まだ外は冬景色だけど、
サマータイムになってからどんどん日が長くなって
夕飯を食べてからでも散歩に出られるのでちょっと得した気分だ。
昨夜の散歩風景。
なんの修正もしてない、そのままの色。
暗くなる直前のこの何もかもが蒼く見える時間が好き。
白い雪だって蒼色になる。
今朝起きた時、ああ今日という1日が始まるな、と思った。
でも今はもう今日が終わろうとしている。
「今日」が過ぎ去ってしまうのだ。
そうやってどんどんどんどん時間は流れていくのだと思うと
怖いような寂しいような気持ちになる。
人生も後半戦に入ってきたからだろう。
この間糸井重里さんが「今日のダーリン」にこんなことを書いていた。
「生きものがほんとうに単位にしているのは
日が昇って日が沈む、朝があって昼があって夜がある、
地球が自転する時間、1日という単位なのだと思った。
長く見える一生だって、仮に100年生きるとしても、
たった36500日しかないということだ。
36500日の1日を1円だと考えて、
人生が36500円だと思ってみたまえ、小林くん。
1円つかうごとに1円減るんだぞ。
全財産が一万円札3枚と6500円しかないとしたら
あんがい100円とか10円とかもばかにならないだろう。
(中略)
1日を単位にして考えるというのは
こんなふうにしてなかなかおもしろいものだった。
とにかく1日を大事にすることだと思うようにした。
1日というそれほど長くもない時間は、すぐに過ぎ去る。
今日とは、今(いま)とほとんど同義語に思える。
そして「今」とは、現在ということだ。
「現在」は英語で「PRESENT」だったなと思い出す。
そして「PRESENT」は、誰もが知ってる「贈り物」だ。
1日とは、今日とは、現在(PRESENT)であり、
生きている僕らに与えられた贈り物(PRESENT)だ。
「LIFE IS PRESENT」わあ、そうなのだ。
これは、ものすごく大事なことばが生まれた気がする。
1日について考えてると、なんとなく1日がありがたくなる。」
糸井さんがお金に換算?じゃない、例えていたのが衝撃だった。
36500円って、すごく少ないよ。
1円の1日ってほんとうに貴重だ。
1日を大事にする、ということはどういうことなのか、
いろいろな考え方や過ごし方はあるだろうけれど、
まずは1日を「楽しもう」と思う。
今はまだ一番近い未来の「明日」は来ていない。
未知の「明日」は夢をみたらすぐにやって来て
また「今日」が始まる。
せいいっぱい生きよう。
夕焼けではなく夕青?
なぜ青くなるのか分かっているのですか。
オーロラの様ですね。
以前、フィンランドに行ったとき、夜遅くにホテルに
入りましたが、夜の12時なのに昼と同じ明るさで驚いたことがありました。
同じ地球上なのに青くなったり、太陽が沈まなかったり不思議ですね。
「ほぼ日刊イトイ新聞」はお気に入りに入れて、時折見てます。
これは東の空なのですが、
晴れている日、日が沈んだ後に空は薄い青からだんだん濃い青になり
そして暗くなります。
世界中そうなると思っていたのですが、もしかしてここだけでしょうか😅
一つ言えるのは、この街は標高1300メートルの場所にあるせいか、空が特に青く見えます。
ヴァージニア州に住む娘もこちらの空の方がずっと青いと言っていました。
フィンランドに行かれたことがあるんですね!
白夜と極夜がある高緯度に位置する国に住む人たちの体調はどうなんでしょうね。
こちらはそこまではいきませんが、夏の一番日が長い時には日が沈むのは午後10時くらいです。