誰でも知っているように、魚のように水中に暮らす生物はみな、鰓を持っています。鰓は摂食と呼吸という固有の機能を果たすために、固有の骨格と筋肉と神経をもつ、「鰓弓」(gill arches)という独自の構造をなすものです。
鰓弓はカンブリア紀の無顎類メタスプリッギナ(Metaspriggina walcotti)の化石からも確認されていますから、文字どおり脊椎動物のはじめ、約5億2千万年余前(カンブリア紀)から存在してきたことになります。以後その間、地球上の生物は、実に少なくとも5度の大絶滅の危機に見舞われました(今は6度目!)。しかもなおそこを潜り抜けるなかで、ほぼすべての脊椎動物が、その発生期の菱脳(延髄・橋・小脳の前身)の(脊椎動物特有の)脳分節において、鰓弓神経ファミリーを構成する三叉神経運動核・顔面神経核・舌咽神経核・迷走神経背側運動核が前後軸に沿って2分節ごとに整然と並ぶ構造を備えるに至ったのでした。この構造は、ヤツメウナギやヌタウナギを含む現生の脊椎動物のすべてに見られ、また今のところ脊椎動物にしか見い出されていないものだそうです。
言いかえると、脊椎動物の脳の基本構造は、すでに無顎類が進化してきた時点でできあがっていたことになるでしょう。そして、この菱脳から中脳・間脳をへて終脳に至る情報の流れなどは、すべての脊椎動物を通じて非常によく保存されており、どの脊椎動物でも多くの共通の「基本的神経回路」(early neuronal scaffold)が存在することを示しています。
なお、カンブリア紀がどれほど私たちの身体組成と因縁深いかは、ヒトの血液のイオン濃度が、カンブリア紀の海のイオン濃度を反映している事実によく表われています(ちなみに細胞内液のイオン濃度は、もっと原始の海を反映しています)。
ポリヴェーガル理論でいう「腹側迷走神経複合体」も、鰓弓神経ファミリーの、この5億2千万年の伝統抜きには語ることのできないものであることに注意しましょう。