気象庁の発表では、関東も梅雨入りだそうです。
平年より10日も早く、史上3位タイとのことですが、この宣言は明らかに勇み足! の間違いでしょう。いずれ訂正されるのではないでしょうか(あまり知られていませんが、梅雨入り宣言は一般向けの暫定的な目安で、正確な時期確定は、後から遡って行なわれるものです)。
なにしろ、肝心の梅雨前線がまだ全然できていないですし、高気圧や低気圧の配置も整っていません。この段階での梅雨入り宣言は全く不可解です。今日の東京新聞の夕刊によると、「天気キャスターで気象予報士の増田雅昭さんは『気象庁は梅雨前線を描いていないが、(本州付近に)描いてもいい状況』」とフォローしていますが、ならば気象庁は、梅雨前線をはっきり描くか、やっぱりまだ梅雨前線を描けないのであれば、梅雨入り宣言は待たなければなりません。
では、なぜこんな勇み足がおこってしまうのでしょうか?
1つは、このところの台風その他の悪天候情報にも通じる、クレーム先取り系の“お客様帝国主義”ではないでしょうか。悪い天気の予報で外れて、実際はよい天気であっても、あまりブーイングは来ないけれども、よい天気の予報で外れて、実際は悪い天気であったらクレームの嵐! それを未然に防ぎたい、というのは天気予報業界ならずとも、今どきどの世界でも苦慮するところです。
“お客様は神様”で、その神様にどうご奉仕するか。“お客様のため”が錦の御旗となって、システムのすべての部分が整序されていく。それはまるでちょうど戦前のニッポンで、“天皇陛下は神様”で、“天皇陛下のため”にシステムのすべての部分が整序されていったのと、ウリ2つではないでしょうか。
そしてもう1つは、気象予報士の自由化による競争の激化、“クレーム先取り合戦”のエスカレートではないでしょうか。どの気象予報士がお客様という神様のお眼鏡に適って、よりクレームの少ない予報を届けられるか。みんなで競争して、どんどん“お客様のため”の<忠誠競争>をエスカレートさせていくのです。それはまるでちょうど戦前のニッポンで、“天皇陛下のため”の<忠誠競争>が全国民的に昂進していって、泥沼の戦争に溺れていったのと、ウリ2つではないでしょうか。
平年より10日も早く、史上3位タイとのことですが、この宣言は明らかに勇み足! の間違いでしょう。いずれ訂正されるのではないでしょうか(あまり知られていませんが、梅雨入り宣言は一般向けの暫定的な目安で、正確な時期確定は、後から遡って行なわれるものです)。
なにしろ、肝心の梅雨前線がまだ全然できていないですし、高気圧や低気圧の配置も整っていません。この段階での梅雨入り宣言は全く不可解です。今日の東京新聞の夕刊によると、「天気キャスターで気象予報士の増田雅昭さんは『気象庁は梅雨前線を描いていないが、(本州付近に)描いてもいい状況』」とフォローしていますが、ならば気象庁は、梅雨前線をはっきり描くか、やっぱりまだ梅雨前線を描けないのであれば、梅雨入り宣言は待たなければなりません。
では、なぜこんな勇み足がおこってしまうのでしょうか?
1つは、このところの台風その他の悪天候情報にも通じる、クレーム先取り系の“お客様帝国主義”ではないでしょうか。悪い天気の予報で外れて、実際はよい天気であっても、あまりブーイングは来ないけれども、よい天気の予報で外れて、実際は悪い天気であったらクレームの嵐! それを未然に防ぎたい、というのは天気予報業界ならずとも、今どきどの世界でも苦慮するところです。
“お客様は神様”で、その神様にどうご奉仕するか。“お客様のため”が錦の御旗となって、システムのすべての部分が整序されていく。それはまるでちょうど戦前のニッポンで、“天皇陛下は神様”で、“天皇陛下のため”にシステムのすべての部分が整序されていったのと、ウリ2つではないでしょうか。
そしてもう1つは、気象予報士の自由化による競争の激化、“クレーム先取り合戦”のエスカレートではないでしょうか。どの気象予報士がお客様という神様のお眼鏡に適って、よりクレームの少ない予報を届けられるか。みんなで競争して、どんどん“お客様のため”の<忠誠競争>をエスカレートさせていくのです。それはまるでちょうど戦前のニッポンで、“天皇陛下のため”の<忠誠競争>が全国民的に昂進していって、泥沼の戦争に溺れていったのと、ウリ2つではないでしょうか。