労務ムラ””営業ムラ””総務ムラ”等々になっているようですが)、その内部では原子力本部長が絶対の権限をもつヒエラルヒーを形成し、社長や会長といえども口出しできない「聖域」となってきたとのこと。なかでも一切の配電の権限を握るその運転室は、「神の座」と畏れられてきたそうです。ただ、逆にいえば東電の経営陣には原子力の専門家は入れず、だからこそ自分の村をつくらざるをえない。そのかわり、対外的に関わりの深い官僚や政治家、学者たちを自分たちの村に引き込んで、その村を拡大してできたのが、いわゆる<原子力ムラ>というわけです。今は内部となっている領域も、もともとは外部だったので、同様に今は外部の領域も、次々に内部に繰り込まれてゆく可能性があります。<原子力ムラ>にとっての外部とはそういうものです。ならば逆に、その内部の中の内部は…と遡行してゆくと、それはまさしくムラの内奥深く厳かに隠された、原子力本部の聖なる神殿だったのです。

こうしてみてくると、<原子力ムラ>はいうなれば、原子力という共通の<神>、原子力推進という共通の<神話>のもとに、異なる利権に競り合う<神官>たちを垂直的に統合する、きわめて宗教的な共同体ということができます。そう、呪術を駆逐し宗教を否定してきたはずの科学技術は、今やその最先端に至って再び、擬似呪術的・擬似宗教的にこそ維持されるしかない地点に立ち至っていると言わねばなりません。最先端の宗教教団としての高度科学技術国家・・・その教団の司祭たる<原子力ムラ>の専門家エリートたち・・・。
原子力の推進にあたって、安全神話、平和利用神話、安価神話、無資源国神話、核燃料サイクル神話、クリーン神話、安定供給神話(原発止めると電気が足りないやら、いきなり原始時代に逆戻りするやらの事実無根の神話)、etc.etc.・・・と次々に新たな神話が生み落とされねばならなかったのも、このためではないでしょうか。
いやもっといえば、「原子力」という語自体がすでに1つの神話でした。同一の原語”atomic energy”を「核エネルギー」でなく「原子力」と訳し分けて、あたかも「核」兵器や「核」爆弾とは別種の世界であるかのような印象操作を、この訳語に忍び込ませながら、涼しい顔して微笑んできたわけですから。
まして「平和利用」となれば、本当はただ端的に「核の民事利用」と言い直すべきもので、「平和」とは全く無縁な単なる神話にすぎないことは、スリーマイル島事故・チェルノブイリ事故でもとっくに明らかになっていたことですが、3・11原発震災以降、もう誰の目にも疑いないことでしょう。

前回みたような、本当は正しくないかもしれない情報が「真実」となり、本当は正しいかもしれない情報が「デマ」となりかねない基本構造は、高度科学技術国家のこの擬似宗教性にこそあったというべきでしょう。

<つづく>


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3・11以後に向けて(7) 2011/06/22 13:41

2011-07-03 00:30:00 | 3・11と原発問題

残念ながらわがニッポンでは、こんな「理性」がいつも、さまざまな重要な事柄の、何が「正しい」情報なのかを決定してきました。それに外れると判断された情報は、たとえ(科学的に!)正しいものであっても、隠蔽され黙殺され、「デマ」として排除され抑圧される。
諸外国のメディアは、日本のマスコミよりずっと的を射た報道をしても、しばしば「行過ぎた過剰な報道」として、日本政府(外務省)から訂正を求められねばなりませんでした。もちろん「明らかな事実誤認」もあり、「原発事故で作業員が5人死亡」といった記事が次々と転電されるなどは、訂正されて当然ですが、他方では、オハイオ州のタブロイド紙の例のように、「ヒロシマ」「ナガサキ」「フクシマ」とキノコ雲が3つ並んだ漫画を掲載しただけで、在デトロイト日本総領事館から「事故と原爆を同一に扱うのは不適切」と抗議され、謝罪のうえ、ネット上に掲載された漫画も削除する、「過剰報道狩り」もみられました(朝日新聞4月8日付)。
それでいて、福島第1原発3号機がプルサーマル稼動でプルトニウムを所有するという基本的な事実さえ、海外では震災後1週間以内までに、欧米から中国・韓国に至る多くのメディアで伝えられる周知の事実だったのに、当のわがニッポン国内では、専門家や反対運動界隈以外ではほとんど知られておらず、3月29日に3号機敷地内の土壌からプルトニウム検出が明るみに出てはじめて、慌てて少し、その時だけ、報道されるのです。

ましてネット空間への当局の猜疑心は格別で、早くも震災当日にデマ取締りの方針を決定した警察庁は、3月17日には、各都道府県警に、ネット上のデマと判断した書き込みは事業者に削除を要請するよう指示、表現内容にまで警察が直接踏み込むという前代未聞の対応を見せました。折しもその日、ツイッターに宮城選出の参院議員(自民党)・熊谷大氏が、「ガソリン抜き取りや火事場泥棒が報告されている。こういう時だからこそ助けあおう」と書き込み、それを誰かがネットに転載した、こんなものまで「デマ」と判断されて、警視庁の要請で削除されてしまいました(朝日新聞5月2日付)。
一体これは正しくない情報なのでしょうか? ちなみに、3月30日の衆院法務委員会で警察庁生活安全局長は、「ガソリン抜き取りや侵入窃盗が相当数発生している」と答弁しています(同紙)。すると問題は何? ……「正しい」か「正しくない」かは当局が決める。また、「正しい」としても、それを「誰が」言ってもいいかも当局が決める。要はそういうことでしょうか。でもこれでは、事態は<災害ナショナリズム>どころか、もはや<災害ファシズム>(野田正彰・鎌田慧など)になってしまいます。それともそうやって、日本版ジャスミン革命が勃発するのを、ひそかに応援しているのでしょうか(笑)。4月6日には今度は総務省が、ネット上のデマの自主的な削除を各事業者に要請する通達を出したところをみると、どうやら本気なのかもしれません!

一方、本当は正しくないかもしれない情報も、できるだけ「正しい」ものであるかのように、できるだけ曖昧な表現を使って発表されます。たとえば、放射能問題をめぐって、政府が繰り返し表明してすっかり流行語(!)にまでなった、「ただちに健康に害のある値ではない」というあの文言。あれこそよっぽど、「国民の不安を煽る」デマに相当しないでしょうか。デマのおこりやすさは、事柄の曖昧さと重要さ(関心度)の積に比例し、断片的であるほど・抽象的であるほど・よそよそしい態度で語られるほど、デマの材料になりやすいというのは、もう何十年も前から社会心理学の「常識」(科学的真理!?)です(オールポート『デマの心理学』、清水幾太郎『流言蜚語』)。デマの取締りというなら、警察はまずこうした政府をこそ取り締まらなければなりません。
では取り締まって削除すれば落ち着くかというと、おそらく現実はそう単純でない。ネット上のデマも同じでしょうが、むしろますますデマを増殖させるだけでしょう。なぜなら、よほど政府に都合の悪い事実だから削除された(あるいは見当たらない)のだろうという推測を、猛烈に煽ることになるからです。
とすると、もはや残る選択肢は1つ。政府は、おのれの都合のフィルターを通さずに、事実をありのままに公開すべきです。公開して、公共の場で皆がさまざまの立場から、対等に、しっかりと討論すべきなんです。それが公的機関としての政府の第一の役割であり、責任であり、それこそが<公助>の第一歩でなければなりません。またそのとき、デマに対しても最も効果的な火消し役となるはずです。……と、こんな主張もそれ自体1つの「デマ」にすぎないというのであれば(論理的にはそうなりかねない)、むしろ政府はネット空間に目を向け、しかと観察し、虚心に見習いなさい。多くのガセ情報が飛び交うたびに、即座に検証し訂正してまわる「検証屋」(荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』)の働きぶりが、政府より何歩も先を行く、よき理性を備えていることに気づくはずです。

こんなふうに、まず言論や情報メディアのレベルで見てきただけでも、“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”の<災害ナショナリズム>は、前に見たように<災害ユートピア>の方へたえず踏み越えられるにとどまらず、今度は<災害ファシズム>の方へもたえず踏み越えられてゆくポテンシャルに満ち満ちていることがわかります。しかもこれは、単に言論や情報メディアの問題だからではありません。あくまでそれは波頭の一滴。深海に蠢くもっとおどろおどろしいうねりこそが本命です。

<つづく>


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3・11以後に向けて(6) 2011/06/20 19:04

2011-07-03 00:29:00 | 3・11と原発問題

そこで第2に、“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”の連呼と、原発事故の危機的事態~「計画」停電の時期的符合に話を移しましょう。
震災直後かなり早い段階から、多くの人々によって、“地震・津波は天災でも、原発は人災”と口々に語られてきました。“天災”に加えて、その“人災”が、日に日に最悪の様相を呈しつつあったのがこの時期でした。しかも当時発表されていたよりも、事態はずっと悪いものだった。そして驚くべきことに、ていうか恐るべきことに、多くの人々が、合理的にも非合理的にも、そのことを当時とっくに察知してしまっていたのです。察知はしているものの、ただ、その確実な証拠を誰もつかむことができない。この宙吊りの不安! その不安があの頃は至る所に蠢いて、本当に大変でしたね。自然堂の界隈でも、疎開・転居・海外移住…などなどをめぐって、軋轢・葛藤・論争その他さまざまな波紋がありました。その濁流の中で心身の調子を崩し、今なお復活しきれずにいる方もあります。でもいっそう恐るべきことは、その宙吊り構造は今も何ら基本的に変わっておらず、かえってますます見えにくくなって潜行していることではないでしょうか。
なぜ誰も確たる証拠をつかめないのか。いうまでもなく情報が隠され、あるいは操作されているからです。当時(も今も)、東電・政府~マスコミ等から伝えられた情報は、過大にも(チェルノブイリ型の爆発の可能性など)・過小にも(原子炉内外の状況や放射線量等のデータなど)信頼性に欠けるものばかり。これら両極端の煙幕に巧みに守られながら、実際にはすでにこのとき福島第1原発の3機ともがメルトダウンしていたことが、震災から2ヶ月も経ってから、しぶしぶ「認定」される体たらくです。はじめから知っていて、隠していたのだろう? といわれても無理のない話です。

ではなぜ、正しい情報さえもがきちんと一般に公開されないのか。「国民の不安を煽るようなことになってはいけないから」というのが、ほとんどお決まりの答えです。まるでデマへの対応みたいじゃないですか。正しい情報もデマ情報も扱いが変わらない。そう、いま僕らは、どんなに科学が進歩しようが(あるいはそれゆえに?)、真の情報もニセの情報も機能的には区別を失ない、同じものとして流通する世界の中に引き入れられています。内容が正しかろうがデマであろうが、その情報が「国民の不安を煽る」(と想定される)かどうか、社会秩序を乱す(と想定される)かどうかだけが重要であり、そうしたパニックを引き起こさない(と想定される)情報こそが、今や唯一「正しい」情報というわけです。
なんと国民思いの指導者たちでしょう! “大本営発表”だと揶揄する声も盛んでしたが、たぶん根はもっと深くて、そこに流れるのは、もともと『論語』に由来し、江戸幕府で大幅に採用され、明治天皇制でかえって増幅され、戦時体制をへて戦後システムにも継承され、日本的ネオリベを補完する新保守主義にまで一貫した、あの“由らしむべし、知らしむべからず“の儒教的パターナリズムではないでしょうか。何が「正しい」ことか、何が「正しくない」ことか、何が知るべきことか、何が知らなくてよいことか、1人1人が判断するのではなく、”お上“が決めてくれるんです。見るも麗しい<公助>です。そうと決まったら、あとはそれに従って、“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”で行くのが一番「正しい」んです。すると俄然みんな元気になります。何のために団結してるのか忘れるぐらいに元気になります。まるでこれこそが<共助>のような気さえしてきます。あの時期にこのスローガンが出てきたのも当然だったのでしょう。

ただ、どうしても1つ気がかりが消えません。僕ら「国民」は、本当のことを知らされると、本当にそんなに不安に陥って、パニックしてしまうものなのでしょうか。むしろ中途半端にしか知らされない方が、宙吊りの不安でパニックも起こしやすくなるのではないでしょうか。さらにはむしろ、知らせまいとしている側の方が、勝手な想像を逞しくして、よっぽどパニックしていることはないでしょうか。
ここで、アメリカの災害社会学でいう「エリートパニック」のことを思い出します。それによると、災害の際には“普通の人々“がパニックになるのではなくて、むしろエリートの方が、社会秩序の混乱(と想定されるもの)を自分たちの正統性に対する挑戦として恐れ、パニックに駆られて、いっそう権力的な行動に出てしまうのです(再び関東大震災の官憲テロを思い出します)。つまり、普通の人々がパニックを起こすのではないか、と想像してエリートがパニックを起こし、そのエリートのパニック行動によって、普通の人々もパニックを起こしかねないというのが、むしろ実態に近い。ただ恐らく、エリートのパニックの方が、(権力をもつ分だけ)より「理性的」な相貌をまとうので、パニックとして見分けがたいということはあるでしょう。

たとえば最近でも、6月11日の脱原発全国行動のデモを、石原伸晃・自民党幹事長が、「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」とか言って、自分は理性的なつもりになっていますよね(読売新聞ほか6月15日付)。では石原氏にお伺いします。石原氏もその中心にいた、菅内閣不信任案をめぐる一連の騒動は、あれは政界の与野党挙げての一大集団ヒステリーではなかったのかと(ちなみに僕は、断るまでもなく、菅氏の支持者ではありません)。
まあ仮に、脱原発デモが集団ヒステリーだったとしても、それでも政界の集団ヒステリーに比べたら、脱原発デモの方が、“原発は恐い”“恐いものは恐いと言っていいんだ”と、自らのホンネを衒いなく表明していた点で、一見「ヒステリック」なようでいて、実はずっと理性的だったように思います。それに比べて政界の集団ヒステリーは、何がホンネなのか、ついぞ表明しえない。隠すことしかできない。隠しているのを自分でちゃんとわかってるのかすら怪しい。だから一見「理性的」なようでいて、その分ずっとヒステリックでした。さまざまな政治的利害の思惑の、さらにその根底のところで、本当のところ何を恐れていたのでしょうか。恐いものは恐いと、みんなの前で言っていいのですよ。どうぞ言ってください。

<つづく>

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3・11以後に向けて(5) 2011/05/31 09:08

2011-07-03 00:28:00 | 3・11と原発問題

自由(自発的)で平等(相互的)な「特別な共同体」を生んでしまう、この<災害ユートピア>(レベッカ・ソルニット)の側面を、“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”のスローガンは、果して促進しようとしたのか、隠蔽しようとしたのか。自由で平等な友愛のエネルギーを存分に横溢させようとしたのか、それともそのエネルギーを、内側にも外側にもはみ出さないように囲い込み・去勢し・水路づけようとしたのか。なにしろ、歴史上多くの災害は、“いま・ここ”にユートピアを現出し、そのまま革命にすら転化していってしまう危うい可能性を秘めるものだったのですから。

1906年のサンフランシスコ大地震では、渡米中に被災した幸徳秋水が、澎湃たる相互扶助の自然発生に「無政府共産」の一挙実現をみて、「愉快なり」と快哉を叫んだ手紙を日本に書き送っています(その5年後、今からちょうど100年前に、日本政府のでっち上げた「大逆」の獄に刑死)。
1923年の関東大震災でも、たとえば芥川龍之介は、「大勢の人人の中にいつにない親しさの湧いてゐるのは兎に角美しい景色だった。僕は永久にあの記憶だけは大事にしておきたいと思ってゐる。」(「大震雑記」)と記しています(その彼自身は4年後に、「ただぼんやりとした不安のために」と書き遺して自死)。にもかかわらず、いや恐らくだからこそ、官憲自らデマで人心を煽動し、朝鮮人大虐殺へと導いたのでした。この官憲のデマと、わがスローガンとは、果たして同じ機能を果たすものなのか違うものなのか・・・
そして今日では、1972年のニカラグア地震と7年後のサンディニスタ革命、1985年のメキシコシティ大地震と以後の民主化革命。さらには1991年のソ連崩壊も、元大統領ゴルバチョフの述懐によれば、彼の推進したペレストロイカよりもチェルノブイリ原発事故が、真の原因・転回点だったというのですから、もうとても他人事ではないですよね。

それでなくても、今日の「リスク社会」と呼ばれる段階の「リスク」は、今までの危険一般と違って、どのリスクも発生地をこえて脱領域的・超国家的に広がってゆき、いわば危険そのものが、それだけですでに世界中の人々を、さらには地球上いっさいの山川草木悉く皆をも、共通の運命のもとにつなげてしまう可能性をもっています。
<存在>の脆弱な偶然性を逃れる(=克服する!)ために、懸命に発展を重ねてきた近代文明は、その進歩の尖端において、ほかならぬ僕らの脆弱性・偶然性をかえっていっそう強烈に炙り出し、切実に向き合わずにはいられなくさせてしまったのでした。

さてそれでは、3・11大震災は、ついにいよいよ”万類共存の一大ユートピア社会”への突破口を切り開いたということでしょうか。“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”のスローガンの覆いの下で、実はもう僕らは、この”いま・ここ”に、自由でかつ平等な、新たな理想社会を築き始めているということでしょうか。またそのとき、このユートピアは、いったん成立すれば、あとは順調に発展してゆくものなのでしょうか。

その点で忘れてならないのは、被災地に決して少なくないと伝えられる盗難や略奪、そして性被害などの実態です。
「日本社会の美徳として、災害のあとに略奪が起こらないという神話は、今回の震災で少し揺らいでいた」(朝日新聞グローブ63号)とは、石巻を中心に被災地を回る、復興会議のメンバーの1人・高成田享氏のことば。もっともこれまでも、それらは公にされない暗数として常に存在してきたのではないか(とりわけ性被害)、「日本社会の美徳」神話こそがむしろそうさせてきたのではないか、との疑問符は外せません。そのことでやっと少し真実に接近できるといったところでしょう。

たしかに今回の震災では、被災地の半壊したコンビニや商店、ATM等の、震動や津波でなく叩打によって破られたガラスの決して少なくなかったことを、報道も知人も教えてくれます。宮城県内のコンビニやホームセンターでは、仙台市の都市部を中心に、震災に便乗したとみられる夜間の窃盗ないし窃盗未遂事件が、震災後3日間ですでに40件にも上ることを、県警が発表しています(読売新聞3月15日付夕刊)。岩手県山田町では、津波で流されたパチンコ店の両替機がこじ開けられて現金二百数十万円が盗まれ(毎日新聞3月30日付夕刊)、福島県大熊町の避難指示区域にわざわざ栃木からやってきた男が軽乗用車を盗んで逮捕され(毎日新聞4月5日付)、福島県いわき市では市内在住の若い兄弟が民家から現金などを盗み、腕時計や指輪等を都内の質屋に持ち込んで逮捕される(毎日新聞4月29日付)、などの報道があります。
避難生活者の間でも、高成田享氏が被災地で聞いたところでは、被災後2日間は乏しい食べ物を分け合って我慢していたが、3日目になると、しばしば食事の取り合いや喧嘩が始まったとのこと(前掲紙)。なかには昼間からの飲酒や賭博・・・。岩手県大槌町の避難所では、支援に来た北海道南西沖地震の被災者と避難住民たちが、夜のたき火を囲んでギターで歌っていたところ、すでに就寝していた避難住民と口論になり、殴り合い寸前になる一幕もあったことが報じられています(東京新聞4月8日付)。
避難所での女性の性被害もまた、阪神や中越の時と同様、やはり非公式ながら被害が報告されていることを忘れてはなりません(東京新聞4月7日付夕刊)。そしてここで確認しておきたいのは、これらの事実をもまた、“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”のスローガンは隠蔽することができる(そして事態を促進してしまう)ということです。「全国女性シェルターネット」の代表のお話では、過去の事例でも、「被害者が訴えても『こんな時に何を言うのか。加害者も被害者だ』と逆に叱られ、闇に葬られた例は少なくない」とのこと(同紙)。・・・ああ、かくまでもかくまでも、”ニッポンはひとつ”(加害者も被害者)、“がんばろうニッポン”(こんな時に何を言うのか)!
この「日本社会の美徳」!

それにしても、そもそも災害時になぜこうした無法な行為が発生するのか。災害ユートピアでは、法律や警察が無効になり、ほどなく利己主義に支配されるからでしょうか。それなら上にあげた、より理想的な社会を建設していったいくつかの事例が説明できません。むしろそれは、ユートピアが十分な支援で支えられず(つまり外部の方が勝手にユートピアから醒め)、孤立する時に、そして孤立すればするほど、起こりやすいのではないでしょうか(被災地の窃盗事件が都市部の方に多いのもそのためかもしれません)。あるいは逆に、ユートピアの「無法」を勝手に恐れた公権力の過剰な介入が、一種の「予言の自己成就」のようにして、それを惹起してしまうのではないでしょうか(関東大震災の官憲デマはその極限例)。いずれにせよ要するに、避難生活とその支援の条件が、被災当事者にとって、あまりにも(つまり過少にも過剰にも)不適切で、不安や恐怖、不信、苛立ちの昂じるなかで生じるのではないでしょうか。

しかし結論を急ぐ前に、まだ手を着けていないもう2つの時間的符合の件がありました。まずはその検討をしておかなければなりません。

<つづく>

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3・11以後に向けて(4) 2011/05/29 20:23

2011-07-03 00:27:00 | 3・11と原発問題

さてそのうえで、くどいようですが、もう一度あの“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”について考えてみます。しばらく時が経ったこの間に、“ニッポンはひとつ”だなんて、たしかにもうあんまり耳にしなくなりました。所詮は空疎なスローガンにすぎなかった、ということでしょうか。ただ同時に、空疎なスローガンならスローガンなりに、役割を果たし目的を遂げたからこそ、身を引いていったのではないかと見ることもできます。3・11以後に向けてあちこちに蠢くさまざまな企図を、このスローガンの下に、促進しつつ隠蔽し、隠蔽しつつ促進する、むしろ濃厚なイデオロギーとして。ならば、このいわば<災害ナショナリズム>のもとで進行していたのは何だったのでしょうか? 

そこで、“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”というあのフレーズが、AC広告をはじめ、随所で耳目にふれるようになったのは、どんな時期であったかを再び思い出してみます。恐らく3月14日頃の前後、直接にはまず、①日本にいる「外国人」たちが続々と出国しつつあるのが報じられ、また身の回りでも目に付きだしたあたりからだと僕は記録してあります。そして、その時期はまた、②福島第1原発が最悪の事態となり、続いていかにも唐突に「計画」停電が強行されはじめた真只中のときでもありました。さらにまたそれは、③首都圏を中心に(九州に至るまで)、怒涛のように「買占め」の波が巻き起こり、それこそまるで第2の津波のように、スーパーその他の小売店頭から主な生活物資がごっそりと浚われてしまった頃でもありました。これら3重の時間的符合の意味を掘り下げておく必要があるように思います。

第1に「外国人」たちの出国との符合。“奴ら”外国人は帰るところがあるからいいけど、“われわれ” ニッポン人はここにいるしかない。それに東北で被災している人たちは「同じニッポン人」なのだから、「見捨てる」ようなことはしてはいけない(てことは、自分らニッポン人は「外国人」に「見捨てられた」、と思ってることを暗に語ってもいますが)……そんな声が、僕の周囲でも多く聞かれたものでした。共に捨てられた「同じニッポン人」どうし、という限定付きでみれば、ここには、どんな違いもこえて、互いに助け合おうという<共助>の思想が込められていたということはできましょう。
実際、東北被災地では、わざわざスローガンなんかに諭されるまでもなく、「同じニッポン人どうし」以前に、もともとの強力な地縁共同体の結束力を支えとして、したたかに<共助>を展開し、それを伝える報道等は僕らを驚嘆させずにはいませんでした。
他方、多くの「外国人」たちが帰ってしまったのは、何も彼らが冷酷な人間だからではなく、日本政府~メディアの隠蔽する危険な現実を海外メディアのほうが逸早くよく伝えていたからであり(日本政府はそれをデマ扱いして済ませましたが)、またこれまで日本政府が入国者や難民にみせてきた数々の人権侵害的な待遇が、この非常事態のもとで、とても信頼をかち得るに至らなかったからです。各国の駐日大使館も、日本の外務省が何の情報も出さず協力もしないので、自力で情報を収集し、自力で交通手段を手配して自国民を避難させねばならず、現場の大使館員は日本政府に「怒り心頭」らしいと自民党議員・河野太郎氏は伝えています(『世界』6月号)。
そう、実は、冷たい「外国人」と暖かい「ニッポン人どうし」といった対立があるのではなく、冷たい日本政府と、それに対して、共に翻弄される在日「外国人」と「ニッポン人」とがあり、「外国人」・「ニッポン人」はむしろ互いに助け合う仲間に近い立場にあるのではないでしょうか(さらにいえば、逆にニッポン人も、被災者が現に「国内避難民」を強いられているだけでなく、全「国民」がつねにすでに「潜在的な難民」の地位にあることを忘れてはなりません)。
いまこれほど、ニッポン人に多くの同情と援助の念が世界中から集まったことはないでしょう。ツィッターやフェイスブックも大きな役割を果たしました。そして東北被災地では、地縁共同体の<共助>に混じって、在日のアジア系を中心とした「外国人」たちが、ニッポン人と一緒に、懸命に奮闘していると聞きます。郡山や仙台では(そして気仙沼にも繰り出して)、被災した朝鮮学校が校舎等を避難所として開放し、日本人を受け入れたり・支援物資を配ったり・孤立した日本人たちを支援したりして、「民族を問わず命を救いたい」「民族の違いを考えず仲間として助け合えた」「被災者に国境はない」と尽力しています(京都新聞4月4日付夕刊)。

こうして、どんな違いもこえて、互いに助け合おうという<共助>の思想は、その本性上、“同じニッポン人どうし”などというケチな枠を、内側にも(地縁共同体)・外側にも(「外国人」)、軽々と踏み越えて、もしお好みならば“同じ人間どうし”とでも言うほかない、普遍的な地平へとはみ出していってしまうポテンシャルに満ちあふれています。
なぜ苦しんでいるのが彼らであって、自分ではないのか。なぜ自分がここにこうしていて、それが彼らでないのか。<存在>というもののこの厳然たる偶然性・・・この偶然性こそがまさに、僕ら1人1人を否応なく<共助>へと立ち向かわせる衝発力にほかならないのでしょう。あまりにも弱く・あまりにも小さく・あまりにも寄る辺ない・偶然の存在でしかないという、否定しようのない一見否定的な現実が、どんな違いをも乗り越えて、人々を(いやそれどころか山川草木悉皆をも)縦横無尽に肯定的に連帯させてしまうかもしれない・・・
いっさいの<存在>の、所詮は一片の身体でしかない脆弱性(vulnerability)と、でもそうであるがゆえに自然(じねん)に発動せずにはいない回復力(resilience)と。

<つづく>


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