心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

かぼちゃのつる

2023-11-22 23:11:23 | 福祉・教育

小学校1年生が、この国ではじめに学ぶ「道徳」はこれだ!

「道徳」のすべての教科書に採用されている、原作者は児童文学作家の大蔵宏之(1908-1994)の作品。

 

一年生のどうとく教科書(光村図書)

「かぼちゃのつる」

 おひさまが、まぶしいあさです。
かぼちゃばたけの かぼちゃのつるは、ぐんぐんぐんぐんはたけのそとへのびていきました。
「かぼちゃさん、かぼちゃさん。」みつばちがとんできて、こえをかけました。
「そっちへのびてはだめですよ。そこはみんながとおるみちですよ。」
「そんなことかまうものか。」
かぼちゃはそういって、ききません。
「かぼちゃさん、かぼちゃさん。」こんどはちょうちょがとんできて、いいました。
「あなたのはたけは、まだまだすいていますよ。そちらへのびたほうがいいですよ。」
「いやだい。ぼく、こっちへのびたいんだい。」
かぼちゃのつるはみちをこえて、すいかばたけにのびていきました。
「かぼちゃさん、かぼちゃさん。」すいかが、よびとめました。
「ここはわたしのはたけだから、はいってこないでくださいよ。」              
「ちょっとくらい、いいじゃないか。」かぼちゃのつるは、ぐんぐんすいかのつるのうえを、のびていきました。
「かぼちゃくん、かぼちゃくん。」こいぬがとおりかかって、はなしかけました。
「ここはみんなのとおるみちだよ。」
「またいでとおれば、いいじゃないか。」こいぬはおこってつるをふみつけました。
「ふまれたってへいきだい。」そこへトラックが、ブルンブルンとやってきました。
そして、あっというまに、かぼちゃのつるをぷつりときってしまいました。
「いたいよう、いたいよう、ああん、ああん。」
かぼちゃは、ぽろぽろぽろぽろなみだをこぼしてなきました。

・・・

 

この対話のなさ。

このお互いの意図への無関心。

この感情への無関心。

この個人の自由とエゴイズムの混同。

この多数派(みつばち、ちょうちょ、すいか、こいぬ)の声の没主体性。

この多数派(こいぬ)による 正義?の暴力の正当化。

この無邪気な体罰の正当化。ひいては死刑の正当化(トラック)。

・・・

 

小学校1年生が、この国ではじめに学ぶ「道徳」はこれだ!

 

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精神科病院の虐待・人権侵害を断ち切るために

2023-05-29 18:25:58 | 福祉・教育

認定NPO法人大阪精神医療人権センターから、

厚生労働省、内閣府、法務省、東京都、関係自治体、

衆議院、参議院、国会議員、政党、関係地方議会、

精神保健医療福祉関係団体、法律家団体、人権関係団体に向けて、

意見書「精神科病院の虐待・人権侵害を断ち切るために」が出されました。

→https://www.psy-jinken-osaka.org/archives/saishin/13443/

 

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日本型強制入院(=医療保護入院)の「縮減」も厚労省が削除!

2022-05-30 19:15:50 | 福祉・教育

先日のブログで、日本型強制入院制度である「医療保護入院」制度について、厚労省が、3月16日までは「基本的には将来的な廃止も視野に、縮小に向け検

討」としていたのを翻して、4月15日に「将来的な継続を前提とせず、縮減に向け検討」と修正、「将来的な廃止」の文言を削除したことを書きました。

 ところが、驚いたことにさらにそれにとどまらず、5月30日、厚労省は有識者検討会「地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討

会」の「報告書(案)」において、「将来的な継続を前提とせず」も「縮減」も削除し、「誰もが安心して信頼できる入院医療が実現されるよう」に文言を

変更し、さらには「諸外国においても、患者の同意を得ずに入院を行う制度は存在しており、権利擁護の仕組みとともに運用されている。」との一文も追加

て、方針をさらに後退させているのが伺えます。→資料参照

 

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日本型強制入院(=医療保護入院)の「将来的な廃止」を厚労省が削除!

2022-04-17 18:44:44 | 福祉・教育

この国には、精神障がい者本人の同意なく、精神科病院に強制入院させる制度として、自傷他害の恐れのある場合に都道府県知事らの権限で行なわれる「措置入院」だけでなく、家族らの同意さえ得れば精神科病院医師が行なうことができる「医療保護入院」という制度があります。「医療保護入院」はこの国の精神科の入院患者の実に半数近くを占めており、国際的にも人権侵害との批判がずっとなされてきたものです。

この「医療保護入院」制度について、厚労省は、3月中旬の有識者検討会に示した資料では、「基本的には将来的な廃止も視野に、縮小に向け検討」とししかもその時点では、この厚労省案に強い反対意見も出なかったにもかかわらず、4月15日には、「将来的な継続を前提とせず、縮減に向け検討」と修正、「将来的な廃止」の文言を削除したとのことです(東京新聞2022.04.17)。日本精神科病院協会(日精協)の委員が反発したことなどが要因ではないかと同紙は伝えています――この間3月末の検討会で、日精協の委員が「医療保護入院が廃止されれば、治療の放棄につながりかねない」と反対したというのです。

相も変わらぬ日本の精神医療のタテマエとホンネの矛盾がまたしても露呈し、いやそれどころかホンネの側に強く舵を切り始めた証しです。

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「ニューロダイバーシティ」の登場!

2020-02-09 20:51:11 | 福祉・教育

以前にこのブログでも書いたのですが(→自閉症と爬虫類的生き方をめぐって)、

自閉スペクトラム症の支援治療とは、定型発達者と同じような人間にすることなのでしょうか。

決してそうでないことを、当事者自身が「ニューロダバーシティ」の運動として提起し始めていることが伝えられるようになってきました。

とても重要な出来事です。

 

「ニューロダイバーシティ」(神経多様性)の語が登場したのは、1998年。自閉スペクトラム症当事者の女性ジェーン・マイヤーディング(Jane

Meyerding)がネット上に公表した“Thoughts on Finding myself differently brained”(自分が異なる脳であるのを見い出してゆくことについての思索)とい

う文章が初とみられます。そのなかで彼女は、定型発達だけを正常な普遍的なものとする「ニューロユニバーシティ」(神経普遍性)を「ニューロダイ

バーシティ」に対置して言います。 

 

 私たちの社会がニューロダイバーシティをより広く認識するようになれば、私たち(人間)すべてが恩恵を受けると思います。ニューロユニバーシティを仮定することは、一種の自民族中心主義に近いものがあります。もしあるアングロサクソン人が、英語を話す別の人のことを、「彼女には訛りがある」と言ったとしましょう。そうすると、その人は自分のアクセントが「正しい」ものであり、他のすべての人が従うべき基準であると思い込んでいることになります。[そうではなくむしろ、]アモジャ・スリーリバーズ(Amoja Three Rivers)が、自身のパンフレット『Cultural Etiquette: A Guide for the Well-Intentioned" (Three Rivers, 1990, p. 11)』の中で指摘しているように、「誰もがみな訛りのある話し方をしている 」のです。

 

そして同じ1998年に、ジャーナリストのハーヴェイ・ブルーム(Harvey Blume)が、雑誌 “Atlantic” の9月号に、”Neurodiversity : On the neurological

underpinnings of geekdom.”という論考を寄せ、このなかで「ニューロダイバーシティ」に対して、健常者を「ニューロティピカル」(神経定型)な人と

して対置し、「ニューロティピカル(神経定型)症候群は、社会的関心事への偏執、(自分の)卓越性の妄想、順応性への執着などを特徴とする、神経生

物学的な障害である」 (Neurotypical syndrome is a neurobiological disorder characterized by preoccupation with social concerns, delusions of superiority,

and obsession with conformity.)と喝破しています。

 

次いで1999年、自閉スペクトラム症当事者の女性社会学者ジュディ・シンガー(Judy Singer)が、論文「生涯に一度だって正常になれないっておかしくな

い?:『名前のない問題』から差異の新たなカテゴリーの生成へ」(Why Can't You Be Normal for Once in Your Life?  From a Problem with No Name to the

Emergence of a New Category of Difference)を発表し、社会学を中心として学術界にこの語を広める起爆剤となり、かつ同時にオンラインコミュニティ上

「ニューロダイバーシティ運動」を、女性運動やゲイ/レズビアン運動に続く、自閉スペクトラム症当事者たちのセルフ・アドボカシー運動(Autistic

Self-Advocacy Movement)として、積極的に展開するようになりました。

 それはまた、「ニューロダイバーシティ」を「交差性」(intersectionality)のカテゴリーに加えようとするものでした。「交差性」とは、人種、民族

級、ジェンダー、セクシュアリティなど複数の個人のアイデンティティが組み合わさることによって生じる特有の差別や抑圧のことであり、それらのカ

ゴリーに「ニューロダイバーシティ」も付け加えようというのです。

 そしてシンガーによれば、「ニューロダイバーシティ」は決して精神医学等の診断名ではありません。精神医学をはじめとする臨床の専門家の間で

は、"People with Neurodiversity"(神経多様性のある人々)などという言葉が出回っているとのことですが、これほどバカげた言葉はないと彼女は斬って捨

てています。「私たちはみな、ニューロダイバースなのだ。なぜならこの惑星のどの2人もすっかり同じではないから。」(We are ALL Neurodiverse

because no two humans on the planet are exactly alike )「労働者Aはニューロダイバースだが、労働者Bはそうでないなどと言うことはできない。しかし

労働者Aは、自分を特定の症候群、たとえば自閉症と自認した場合、 "自閉症 "と呼ばれることができる。しかし、だからといって彼らは、この地球上の誰

よりもニューロダイバースというわけではない。」「ニューロダイバーシティを、”私たち "と "彼ら "を分けるためのメスとして使ってはならない(Do not

use Neurodiversity as a scalpel for dividing "Us" from "Them")」。

 

こうした意味合いでこそ、「ニューロダイバーシティ」の概念は用いられ、広げられていかねばなりません。

 

 

    <参考>

Meyerding, J., 1998  Thoughts on Finding Myself Differently Brained. http://www.planetautism.com/jane/diff.html

Blume, H.,1998 Neurodiversity. https://www.theatlantic.com/magazine/archive/1998/09/neurodiversity/305909/

Singer, J.,1999  Disability discourse. Open University Press. chapter7, Why Can't You Be Normal for Once in Your Life?  From a Problem with No Name to the Emergence of a New

     Category of Difference.

―――, 2019 Reflections on Neurodiversity. https://neurodiversity2.blogspot.com/

 

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