眇めオヤジの独り言

初老で始めたブログも、寄る人もないまま、いつしか定年を迎えた。
あいもかわらず、気ままに書き連ねていく。

関ヶ原の疑問がある程度解消:NHKBS

2020-12-20 | Weblog
実は私、還暦過ぎてから、歴史好きになりまして、城や古墳をめぐるのを趣味にしています。
19日、NHKBSで放映された「決戦!関ヶ原 空からのスクープ」の録画を、先ほど見終わりました。

赤色地形図で明らかになった「玉城」から、関ヶ原の戦いを見直した内容でした。
これで、関ヶ原に行って、疑問に思っていたことが、結構解消されました。

関ヶ原には、2回ほど行きました。
最初は、関ヶ原を徒歩で回って、戦場と陣地と言われる場所を見て回りました。
2回目は、自転車に乗り、山城をめぐりました。

残念ながら、玉城には行きませんでした。
遠いし、あまり知られていませんでしたからね。

最初に疑問に思ったのは、西軍武将の陣地の場所です。
特にありえなかったのが、島津の陣地です。
位置が最前線なんですね。
これで最後まで戦わなかったというのはありえません。

他にも本当かという場所ばかりでした。
玉城に陣取り、急きょ関ヶ原に出陣したのなら、わかります。

参考になったのが、岐阜城陥落の原因とその影響です。
籠城しないで、野戦したとは、驚きでした。
三成が、大垣城を抜け出したのは、籠城が不利になったためとわかりました。

吉川の陣地については、行ったことがあるので、山頂でなく麓に陣取ったであろうことは、
その時にわかっていました。
問題は、それだけ戦える体制で、なぜ戦わなかったですが、
これは大垣城で籠城した場合の援軍との約束だったのでしょう。

小早川の陣地については、番組に異論があります。
守りでなく攻撃の布陣になっていたわけですが、これは小早川が主力だったことを意味します。
大谷も、小早川と対峙とまで勘ぐる必要なく、小早川と挟み撃ちするつもりとも読めます。

結局、岐阜城があまりにあっけなく陥落したことが、三成の計画を完全に狂わせたことになります。
秀吉の家臣にすぎない三成が、秀吉の主君の孫、三法師を重要なコマとして使おうとしたことが、
大間違いだったと言えそうです。


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