何のために、人は本を読むのでしょうか?
何かを知りたいため、仕事の必要に迫られて、ただ教養をつけるため、
色々な事情があると思います。
僕自身は、ドラマや映画以上に、小説を読むのが苦手です。
読む目的がわからない。
単なる時間つぶしにしか思えないのです。
とは言っても、中高校生のころは、けっこう読んでいました。
たぶん、そのころは何を読んでいいかわからなかったからでしょう。
ともかく、年100冊以上を読むことをノルマにしていたので、
薄い文庫本の小説は達成するのには最適でした。
20代、30代になると、仕事などに関連した専門書しか読まなくなりました。
40代になると、それまで関心がなかった哲学、古典とかを、古本屋で買いあさっては、
積読していました。
いつか読める時が来るだろう、それは50歳過ぎの早期リタイヤを夢見ていたからでしょう。
その時間が来ないまま、買ったまま積まれた本は、相当の量になりました。
60歳を過ぎると、今度は歴史に凝り始めました。
一般むけの本では飽き足らず、学術的な本を捜します。
ただ、この手の本は高価で、数千円から1万円くらいはします。
幸い、図書館がネットで予約できるので、本は増えなくなりました。
買うのは新書ぐらいになったのですが、気付いたことがあります。
同じ作者の本ばかり出版されているということです。
この出版不況の中、毎年数冊、本を出している著者がいます。
すでに大学を引退した学者が多いのですが、書く内容は、ほとんど変わりません。
ほとんど同じ内容で、新しい本を出している。
教養のためと言っても、新しい知識知見は得られないのです。
それでも、買う人がいる。
要は、小説などと同じように、単なる時間つぶしで読んでいるのでしょう。
テレビで、クイズ番組などは、常に放映されていますが、ドラマと同様に、
時間をつぶしたくて仕方がない人が、大部分ということでしょう。
出版不況と言われていますから、固定した読者がいることは、最低限の部数は売れると見込めます。
それで著書を増やしているのでしょう。
残された時間が少なくなった自分としては、つきあってはいられないですね。
まだ、ボーとしていたほうがましだと思っています。
何かを知りたいため、仕事の必要に迫られて、ただ教養をつけるため、
色々な事情があると思います。
僕自身は、ドラマや映画以上に、小説を読むのが苦手です。
読む目的がわからない。
単なる時間つぶしにしか思えないのです。
とは言っても、中高校生のころは、けっこう読んでいました。
たぶん、そのころは何を読んでいいかわからなかったからでしょう。
ともかく、年100冊以上を読むことをノルマにしていたので、
薄い文庫本の小説は達成するのには最適でした。
20代、30代になると、仕事などに関連した専門書しか読まなくなりました。
40代になると、それまで関心がなかった哲学、古典とかを、古本屋で買いあさっては、
積読していました。
いつか読める時が来るだろう、それは50歳過ぎの早期リタイヤを夢見ていたからでしょう。
その時間が来ないまま、買ったまま積まれた本は、相当の量になりました。
60歳を過ぎると、今度は歴史に凝り始めました。
一般むけの本では飽き足らず、学術的な本を捜します。
ただ、この手の本は高価で、数千円から1万円くらいはします。
幸い、図書館がネットで予約できるので、本は増えなくなりました。
買うのは新書ぐらいになったのですが、気付いたことがあります。
同じ作者の本ばかり出版されているということです。
この出版不況の中、毎年数冊、本を出している著者がいます。
すでに大学を引退した学者が多いのですが、書く内容は、ほとんど変わりません。
ほとんど同じ内容で、新しい本を出している。
教養のためと言っても、新しい知識知見は得られないのです。
それでも、買う人がいる。
要は、小説などと同じように、単なる時間つぶしで読んでいるのでしょう。
テレビで、クイズ番組などは、常に放映されていますが、ドラマと同様に、
時間をつぶしたくて仕方がない人が、大部分ということでしょう。
出版不況と言われていますから、固定した読者がいることは、最低限の部数は売れると見込めます。
それで著書を増やしているのでしょう。
残された時間が少なくなった自分としては、つきあってはいられないですね。
まだ、ボーとしていたほうがましだと思っています。