心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

PTSDと(m)TBI((軽度)外傷性脳損傷)、MI(道徳的負傷:モラルインジャリー)(9) ~モラルインジャリーとPTSD~

2023-06-21 23:08:37 | 健康・病と医療

MI(モラルインジャリー)は、前回みたように、トラウマといっても道徳的なトラウマなので、PTSDのような恐怖に対する反応というよりは、

罪悪感や恥、怒り、無力感、無意味感、裏切り/裏切られ感、自分自身や他者を人として許せないという痛切な感覚、

して宗教的信仰の喪失といった反応となります[Koenig et als.2018;Koenig&Al Zaben 2021;Svodoba 2022=2023]。

 

MI(モラルインジャリー)は、重度のトラウマのもとでしばしば発生しますが、

PTSDとは区別しなければなりません[Litz et als.2009;Brock&Letitini 2012;Shay 2014;Koenig&Al Zaben 2021,p.2994]。

つまりMIは、PTSDとは別の症候群とみなされますが、しかしいくつかの定義上の重複があります[Koenig & Al Zaben 2021,p.2994]。

MIはPTSDの存在するときも、存在しないときも、発生するかもしれません[Koenig&Al Zaben 2021,p.2994]。

 

これが恐怖を核とするPTSDモデルだけでは捉えられないMIの問題であり、

恐怖だけでなく裏切りと密接に結びついたものとしてトラウマを理解するのがMIの立場です。

いわばフレイドの言う「裏切りのトラウマ」(Betrayal Trauma)[Freyd 1996]ということもできます。

自身の命を懸け、全存在を委ねたはずの軍隊や国家からの裏切りの衝撃は非常に大きく、

激しい怒りを生み、その結果あらゆる理想や活動に信頼性を疑うようになり、

自分の所有物や親密な関係の価値も喪失し、また孤独に陥りやすくなるでしょう。

 

 

 MI(モラルインジャリー)とPTSDはこのように頻繁に併存し、時に症状の重なりがあるものの、

PTSD(やうつ)とは基本的に異なる精神症状(道徳的なトラウマ)で[Svodoba 2022=2023,pp.59,61]、

MIに関与する(道徳的処理を制御する?)脳の領域と、PTSDに関与する(恐怖に基づく)脳の領域とは、異なる領域に位置しているようです

[Barnes et als.2019;Sun et als.2019;Koenig & Al Zaben 2021,p.2995]。

MIでは、PTSDとちがって、道徳的判断を司る「楔前部」の活性化が目を引きます[Barnes et als.2019;Svodoba 2022=2023,p.61];

また、直接的な物理的脅威を受けた人とは、グルコースの脳内代謝パターンがちがっています[Ramage et als.2016;Svodoba 2022=2023,p.61]。

 

<文 献>

Bryan, A. O., Bryan, C. J., Morrow, C. E., Etienne, N. & Ray-Sannerud, B., 2014  Moral injury, suicidal  ideation, and suicide attempts in a military sample, in Traumatology, vol.20,

 no.3, pp.154-60.

Freyd,J. J., 1996 Betrayal Trauma. Cambridge:Harvard University Press.

Koenig, H.G.·& Al Zaben, F., 2021  Moral Injury : An Increasingly Recognized and Widespread  Syndrome, in Journal of Religion and Health, vol.60, pp.2989–3011.

Koenig, H. G., Ames, D., Youssef, N. A., Oliver, J. P., Volk, F., Teng, E. J., Haynes, K., Erickson, Z. D., Arnold, I., O’Garo, K. & Pearce, M., 2018  The moral injury symptom scale-military

 version, in Journal of Religion and Health, vol.57, no.1, pp.249–65.

Ramage, A. E.,  Litz, B. T., Resick, P. A., Woolsey, M. D., Dondanville, K. A., Young-McCaughan, S., Borah, A. M., Borah, E. V., Peterson, A. L., Fox, P. T., and for the STRONG STAR

 Consortium, 2016Regional cerebral glucose metabolism differentiates danger- and non-danger-based traumas in post-traumatic stress disorder, in Social Cognitive  and Affective

 Neuroscience, vol.11, no.2, pp.234–42.

Sun, D., Phillips, R. D., Mulready, H. L., Zablonski, S. T., Turner, J. A., Turner, M. D., McClymond, K., Nieuwsma, J. A. & Morey, R. A., 2019  Resting-state brain fuctuation and functional

 connectivity dissociate moral injury from posttraumatic stress disorder, in Depression and Anxiety, vol.36, no.5, pp.442-52.

Svoboda, E., 2022  Moral Injury is an Invisible Epidemic that affects Millions : A specific kind of trauma results when a person’s core principles are violated during wartime or a

 pandemic, in Scientific American, vol.327, no.6, pp.52-59. =古川奈々子訳、2023「コロナ禍で増えた心の病 モラルインジャリー」『日経サイエンス』第53巻4号, pp.56-64。

 

 

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PTSDと(m)TBI((軽度)外傷性脳損傷)、MI(道徳的負傷:モラルインジャリー)(8) ~道徳的トラウマとしての「モラルインジャリー」~

2023-06-18 17:27:16 | 健康・病と医療

すなわち「モラルインジャリー」は、良心に大きく反する状況や、自身の中核となる道徳的な価値観を脅かす非倫理的な状況に直面したときに生じる

特別なトラウマ[Svodoba 2022=2023,p.58]、いわば「道徳的トラウマ」[Ibid.,p.59]なのです。

トラウマといっても道徳的なトラウマなので、PTSDのような恐怖に対する反応というよりは、

罪悪感や恥、怒り、無力感、無意味感、裏切り/裏切られ感、自分自身や他者を人として許せないという痛切な感覚、

そして宗教的信仰の喪失といった反応であり[Koenig et als.2018;Koenig&Al Zaben 2021;Svodoba 2022=2023]、

自傷や自殺念慮、自殺企図も少なくありません[Bryan et als.2014;Ames et als.2019]。

これが恐怖を核とするPTSDモデルだけでは捉えられない「モラルインジャリー」の問題であり、

恐怖だけでなく裏切りと密接に結びついたものとしてトラウマを理解する立場です。

いわばフレイドの言う「裏切りのトラウマ」(Betrayal Trauma)[Freyd 1996]。

 

しかし、すでに1984年に倫理学者のアンドリュー・ジェイムトンも指摘していたとおり、

こうした道徳的な損傷は軍事分野に限ったことではありません[Jameton 1984;Svodoba 2022=2023,p.59]。

重度のトラウマにさらされるヘルスケアの専門家や初期対応者(警官、消防夫、救急医療隊員など)、

重度の情動的・身体的トラウマ(レイプ、中絶、自動車事故、他の事故など)にさらされる人々はその典型例です[Koenig & Al Zaben 2021,p.2996]。

 

各種の職場や医療・福祉・教育等の現場、身近な事故で生じることも多く、

今回のコロナ禍では、パンデミックの救急医療の現場でこの問題が顕在化したことで、

「モラルインジャリー」の概念に注目が集まるきっかけともなりました[大谷 2020;Svodoba 2022=2023]。

ちなみに、パンデミック状況で「モラルインジャリー」が起こりやすい条件としては,

[1]弱い立場にある人間(子ども、女性、高齢者など)の感染や死亡、

[2]リーダーシップの欠如とスタッフへのサポート不足、

[3]意思決定がもたらしうる情動的・心理的な結果に対しての準備不足、

[4]他のトラウマ的出来事(愛する者の死など)の同時生起、

[5]周囲の社会的サポートの不足、の5項目が指摘されています[Williamson et als.2020]。

 

このうち[2]と[5]は重要と思いますが、とくにパンデミック状況以外でも、リーダーシップの欠如どころか、

あろうことかリーダーによる非倫理的な行動の指示命令に及ぶケースが随所にあふれかえっているのは極めて遺憾なことです。

例の森友問題で公文書改竄を強いられて自死した、近畿財務局職員の赤木俊夫さんのケースも記憶に新しいところではないでしょうか。

また、いま私の臨床現場でも、看護や福祉、大手外食チェーン店などの現場から、リーダーによる非倫理的な行動の指示命令で、

「モラルインジャリー」のダメージを受けた方々の来室が相次いでいます。

 

急速に集団の倫理が劣化し、「モラルハラスメント」が当然のように蔓延している今日の日本社会では、至る所で生じている苦悩ではないでしょうか。

しかも、道徳というものを、専ら集団への服従ばかりにみてきた日本社会では、そもそも集団を超える道徳という視点が生まれにくく、

こうした苦悩を倫理の問題として意識化することすら難しくなっています。

それどころか、損傷を受けた側が集団にいっそう服従し直すことで、“解決”が図られているのではないでしょうか。

 

もっとも、「モラルインジャリー」までいかずとも、その前段階として、倫理的にすべきことがわかっていながら、

さまざまの現実的な要因から実行不能な状況にいることで生じるつらい気持ちを指すものとして、

道徳的苦悩」(moral distress)という概念もあります[大西ほか 2016;Koenig&Al Zaben 2021]。

「モラルインジャリー」は、この「道徳的苦悩」がくり返し経験され、その効果が長期間に及ぶときに発生するとみられますが

[Koenig&Al Zaben 2021,p.2990]、

その結果、もはや「道徳的苦悩」のストレス・レベルとは質的に異なる、トラウマ・レベルのダメージに達するようになったものです。

 

<文 献>

Ames, D., Erickson, Z., Youssef, N. A., Arnold, I., Adamson, C. S., Sones, A. C., Yin, J., Haynes, K., Volk, F., Teng, E. J. & Oliver, J. P., 2019  Moral injury, religiosity, and suicide risk in US

    veterans and active duty military with PTSD symptoms, in Military Medicine, vol.184, no.3-4, pp.e271-8.

Bryan, A. O., Bryan, C. J., Morrow, C. E., Etienne, N. & Ray-Sannerud, B., 2014  Moral injury, suicidal  ideation, and suicide attempts in a military sample, in Traumatology, vol.20,

 no.3, pp.154-60.

Freyd,J. J., 1996 Betrayal Trauma. Cambridge:Harvard University Press.

Jameton, A., 1984  Nursing practice : the ethical issues.  Englewood Cliffs : Prentice-Hall.

Koenig, H.G.·& Al Zaben, F., 2021  Moral Injury : An Increasingly Recognized and Widespread  Syndrome, in Journal of Religion and Health, vol.60, pp.2989–3011.

Koenig, H. G., Ames, D., Youssef, N. A., Oliver, J. P., Volk, F., Teng, E. J., Haynes, K., Erickson, Z. D., Arnold, I., O’Garo, K. & Pearce, M., 2018  The moral injury symptom scale-military

 version, in Journal of Religion and Health, vol.57, no.1, pp.249–65.

大西香代子・ 北岡和代・ 中原 純、2016 「精神科看護者の倫理的感受性と看護実践における倫理的悩みの関連」『日本精神保健看護学会誌』第25巻1号、pp.12-8。

大谷 彰、2020 「パンデミックとトラウマ――新型コロナウイルスから考える-―」『人間福祉学研究』第13巻1号、pp.25-40。

Svoboda, E., 2022  Moral Injury is an Invisible Epidemic that affects Millions : A specific kind of trauma results when a person’s core principles are violated during wartime or a

 pandemic, in Scientific American, vol.327, no.6, pp.52-59. =古川奈々子訳、2023「コロナ禍で増えた心の病 モラルインジャリー」『日経サイエンス』第53巻4号, pp.56-64。

Williamson, V., Murphy, D. & Greenberg, N., 2020  COVID-19 and experiences of moral injury in front-line key workers, in Occupational Medicine, vol.70,no.5,pp.317–9.

 

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PTSDと(m)TBI((軽度)外傷性脳損傷)、MI(道徳的負傷:モラルインジャリー)(7) ~「モラルインジャリー」の定義~

2023-06-14 22:11:23 | 健康・病と医療

 MI(モラルインジャリー)は、リッツらの2009年の定義では、

「正邪や個人の善についての仮定と信念を毀損するため、不調和や対立を生み出す違反(transgression)行為」から結果するものとされました

[Litz et als.2009;Koenig&Al Zaben 2021,p.2990]。

道徳的信念や道徳的価値の違反(transgression)がなされたり、観察されたり、学習されたりしたときに発症するというのです

[Litz et als.2009;Koenig&Al Zaben 2021,p.2995]。

 

 ブロックとレティティーニの2012年の定義では、

「恥、悲嘆、無意味感、そして中核的な道徳的信念(core moral beliefs)を毀損したことによる後悔の感情などを含む違反(transgression)感」

[Brock&Letitini 2012,p.xiv]

 

 最近では、ジンカーソンが定義を更新し、

「罪悪感、恥、精神的/実存的な葛藤、信頼の喪失といった経験的・理論的に認識された症状、

そして抑うつ、不安、怒り、自傷といった二次症状、

そしてそこから生じる社会問題を強調しました[Jinkerson 2016;Koenig&Al Zaben 2021,p.2990]。

 

 2018年のケーニッヒらによると、

結果として罪悪感、恥、裏切りの感情、道徳的懸念、許し難さ、意味の喪失、信頼の喪失、自己非難、精神的な葛藤、

そして宗教的信仰の喪失などを伴ないます[Koenig et als.2018;Koenig&Al Zaben 2021,p.2995]。

 

ベトナム戦争帰還兵の「ラップグループ(おしゃべり会)」を組織してそのトラウマを掘り起こし、

DSM-ⅢへのPTSD概念の確立に大きく貢献し、ヒロシマの被爆者や元ナチス医師のトラウマ体験の調査でも知られるロバート・リフトンは、

トラウマ体験者にとって一番辛いのは、(目の前の恐怖によって)何もできないと感じるとき、

二番目に辛いのは(過去を振り返って)ひょっとしたら何かできたのではないかと考え直すときだと記していますが[Lifton 2011,p.262]、

後半の心理こそまさに「モラルインジャリー」の核心に触れているともいえそうです[大谷 2020,p.30]。

 

  とはいえ、「モラルインジャリー」のカテゴリーにどんなものが入るかは、

かなりの意見の不一致とコンセンサスの欠如が今なお残っています[Hodgson&Carey 2017;Koenig&Al Zaben 2021,p.2990]。

 

「モラルインジャリー」は決して珍しい問題でも些細な問題でもありません。

こうした状況を踏まえて、スクリーニングのために、すでに軍人向けの尺度の作成が、2013年のウィリアム・ナッシュら以来着手され

[Nash et als.2013;Koenig&Al Zaben 2021,p.2991]、

近年のケーニッヒらのグループを中心に、MIS-M-LF、MIS-M-SF、EMIS-Mなどさまざまに作成されてきています

[Koenig et als.2018a,2018b; Currier et als.2018;Koenig&Al Zaben 2021,p.2991]。

さらに近年には、ヘルスケア専門家向けの尺度も、ケーニッヒらによって作成されてきています[Mantri et als.2020]。

 

<文 献>

Brock, R. N. & Lettini, G. 2012  Soul repair: Recovering from moral injury after war. Beacon Press

Currier, J. M., Farnsworth, J. K., Drescher, K. D., McDermott, R. C., Sims, B. M., & Albright, D. L. 2018  Development and evaluation of the Expressions of Moral Injury Scale—Military

    Version, in Clinical Psychology & Psychotherapy, vol.25, no.3, pp.474–88. 

Hodgson, T. J. & Carey, L. B., 2017  Moral injury and defnitional clarity: Betrayal, spirituality and the role of chaplains, in Journal of Religion and Health, vol.56, no.4, pp.1212-28.

Jinkerson, J. D., 2016  Defning and assessing moral injury: A syndrome perspective, in Traumatology, vol.22, no.2, pp.122-30.

Koenig, H.G.·& Al Zaben, F., 2021  Moral Injury : An Increasingly Recognized and Widespread  Syndrome, in Journal of Religion and Health, vol.60, pp.2989–3011.

Koenig, H. G., Ames, D., Youssef, N. A., Oliver, J. P., Volk, F., Teng, E. J., Haynes, K., Erickson, Z. D., Arnold, I., O’Garo, K. & Pearce, M., 2018  The moral injury symptom scale-military

    version, in Journal of Religion and Health, vol.57, no.1, pp.249–65.

Lifton, R. J., 2011  Witness to an Extreme Century: A Memoir. New York: Simon and Schuster.

Litz, B.T., Stein, N., Delaney, E., Lebowitz, L., Nash, W. P., Silva, C. & Maguen, S., 2009  Moral injury and moral repair in war veterans : A preliminary model and intervention strategy,

    in  Clinical Psychology Review, vol.29, pp.695-706.

Mantri, S., Lawson, J. M., Wang, Z. Z. & Koenig, H. G., 2020  Identifying Moral Injury in Healthcare Professionals: The Moral Injury Symptom Scale‑HP, in Journal of Religion and

    Health, vol.59, pp.2323-40. https://doi.org/10.1007/s10943-020-01065-w

Nash, W. P., Marino Carper, T. L., Mills, M. A., Au, T., Goldsmith, A. & Litz, B. T., 2013  Psychometric evaluation of the moral injury events scale, in Military Medicine, vol.178, no.6,

    pp. 646–52. 

大谷 彰、2020 「パンデミックとトラウマ――新型コロナウイルスから考える-―」『人間福祉学研究』第13巻1号、pp.25-40。

 

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PTSDと(m)TBI((軽度)外傷性脳損傷)、MI(道徳的負傷:モラルインジャリー)(6) ~「道徳的負傷:モラルインジャリー」概念の登場~

2023-06-12 20:56:41 | 健康・病と医療

さて、これからは、今度はMI(道徳的負傷:モラルインジャリー)の方に話題を移しましょう。

 

前回まで見てきた「(軽度)外傷性脳損傷」((m)TBI)がそうであったように、

モラルインジャリー」(MI)もまた、はじめは戦争(戦場での非倫理的な行動)から注目されるようになったものです:

ベトナム、そしてイラクやアフガニスタンでの従軍兵士が、戦地での民間人殺害など自分(や仲間、上官)が犯した行為に、

帰還後に苦しむ多くの事例があることから研究が進んできたのでした[Shay 1994;Litz et als.2009:Svodoba 2022=2023]。

 

その先駆けは、1970年代、ボストン在郷軍人局病院でソーシャルワーカーとしてベトナム帰還兵の心理治療に専従していた

セラ・ヘイリーの発見で[Haley 1974]、

それは兵士が“殺すか,殺されるか”という状況を生き延びたという事実そのものから、「生存者罪悪感」(suvivor’s guilt)を強く脳裏に焼きつけ、

その葛藤からPTSDが発症するということでした[大谷 2020,p.30]。

 

ヘイリーのこの主張がその後拡大され、「モラルインジャリー」と命名されていくことになるのです[大谷 2020,p.30]。

実際にこの概念が成立したのは、1990年代、退役軍人病院でベトナム帰還兵の精神的後遺症の治療にあたっていた精神科医ジョナサン・シェイによる、

ベトナム戦争の退役軍人の症候群についての研究によってでした[Shay 1994;Shay 2014;Koenig&Al Zaben 2021,p.2990;Svodoba 2022=2023]。

“殺すか,殺されるか”という極限状況においてもなお、自身が非道徳的と思われる行為(殺人、暴力、仲間の放棄、援助の失敗など)に

手を染めたという意識がトラウマを生じることを明らかにしたのでした[Shay 1994;Shay 2014;大谷 2022,pp.134-5]。

こうしてベトナムやイラク、アフガニスタン従軍兵士が、帰還後に苦しむ多くの事例から研究が進んできたものです[Svodoba 2022=2023]。

 

  しかし最も古く遡るならば、少なくとも紀元前416年のエウリピデスの著作『ヘラクレス』(アテナイの悲劇)にまで遡ります:

彼は元々、古代ギリシャで道徳的汚損または汚染の概念を意味する「瘴気」(miasma)の語でこの症候群を説明していました;

それはしばしば不当な殺害から生じますが、どんな道徳的価値の違反(transgression)にも適用可能なもので、

しかもそれは加害者、被害者、あるいは観察者にさえ適用されるのです[Koenig&Al Zaben 2021,p.2990]。

古代ギリシャの叙事詩『イリーアス』では、英雄アキレスが戦いの最中、親友パトロクロスを守り切れずに失い、そのことで自身を責め苛みました

[Svodoba 2022=2023]。まさに「生存者罪悪感」ですね。

 

 しかしシェイによれば、『イリーアス』に登場する古代の兵士に比べれば、産業化され官僚化された軍隊に対する近現代の兵士の依存度は、

小さな子どもが家族に依存するのと同程度に大きいといいます[Shay 1994]。

 

 第1次世界大戦では、心に傷を負った帰還兵が「戦闘疲労」(戦争神経症)とのレッテルを貼られましたが、実際には、

彼らの多くは当時よく言われた「シェルショック」ではなく、思い出したくもない戦場での行為に苦しんだものでした[Svodoba 2022=2023]。

先回の(2)でみたように、いわゆる「シェルショック」は、単にTBIでなく、また単にPTSDでもなく、

MI(モラルインジャリー)の先駆でもあったのです。

 

そうして2009年になって、退役軍人局の心理学者リッツらが戦争退役軍人の「モラルインジャリー」に関する論文を発表してからは[Litz et als.2009]、

このトピックが臨床心理学でも講壇心理学でもより広く注目されるようになったのでした[Koenig&Al Zaben 2021,p.2990]。

 

<文 献>

Haley, S. A., 1974  When the patient reports atrocities: Specific treatment considerations of the Vietnam veteran, in Archives of General Psychiatry, vol.30, pp.191-6.

Koenig, H.G.·& Al Zaben, F., 2021  Moral Injury : An Increasingly Recognized and Widespread  Syndrome, in Journal of Religion and Health, vol.60, pp.2989–3011.

Litz, B.T., Stein, N., Delaney, E., Lebowitz, L., Nash, W. P., Silva, C. & Maguen, S., 2009  Moral injury and moral repair in war veterans : A preliminary model and intervention strategy,  in  Clinical Psychology Review, vol.29, pp.695-706.

大谷 彰、2020 「パンデミックとトラウマ――新型コロナウイルスから考える-―」『人間福祉学研究』第13巻1号、pp.25-40。

Shay, J., 1994  Achilles in Vietnam: Combat trauma and the undoing of character. New York: Scribner.

―――, 2014  Moral injury, in Psychoanalytic Psychology, vol.31, no.2, pp.182-91.

Svoboda, E., 2022  Moral Injury is an Invisible Epidemic that affects Millions : A specific kind of trauma results when a person’s core principles are violated during wartime or a  pandemic, in Scientific American, vol.327, no.6, pp.52-59. =古川奈々子訳、2023「コロナ禍で増えた心の病 モラルインジャリー」『日経サイエンス』第53巻4号, pp.56-64。

 

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PTSDと(m)TBI((軽度)外傷性脳損傷)、MI(道徳的負傷:モラルインジャリー)(5) ~「びまん性軸索損傷」~

2023-06-08 19:14:35 | 健康・病と医療

これら(m)TBIの脳実質の器質的な損傷は、多くが回転外力や加速度による深部の微細な損傷である「びまん性軸索損傷」

(diffuse axonal injury:DAI)[Gennarelli 1984]に分類されるもので[Gennarelli&Graham 1998]、

外傷後のCTで明らかな異常を認めないにもかかわらず、意識障害の遷延がある状態として鑑別され、

重度から最軽度まで量的に連続するスペクトラムをなします。

そしてDAIの最も軽度の段階が、後述のゼネレリの分類によると、mTBIなのです[Gennarelli&Graham 1998;山口 2020,pp.60-1]。

 

この「びまん性脳損傷」と「局所性脳損傷」(脳挫傷、急性硬膜外血腫、急性硬膜下血腫、脳内血腫)とを合わせたものが「外傷性脳損傷」にあたります

[原・富田 2012,pp.1046,1047]。

つまり「脳の器質的損傷」とは、脳挫傷や頭蓋内血腫のような局所性の脳損傷に限らず、広くびまん性の脳損傷をも含むのです[山口 2020,p.77]。

 

「びまん性軸索損傷」の概念は,1956年にシュトリヒが病理学的見解から、軸索や血管に断裂が生じる病態を「びまん性白質変性」

(diffuse degeneration white matter)として報告したのが始まりです[Strich 1956;原・富田 2012,pp.1047 -8]。

その後1984年にゼネレリらが、受傷直後から意識障害が6時問以上続き、画像上その原因としての頭蓋内占拠性病変を認めず、

しかも明らかな低酸素や脳虚血によらない遷延する外傷性びまん性脳損傷を「びまん性軸索損傷」(DAI)と位置づけたのでした

[Gennarelli 1984;原・富田 2012,p.1048]。

 

あわせてゼネレリは、DAIを、意識障害の持続時間と重症度によって、24時間以内に昏睡から回復する「mild DAI」、脳幹症状は伴わないが

24時間以上の昏睡をきたす「moderate DAI」、24時間以上の昏睡に脳幹症状を伴なう「severe DAI」の3段階に分類しましたが

[Gennarelli 1984;原・富田 2012,p.1048]、

さらに後には、「重症DAI」(受傷後の昏睡6時間以上)、「脳震盪」(6時間未満の意識消失、数時間以内の外傷後健忘)、「軽度震盪」

(意識消失なしで、数分以内の外傷後健忘)、「mTBI」(外傷直後の混迷か見当識障害、あるいは30分以内の意識消失、24時間未満の外傷後健忘)の

4つの段階に分けたのでした[Gennarelli&Graham 1998;山口 2020,pp.60-1]。

mTBIは「びまん性軸索損傷」の最も軽度の段階というわけです[Gennarelli&Graham 1998;山口 2020,pp.60-1]。

 

<文 献>

Gennarelli, T. A. ,1984  Emergency Department Management of Head Injuries, in  Emergency Medicine Clinics of North America, vol. 2, no.4, pp.749-60.

Gennarelli, T. A. & Graham, D. I., 1998  Neuropathology of head injuries, in Seminars in Clinical Neuropsychiatry, vol.3, pp.160-75.

原 睦也・富田博樹、2012 「外傷性脳損傷の分類と特徴」『Journal of Clinical Rehabilitation』第21巻11号、pp.1046-51 。

Strich, S.J., 1956  Diffuse degeneration of the cerebral white matter in severe dementia following head injury, in Journal of Neurology, Neurosurgery,and Psychiatry, vol.19, pp.163-

 85.

山口研一郎、2020 『見えない脳損傷MTBI』岩波書店。

 

 

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